と~ま君の独り言日記 

定年後を、いつまでも少年のような気持ちで過ごしています。九十九里浜で、年金+5つのバイトで気ままな暮らしを継続中。

これから高速バスで江戸の都へ行ってくる

2018年08月31日 18時26分08秒 | 独り言2018

おはようございます。

これから五番目のバイトの最終面接研修で花のお江戸に。

四谷だということである。

ボキのようなモンでも、仕事をいただいて幸せである。

帰ってからまた書き込みます。

夜は塾の夜バイトもあるし(^0^)。

ヾ(*´∀`*)ノ

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8月30日(木)のつぶやき

2018年08月31日 06時22分43秒 | 独り言2018
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言っちゃいけねぇ・やっちゃいけねぇ=不平不満・愚痴・悪口・文句・泣き言

2018年08月30日 08時20分47秒 | 独り言2018

耐えることである。現象はゼロなんだから。絶望も不安もない。なにも焦って生きている必要もない。ひたすら淡々として過ごすことである。


 

いちいち一喜一憂していたらアカン。身が持たない。世の中はそれほど動きが激しいのだ。

トラブルがあったら、ただじっと耐えるしかない。

悪口を普段から言っていたら、そのお返しがくる。偉そうに生きていたらアカン。偉そうにやっていた仕事を失ったら逆に今度は相手にされなくなる。あたりめぇだ。

世の中なんてそんなもんじゃよ。

だから何も考えずに、淡々として受け入れるのだ。

やっちゃいけねぇことは、他にもある。不平不満・愚痴・悪口・文句・泣き言等々じゃ。

愚痴の専門家になってもアカン。愚痴はグチグチ言っているとほんとにそうなっちまう。そんなもん誰も聞いちゃいないのだ。他人に愚痴を言ってどうなるというのだ。自分の奥さんに愚痴を言って聞かせても、かえって軽蔑されるだけである。そういう長年の積み重ねが、夫婦関係を破綻させるんだよん。夫婦だってもとは他人である。たまたま偶然の結果、結婚しただけであって、天の思し召しでもって結婚しただけである。

それをである。朝からしつこく愚痴を言われて心穏やかに過ごせるわけがない。

似たようなもんが不平不満である。仕事があるだけ良いではないか。本来なら誰にも相手にされないで、収入もなく、漫然と毎日過ごさなければならなかったかもしれないのに仕事があるだけシアワセではないか。

上役の悪口を言って自分だけ高見の見物をしていたって、そんなもんは糞の役にも立たないではないか。不平不満は、自分も偉そうにしたいという心理の反作用である。偉ぶったらアカン。ある組織の中で、たとえ管理職であったとしても、そんなもん仲間内だけに通用する話である。世間一般に通用する話じゃなかろうに。

要するに、地位や名誉なんて仲間内の話だけなのである。勘違いしちゃいけない。たとえ博士になったとしても、今は***博士と書いてそのあとにどの大学で取得したかを書くことになっている。カッコ書きである。取得した大学でもって価値が異なるのであろうか。そんなことは知らないけど。ボキは、学位取得に失敗したからだ。

泣き言もそうだ。これもまた、自分の側だけの論理でもって構成されている。泣き言をする方々というのは、要するに自分の思う通りにならないから泣き言を言うのである。

視点が自分側にある。相手にはない。悪口だって、相手のことを言っているようで実は違っている。自分の思う通りにならないから、悪口を言うのである。不平不満もそうだ。他人からの評価が低かったりすると不平不満が出る。あたりまえである。自分の思う通りにならないからなのだ。

耐えることである。

耐えることはつらくない。

損得勘定で考えれば、耐えることもまた楽しみになる。普通、損得勘定はよくないこととされるが、これもあって良いとボキは思っている。

なぜなら、ボキは起こっていること、世の中のすべてのことは「ゼロ」だと考えているからである。現象すべてである。

だからこだわることはないのである。

そもそもがゼロなら、これから起こること、あらゆるトラブルなんぞ、全部プラスになるだけだからだ。

ゼロならば、マイナスにはならない。

要するに、気楽に生きていきましょうということなのである。

 

九十九里浜の波を見ているとしみじみそう感じる。

海の波は、全部違っている。一つとして、同じ波は来ない。朝からじっとして波を見ていると現象はゼロであるとマジに思ってしまうのだ。

今度一緒に九十九里浜の海でも見に行きませんか(^▽^)。そんな人はいねぇだろうけど。

わはははっはははっははははははははっははははははははっははは。

 

