と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

トラブルを解決していたから・・・・・所詮どうにもならないことはあるが

2019年03月06日 22時09分31秒 | とーま君の流儀2019

今日もいろんなことを考えさせられた。

あるトラブルを解決していたからである。しょうもないことで、相談されたから身を乗り出したのだ。頼まれたら、人肌脱ぐのがボキの特性だからだ。なにしろ、30代、40代、50代の方々とは比較にならないのがボキである。経験値が違っている。これは自慢して言っているのではない。事実である。それだけ、ボキはいろんな意味で修羅場をくぐってきたからだ。ボキが修羅場であったというわけではない。ボキなんか、なんのおもしろみもないし、ただひたすら堅い朴念仁だけだというだけである。

人情の機微を知らないから朴念仁だと思っているだけである。

人情の機微を知れと言われたのは、大学学部時代である。それこそが、哲学の基本だと教えていただいたからである。直接教えていただいたのではない。ボキの親友が聞いたことである。親友は、最初の大学学部で一緒だった。そして、親友はわずか47歳で亡くなってしまった。酔って自転車で家に帰る途中でクルマにひかれて死んでしまった。

彼もボキと同様、苦学した。新聞配達をしていた。だから仲が良かったのである。彼は、ボキと違って優秀だった。大学院の修士課程にも進学した。ちなみに、ボキは優の数が極端に低いということで、大学院は受験すらできなかった。

亡くなる前には、離婚していたことも葬式後に知った。彼の元奥様を知っていたからである。彼と奥様と一緒に旅行にも行ったからである。それだけ、お互いに信頼していた。

苦労仲間との絆は深いからだ。

それにしても、若い方々たちは枯れていない。

生きることの初歩も知らないからだ。


ボキは離婚なんかやっちゃいけないと思っている。離婚するんだったら、結婚しなければ良いと思っているからである。

そして、そんなに愛欲って大事なんですか?と聞いてみたいからである。愛欲なんていつかは枯れる。

そのとき、後悔するだろうからである。

そういう意味でボキは、愛を説くキリスト教が信じられないのである。ウソが混じっていると思うからである。アガペーというのは、後から創作されたけである。愛がすべてあるとは思わない方がいい。どっかで人生を踏み外すからだ。

若い方々には、シアワセになって欲しいと心から思っているからである。

ボキのように、退職後の人生を楽しむことができるのである。もう後がないからこそ、楽しむことが可能になるからだ。

うううううううううううううううううううううううううううううううううむ。

そういうことである。


BYE-BYE!


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いろんな講座で生徒役をやってくる。タノシイからである。それしかボキのタノシミはないので。

2019年03月06日 07時05分40秒 | とーま君の流儀2019

今日は午前中が古文書講座で生徒役をやってくる。夜は中国語講座でこれまた生徒役。まったくモノにならんけど(^0^)。

生涯学習ごっこである。それで良し、それで。独学ではなかなかやる気にもならんからだ。それに年金暮らしにはありがたい料金体系になっているから。ま、家にいてあくびをしているのも良いだろうけど、ボキはこれがタノシイからやっているだけである。家にいたら確実に運動不足になるからだ。それだけである。

考えてみれば、実に堅実な老後である。笑ってしまうくらいに堅実である。およそ遊びの面がない。それに一見したら暗い。閉じこもっていても不思議では無いくらい暗い。

受け止め方がタノシイ・タノシイという方向に行っているから実は明るいのだ。タノシイから明るくなるのである。

世の中は受け止め方次第である。

暗く受け止めたら暗くなる。明るく受け止めたら明るくなる。それだけのことだ。鍵は自分が握っている。鬱な気分になったら、受け止め方を訂正することだ。暗いばかりが世の中ではないからだ。このことは苦学生時代に大いに味わった。新聞販売店の部屋ですべては受け止め方次第だと思ったからである。

ボキの高校時代の同窓生たちは、ボキに大いに同情してくれた。実際に新聞販売店に訪ねてきてくれた男もいる。そして現在もつきあっていただいている。某有名女子大学の教授になっているが。

妙な人間だとボキのことを思っていたのであろう。なんでそこまでして、ボキの卒業した三流大学にいく必要があるんだ?と言われたこともある。実際そうだろう。そこまでして何の意味があるのかということなら否定はできなかった。

しかし、生涯学習という視点から見たら三流大学でも意味があったのである。

そもそもキャリアアップとか、ステップアップという考え方をとらないからだ。なにしろ「ダウン」ばっかりしてきたから、ボキの辞書に「アップ」はないのだ。おぼれてアップアップしたこともないが(^0^)。

上には行かないからである。もっとも上もクソもない。ボキは今のボキが好きだからだ。

人間を学歴だけで判断しちゃいけないのだ。古文書講座で大学学部時代の教科書で古今集を持参して見ていた。影印本である。受講生仲間にバカにされた。裏面に***大学一年と書いてあったからである。へぇ~~***大学ってこんな影印本を教科書にしているんだぁというわけである。ビッグな(^0^)をした。言っている本人が、どさ回り大学を出ていたからである。

他人をレッテルだけで判断しちゃアカンですよん。

もっとも、ボキはそのレッテルすらないけど。レッテルだけで生きてきたわけではないので。

わははっはははははっはははっははっははっはははっははははっはははははっは。


さ、これくらいにしよう。

これから歩いてきて、それから古文書講座に出かける。

タノシイ、タノシイ。


BYE-BYE

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3月5日(火)のつぶやき

2019年03月06日 06時23分29秒 | とーま君の流儀2019
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/