史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

谷町九丁目 Ⅱ

2014年03月01日 | 大阪府
(齢延寺)


齢延寺

 生玉魂神社の南に隣接する齢延寺には、藤沢東畡、南岳父子や土佐の刀工左秀行の墓がある。ついでにいうと、南岳の孫で小説家の藤沢桓夫の墓も同寺にある。


東畡藤澤先生墓

 藤沢東畡は、寛政六年(1794)讃岐国安原村の生まれ。中山城山に就いて徂徠派の古文辞学を修めた。のち高松に出て塾を開き、文政八年に大阪に移った。従学するものが多く、名声は天下に高かった。高松藩主は抜擢して中士となし、使番に任じた。元治元年(1864)には、二条城において将軍家茂に謁を賜った。同年十二月、七十一歳にて死去。


南岳藤澤先生墓

 藤沢南岳は、天保十三年(1842)、東畡の長男に生まれた。慶応元年(1865)、父の職を継いで高松藩の儒者となった。戊辰戦争では高松藩は幕府側についたが、これに反対して尊王論を説いた。南岳は薩摩の大山綱良に陳情し、藩論を翻して新政府軍に味方させることに成功した。廃藩置県後は、官途に就かず、大阪に居住して門人の教育に努めた。大正九年(1920)、七十九で死去。


土州豊永東虎左秀行墓

 左(さの)行秀は、筑前の刀工左文字の流れを汲んでいることから、左と称した。土佐に来て、弘化三年~四年頃、幡多郡入野郷で鍛刀に従事し、安政三年には刀工・鍛冶職として山内家に仕官した。幕末を代表する刀工の一人である。維新後、帰国して東虎と称する。晩年は居所を転々として、失意のうちに大阪で没したといわれる。

(万福寺)


新選組 大阪旅宿跡

 平成二十三年(2011)六月、歴史地理史学者中村武生氏の手により、万福寺の門前に「新選組 大阪旅宿跡」碑が建立された。

(正法寺)


正法寺

 谷町九丁目周辺は、ともかく寺院が多い。大阪市内随一の寺町である。正法寺は、イギリス公使パークスが大阪滞在時に宿泊した寺である。

(法雲寺)


法雲寺

 慶応四年(1868)二月、神戸事件の直後、アーネスト・サトウが宿泊した寺である。サトウが当寺に宿泊中に堺事件が発生している。

(谷町グランドハイツ)
 現在、谷町グランドハイツのある辺りに、幕末当時は本覚寺があったとされる。
 慶応三年(1867)三月、本覚寺にてアーネスト・サトウと薩摩の西郷隆盛が兵庫開港問題で会談している。歴史的舞台となった場所であるが、残念ながら何も残されていない。


本覚寺跡


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