(^.^)/~~~

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8月29日(水)のつぶやき

2018年08月30日 06時21分32秒 | 独り言2018
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「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候」

2018年08月29日 08時48分50秒 | 独り言2018

事故にあって死ぬのも寿命。

病気になって死ぬのも寿命。

老衰で死ぬのも寿命。



良寛がそんなことを言っていた。これである、これ。

 

「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候」

 

まさにこのとおりである。シナリオどおりに人生が進んでいるのなら、まさに死ぬ時節がきたら死ぬしかないのである。長生きはしたいが、天がもういいじゃないかと言ったら死ぬしかない。長生きしたくてじたばたしても、死ぬときは死ぬ。 

だからなんの心配も要らないのである。過去のことを悔やんで、あの時ああすれば良かったとか、ああああああ俺はなんちゅうアホだったのだと思う必要もないのだ。アホでもこうやって生きていられるのだ。ボキは自己嫌悪の激しい男だから、よけいにこの考え方をとっているのだけれども。 

考えても無駄なことはやらないことである。誰でも死んでしまうのだけれども、あの世から帰ってきた人はいない。だから確かめようがない。亡父と亡母に聞いても答えてくれないだろうからなぁ(^▽^)。逆に叱られてしまうか。アホなことを言っていないで、働けとか。もうこっちは年金暮らしなのだが、それを知らないだろうから。 

悔やむ必要もなし。一切なし。先のことを不安に思って悩む必要もなし。過去も未来 もシナリオどおりであるからだ。 

災難には遠慮なく遭うがよろしい。良寛の言うとおりである。病気になりそうだったら、遠慮なく病気になるしかないのである。死ぬときは遠慮なく死ぬがよろしい。 

もう一度言う。良寛の言うとおりである。 

がんばる必要はない。すべてを天にゆだねて、淡々と生きるしかないではないか。焦ることもないのである。ただし、天変地異で災害に遭った方々にはこれは当てはまらないが。 

だからただいま目の前にいる方々を大切にすることである。それだけである。

できることをただただ淡々とやっていけばいいのである。いろいろ高望みをしてもできないものはできないのだ。博士になろうとしたって、某大学大学院から去っていくしかなかったのである。自分には自分しかできないことがあったのだ。それを忘れていた。だからこうなったのである。 

良い薬だった。

 

今日はこれから古文書講座に出かける。午前中である。終わったら、千葉市にある私立高校に打ち合わせに行ってくる。来月からアルバイトで講師をさせていただく。声がかかっただけでもありがたいものだとしみじみ思う。 

これでまた海外に行ける。コンピュータも買える。 

わははっははっはははっははっははっはははっははは。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

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8月28日(火)のつぶやき

2018年08月29日 06時23分06秒 | 独り言2018
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悪い見本の人間とは・・・・ボキのことだったりして

2018年08月28日 07時09分38秒 | 独り言2018

あんなジジイにだけは成りたくないって、言われても仕方なし(^_^)

 

 

「ああいうことを自分はしない」ということを、モットーとしている。若干批判的な心理が働いているが、世の中にはこの手のことを考えさせてくれる御仁がたくさんいるからである。あんなことだけはしたくないという言動や行動をする人がたくさんいる。

まさに教科書的存在である。だから感謝しているのだ。そういう御仁に。もっともこれはオトコもオンナも関係ない。どんな世界にもいるからだ。

しかし、「糾弾」することだけはしないことにしている。

自分が道義的に許せないと思う方々はたしかにいる。いるけど、それを糾弾しちゃいけない。

「自分は絶体にしないことにしよう」と思えば良いのである。つまり教科書である。

そんな程度の人間にハラを立てたり、怒りを覚えていると自己嫌悪のカタマリになってしまう。

同程度の人間にならないことである。

「頭にきてもアホとは闘うな」という本が売れていたから、ボキも買ってみた。まさにこのとおりである。アホとつきあっている時間があったら、自分を充実させていくことだ。なぜなら、まだまだ教養も十分ではないではないか。知りたいことはたくさんあるからだ。

