国鉄フライヤーズ

目指せカネ、ヒマ、若さ

初めての高知2(都佐=土佐から波多=幡多の国、ルーツを辿る旅)

2012-10-18 01:00:00 | 旅行
二日目は高知市から西に向かう。


朝、テレビをつけると火野正平が全国を自転車で回るNHKの旅番組。
今日は高知市から西に向かうんだと。
一緒じゃん。
何たる偶然。
しかし収録は一週間前。
遭遇するチャンスはなかった。
残念。


高速で中土佐までスイスイ。
最初の休憩地に指定してくれた窪川の道の駅。
「国交省の天下り先だろ」といつもなら毒舌がでるところだがのんびり旅、気持ちも緩んでいる。
バカンスですな。
いつも休みですが。


窪川を過ぎると眼下に太平洋を望む絶景ドライブ。


さて、今回の旅の目的の一つでもある祖父の足跡探索。
約100年前に単身東京に出てきた農家(多分)の二男坊の本籍は幡多郡山奈村大字山田。
現在の宿毛市山奈町山田だ。
カーナビで一発で到着。
後ろの家が当該番地。
今は所縁のない人が住んでおられるようだ。
地元の名家でもないので100年もたてば跡形もなくても当然だろうな。

山田の女性はこのあたりでも特に働き者で「嫁に貰うなら山田から」と言われたそうだ(宿毛市役所谷本さん)。
ハチキン以上のジュッキン(2X5人)だろうか(笑)。
また下ネタですみません。


近くの川。
幼少期の河野来吉少年が遊んだのだろう。
明るくて、人懐っこくて、エメルギーがあって話し上手。
人の心を掴むのがうまかった。
そんな祖父が好きだった。
ここから上京したんだ。
今私が都会っ子をやってられるのも来吉さんのおかげだ。


初台時代の祖父一家。
学生服が私のオヤジ。
祖父以外は全員東京生まれの東京育ち。


近所の方に声をかけた。
岩本さん。
私と同年輩で生まれた時からこの地に住んでいるとか。
来吉さんがこの地に留まれば私と幼馴染だったかも。


宿毛市の歴史館に寄る。
市役所の谷本さんという女性に事前に紹介していただいた矢木さんに話を伺う。
都佐(土佐)と波多(幡多)とはもともと別の国。
奈良・京都の文化は淡路島を通り四国は阿波の国に上陸。
西に讃岐、伊予と進みそこから南下して波多に。
そして波多から東に土佐へと伝わった。

               淡路
                |
                v
伊予 <- 讃岐 <-    阿波
 |
 v

幡多 ―> 土佐 

 
           
やがて讃岐から土佐へ南下する直接ルートができ、波多は高知の主流でなくなった。
最初の国造は渡来人であったようだ。

土佐とは言葉も違う。
万葉の名残があるとも言われる。
公家の名門でありながら幡多の地を開拓しそのまま戦国大名となった一条教房は中村(現在の四万十市)で京都を模した町づくりをした。

そういえば祖父には土佐弁(高知はカワチ?)のアクセントはなかったような。
言語学的に日本には東京式と京阪式の二種類しかアクセントがない。
土佐は京阪、波多は東京式らしい。
え、なんで東京?
なんだか訳が分からなくなってきた(笑)。

関西や九州への海路がありそちらとの交流は盛んだった。
宿毛市は愛媛県との県境。
愛媛県南部との繋がりが強く、高知市民からは「不入山の向こうは土佐ではない」とも言われているとか。
河野家の祖先は愛媛の海賊らしい。

祖父はおそらく山奈から愛媛の宇和島に出て海路大阪に向かいそこから汽車で東京に出たのではないか、と矢木さん。
ますます高知の歴史に興味が湧いてきた。
いろいろと相談に乗ってくれた市役所の市民課谷本さんにご挨拶をして移動。


宿毛から南回りで四国の最南端足摺岬へ。
絶景です。
でもまた寝汗が。


四万十川上流の星羅に着いたのは午後7時近くで辺りは真っ暗。
途中、一車線でもところどころにすれ違いゾーンのある道はそれほど苦にはならなかった。
しかし目的地まであと少しというところで左折して橋を渡るべきなのにナビが直進しろと(理由は地元の人もわからない)。
行ったところが、細い山道で左はガードレイルもない断崖。
後戻りもできない。
ナビを設定し直したところ、そのまま直進しろと。
暗闇の中、スリル満点のドライブを更に10分程したところで広い道に出られた。
疲れました。
寝汗倍増。

今日もご馳走で栗焼酎が旨い。
高知は太ります。

(続く)




最新の画像もっと見る

1 コメント

コメントを投稿