大乗二十頌論について 龍樹著
書き始め 2012/05/31
1 はじめに
ナーガールジュナの著した短編の論である。講談社の中村元博士の「龍樹」(講談社学術文庫 2002年 講談社)によるところが大きいが、中村元博士は『大乗についての二十詩句篇』とタイトルをつけておられる。言い得て妙である。すばらしいセンスである。こういうのは生得のものというべきであろう。(同書 p.396)
サンスクリット原文が近年発見され、トゥッチ博士によって出版された。また、チベット訳も加わり、そにテクストとチベット文から還元訳としてのサンスクリット版がある。
2 実践の書 大乗二十頌論
各章を概観すると、浮かび上がるのが、龍樹の仏道実践への意欲である。特に、大乗二十頌論は冒頭から「三宝に帰依したてまつる」とある。
龍樹は特に、仏陀への帰依を強調しているから、このことが仏道の根本的課題であると考えていたことは間違いがないだろうと思われる。それは龍樹の他の著書である「中論」「六十頌如理論」の冒頭にも帰敬偈を置いて、仏陀への帰依を表明している。考えてみればそれは当然のことであって、この書が信仰の書であるからである。つまり、仏陀という個人への、かなわないなぁという感覚を表明しているのではないかと感じるのである。
だからこそ、龍樹という存在への共感が大きくなってくるのではあるが。
言葉では言い表せない真理を、慈悲をもって言葉で説き示された、その思慮は執着を
離れ不思議な威力ある仏陀を礼拝したてまつる。
書き出しがこれでである。
「真理は言葉では言い表せない」のである。言語的な関係性を否定したところから出発するわけである。しかし、その真理を「慈悲の言葉」で説き示されたとも書いてある。だから、俗界を捨て、全ての人間関係を捨て、一人隠者として修行したとしても、仏陀による「教え」を聞くことなしには、不可能であるということである。ただ座れとか、自然風物からなにかをつかむという方向性だけは、この冒頭の部分からは理解できないことである。
しかし、教えの解釈だけにとどまり、字句をいじって楽しんでいるだけでもならない。信仰を生きるということから、隔絶していることではならないと考えるべきであろう。(※愚生に一番耳の痛い話である=わかっているのである、信仰に一番関わっていないということを)
最高の真理の立場から見るならば、生じることもなく、真実には静まることもない。
虚空の如く諸々の仏陀も諸々の衆生も、ただ一つの特性を持っている。
ここでは縁起の理を説いている。
しかし、単なる理であるならば、それを勉強して知ることは、哲学であっても信仰にはならない。ただ一つの仏性を持っているというこの第2の章は、ある意味大乗仏教の持つ普遍性をも意味しているのではあるまいか。縁起の法こそ、仏陀の説いた大いなる仏教の特徴である。このことから逃れての仏教理解はあり得ないことである。
さらに言えば、龍樹を理解するのに、「ただ一つの特性」を意識しないで、さまざまのことを議論してはならないことになる。このことだけは戒めなくてはならない。
諸行は、此の世においても、彼の世においても、生じたのではない。それらは因縁に
よって生じたものであり、それらは全てその自性については空である。
この辺りから、実に魅力的な論理の展開がなされていく。
凡夫は(※この一番あてはなまるのが私である)、自己、物、ことがら、現象界すべてもともとそのもの自体が存在し、変化のないもの、永遠に存続するものとして、とらえている。下手をすると、自分のいのちまで永遠であるかのように錯覚する。いつまでも生きていけると思うからである。それは唯物論の影響も大きいのであるが、それを否定するのが、因縁の考え方である。
存在するものは、因縁に応じて必ず変化するものであり、因縁によって生じ、因縁によって滅するのである。次の章にも書いてあるが、一切のものは影の像なのである。
この世の世界が全ての真実ではないのである。だからこそ、この龍樹の考え方に夢幻能を説く、能楽の影響関係を見いだしていきたいのであるが、愚生の理解はまだそこまで行っていない。どこに文献的な証拠があるのか。それがまだまだわからない。ついに徒労に終わるのかもしれない。それでもいいと感じてはいる。そこまでで、勝負あったと言われるかもしれない。しかし、全ての存在するものが、現象であるならば、龍樹の言うように、因縁によって滅び去るしかないではないかと私は感じているからである。
3 おわりに
ここで読書感想文として、大乗二十頌論をまとめてみたが、まだまだ課題が多い。
ただし、11章にあるように「彼らは無なるものを存在とみなして苦を感受する」とあるように、そもそもなにもないものから、現象を理解し、それでもって苦しみ、悩み、生きているという一般の衆生(※むろん私でもある)に対して、ある意味で救済の可能性をここで示しているのではないかと思う。
これからの課題でもある。
中村元『ナーガールジュナ』(人類の知的遺産13)、講談社、昭和55年
※龍樹の思想のみならず、伝記や伝承も詳しく紹介。
『中論頌』のサンスクリット原文からの訳と『大乗二十頌論』もサンスクリット原文からの訳を載せている。これを底本として、講談社学術文庫に中村元『龍樹』がある。