それに、リラックスするための海外旅行もたくさん行きたい。死んだら行けないではないか。

よく海外旅行なんて行かないで、その分ゼニを貯めて老後のために備えるのだという人がいる。若い人にもいる。病気になったらどうするのだとか、老後のために備えるという若い人に会ったことがあるからだ。

むろんボキのような風来坊に対する批判も含んでいることは分かっている。まさに「ああいうことはしなくない」ということだ。悪い見本というわけだ。

しかしである。老後のために備えるというのはまだしも、病気に備えるというのは病気を呼び込んでしまう可能性もある。むろん保険には入っていての話である。だから海外旅行ナンテもったいないというのは、ちょっといかがなものか。

老後のためにといっても、限度がある。老後のためにと考え過ぎてノイローゼになってしまったらアカン。

ボキの居住地にはアパートを経営しているリタイア組が多い。定年退職して、退職金が入ったからといってアパートを建ててしまうのである。むろん銀行がよってたかってそういう御仁を口説きにかかる。融資もしてくれるらしい。

新しいうちは良いだろう。アパートも。

しかし、気をつけなはれや!

うまい話には悪意がこもっているからである。

そんな簡単にゼニが儲かるわけがない。

やはりボキのように副業にせっせと精を出して、稼ぐことである。そして、リラックスするために海外旅行でも行くことである。

高いパソコンも欲しいしねぇ。

デスクトップが。

 

こんなボキだが、それでもあんなジジイにだけは成りたくねぇって言われてしまうのかな?

 

それならそれで仕方なし。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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8月27日(月)のつぶやき

2018年08月28日 06時19分33秒 | 独り言2018
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ピエロのような存在も・・・あっ!そりゃボキのことなり

2018年08月27日 08時44分04秒 | 独り言2018

絶望と微笑み、哀しみ・・・ピエロのような心情もあり得るのではないか

 

 

崇高なる作家というと宮沢賢治を思い出す。作品もそうだが、人格も優れていると思うからだ。

あるいは絶望の作家だとも言われる。これは正岡子規も同様であって、二人とも大病を患っていたからである。

しかし、宮沢賢治も正岡子規もユーモアを愛した。いつもいつも眉間に皺を寄せて深刻そうにしていたわけではなかった。

このことでもって救われるのである。ボキのような庶民がである。ボキは、ゼニもなければ、カミの毛もない。学歴もない。人がうらやましいと思うような要素がまったくない。だからと言ってそれでもって死んじまいたいと思うようなこともないけど(^_^)。

ドストエフスキーだって、まるっきりの絶望の作家ではなかった。

楽しいことだってあったのだ。

でないと生きられない。

あまりに深刻ぶっていると、その深刻さが伝染してしまう。こっちにである。

逆に軽薄と言われても良し、明るく明るく生きていれば、なんでも好転する。

絶望というのは、紙の裏表である。表に絶望と書いてあったら、裏は幸福なのである。

病気になっても絶望しなくて良いのである。紙の裏表なんだから、なにも心配する必要なんてないのだ。

すべては受け止め方次第である。許容することである。過去も、現在も、未来もである。

このことは諦めるといことにも通じる。もっとも諦めるということは、普通あまり良い言い方とはされていない。むしろ悪いこととして糾弾されることもある。

しかし、諦めるというのは仏教用語では、もっと積極的な意味を持って使われている。良く言われることだが、あきらむるということでモノの本質をつくことでもある。

ボキは、悪文書きを趣味としている。このブログもまたそうである。なにしろ年齢不詳である。若いんだが、年取っているのだかよくわからないと言われる。他人にである。

それにボキは遊び方を知らない。酒場にも行かない。賭け事はまったくやらない。麻雀すらできない。囲碁も将棋も素人以下である。道具だけは持っているけど。

カラオケも行かない。綺麗なジョセーにも声をかけない。そんなことをしたら、確実にセクハラになっちまうからだ。

結局石部金吉なのである。カタイ。考え方も、モノの言い方もすこぶるカタイのである。

ボキなんてぇ自称の言葉を使っているから、なにかおもしれぇジジイなのかもしれないと思われるだろう。誤解の誤解、猪八戒である。

ホントのボキは、カタイアタマにカタイ性格で生きているのじゃ。

それが、ピエロのように哀しい心情で生きているのじゃよ。裏には、哀しさがあるのだよん。

サトウハチロー氏の詩に「ピエロ」というのがある。微笑み、苦しみ・・・・・ナミダとかいう一節だったような気がする。ちょっと思い出せない。あれですな、あれ。

ピエロは笑われてナンボでしょうけど、笑顔の裏になにがあるのか。

それこそ天のみぞ知るである。

 

わははっはははっははっはははっはははっははは。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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つまんなさそうに生きているよりも、面白がって生きている方が活性化できます

2018年08月26日 07時54分46秒 | こころの世界

面白がって生きていることだ。人生を活性化させるから。なんでもそうでっせ。

 

 

なんでもそうだが、「面白がる」ことが大事なことなのではないのかと思う。

一昨日の5番目のアルバイト決定もそうだ。面白がっているから、試験を受けてみる気になったのである。それに、ボキは普通科高校で授業をやったことがない。二校の農業高校のみで、あとは長い長いギョーセーショク&カンリーショク畑にいた。それで37年間のセンセ生活を終えてしまった。寂しいかぎりであった。柔道部の顧問も二校しかやっていない。柔道を一緒にやって、若い人たちとのふれあいを求めていたのに、出来なかった。

これもシナリオがあらかじめ書かれていたのである。そういう運命だったのだ。

だから、定年後に塾だの、大学の非常勤講師だの、通信制高校の講師だの、今回の私立高校講師だの、交通安全講話専門の講師だのとやっているのである。合計5つやっていると書いているのだ。

多忙だと思われるかもしれない。全然そんなことはない。時間だけ行けば良いのだから、拘束時間は短い。当然、収入も少ない。あたりまえである。時間的拘束が短いからである。

その代わり、充実している。勉強しなきゃこっちも困るからである。特に塾は、あらかじめどんな生徒を持つかわかっていない。ごまかしがきかない。実力勝負である。こいつはアタマの刺激になる。だから、毎日NHKの英語講座を聴いているのだ。しかも二つ。でないとわからないの連発になってしまうではないか。

したがって、スリルが多い。

ドキドキするようなスリルがある。(あまりドキドキするようなこともないけど)

これが面白いのである。

こんな面白いことはない。変人だと言われる由縁である。

 

わははははっははははっははははっははははっはは。

 

よく言われることがある。そんなに稼いでどうするんだい?って。誤解の猪八戒である。損得でやっているのではないからである。だいいち稼いでいない。時間数にしたら、まったく稼いでいるというのに値しない。そりゃぁ、毎日8時間稼いでいたら、これだけの種類をやっていたらずいぶん稼ぐことになる。

違うのである。事実上そんなことは不可能でもあるし。

ボキは、損得勘定は巧みな方である。あるが、面白がってやっているから出来るのである。ある意味、ボランティアのようなものである。

年金をいただいているから出来るのである。ありがたいものである。

こんな面白いジジイ生活を送ることができるだけ、シアワセである。

 

今朝は、いつも徘徊しているウオーキングコースで神社に寄ってきた。

これだけのアルバイトをさせていただいていることを感謝してきた。

神社に行っても、ボキはお願いごとをして来ない。ありがとうございますとお礼を言ってくるだけである。(神社はお願いごとをしてくる所にあらずと思っているので)

こんな風来坊のジジイが、今さら神社でお願いごとをしても、神様は呆れかえっているだろうから。

 

わははっはははっははははっはははははははっは。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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8月25日(土)のつぶやき

2018年08月26日 06時26分51秒 | 独り言2018
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バンザイ!ジジイ生活である。まだまだ新しい生活を求めて、しぶとく生きていきます。

2018年08月25日 08時30分46秒 | 独り言2018

\(^_^)/・・・9月からまたまた新しい生活が始まるのじゃ。退屈しているヒマがないですなぁ。わはははっははははっははははは。

 

 

昨日千葉市で面接試験を受けてきた。5番目のバイトである。暑い中ご苦労様なことである。まったく変人である、ボキは。

昨日は夜バイト(塾)もあったから、塾に行く前に、夕飯をありがたくいたいだいてmailをチェックした。そしたら、もう来ていた。合格であった。いくつになっても合格は嬉しいもんである。

ある私立高校の非常勤講師である。ボキは、派遣会社に所属しているから紹介してくださるのである。ありがたいものである。

それに、ボキはスーパーボランティアの尾畠春夫氏のような崇高なる精神はない。ゼニも欲しいし、カミの毛も欲しい(^0^)。

ゼニを小馬鹿にしている御仁も世の中にはたくさんおられる。清貧を自慢しておられる方々である。それはそれで立派なものであると思う。思うが、ゼニを小馬鹿にしているとゼニの方から逃げ出してしまいますぜ。ジョセーとおんなじでありまする。

わはははっははっははははははっははははっはは。

ゼニのことを「お足」というではないか。ゼニのことを嫌っているとゼニもわかってしまう。だからゼニが集まらないのである。ゼニにお足が生えて、すたこらさっさと逃亡してしまうのだ。追っかけていくとさらにスピードアップしてはるか彼方に逃げて行ってしまう。体験上。

株式投資を悪戯でやっていたときがそうだった。こっちから追いかけると株は逃げて行ってしまう。痛い目にあってからは株はやらないことにしたけど。あ、その前に投資資金がない。ご縁のないことはやらないことである。似合わないからだ。

ボキは年金暮らしで、ゼニもない。ないけど、ゼニのことは嫌いではない。あればアルほどよしと思っている。海外旅行だって、ゼニがなければ行けねぇではないか。

ゼニは、お足であると同時に、回るものでもある。ただひたすら貯め込んで銀行がうなるほどあってもしょうがない。使うべき時は、使ってみることである。それで世の中循環しているのだ。ケチって、ラーメン店にも行かない、じっとしていてエアコンも使わない、呼吸をするのももったいないという生き方ではしょうがないではないか。

服だって買わなきゃ店の人が困ってしまう。

クルマもそうだ。100万キロも走るようでは、自動車販売会社が困ってしまう。もっともタクシーに使われている車はかなり走るようだけど。

 

元気になったおかげである。

いろんなバイトができている。退職後にすぐさま入学した某大学大学院に行ったからこそ、今の境涯がある。3年後に中退せざるを得なくなったのも運命だったのである。アタマが悪いのに、学位を目指したから、中退したのである。だから健康を損ねたのだが、今はなんの問題もない。数値的には糖尿病でもなくなってしまった。血圧も正常。ドクターが不思議がっているくらいである。

逆に考えればツイテいたのだ。

考えを改めるために天があらかじめシナリオを書いてくださっていたのだ。やむなく中退したというのが逆に考えれば、ラッキーだったのである。だいいち、ボキが博士号を持っているなんて、似合わないではないか(^_^)。

 

もうすぐ9月になる。またまた新しいバイトで人間関係も幅が広がる。往復の通勤電車では、十分読書できる。Kindle10を買ったのも幸いするだろう。

楽しみである。

バンザイ!ジジイ生活である。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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8月24日(金)のつぶやき

2018年08月25日 06時21分03秒 | 独り言2018
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ボキの幸福論&不幸論・・・・ナンチャッテ(^0^)

2018年08月24日 08時03分46秒 | 独り言2018

幸福は不幸の後にくるから、人生はナンノ心配もないってことです。

 

 

今朝のウオーキングはラクだった。

秋風のようだった。涼しいというのではない。暑いときは、つらかった。帰ってきて汗びっしょりになったからである。

と思っていたら、今日も汗びっしょりになってしまった。NHKのラジオ講座を6:30から二つ聞いているからその前に帰ってきて準備している。ところが、やはり着替える必要が出てきた。

それからさっぱりして聞き始める。

むろんジジイだし、実力はついていない。海外に行っても英会話ができないからだ。無意識に出てくるようなレベルではない。

だから勉強しているのだよん。ヒマだし。やることもないから。

わははははははははははっははははははははははははは。

 

そして思う。

こんな生活をやっているが、ボキの前半生は不幸だった、と。今は、年金暮らしで余力は無い。ゼニもなければ、カミの毛もないが、それなりにシアワセである。家庭も崩壊しなかった。子どもたちもミンナそれぞれ家庭を持ってくれている。孫もいる。

感謝しているのである。

つまり、幸福とはその段階のまえに不幸があるのではないのかということである。

辛く・哀しい時間があってから、幸福になった方がヨロシイ。その方が幸福な現在がありがたいと感じるからである。比較して言っているのでは無い。今のことである。ただいまこの瞬間である。

この瞬間を感謝できないと、どっかでしくじる。

むろん、ボキの未来がずっと変化しないというわけではない。

どっかで変化する可能性はある。

それでも受け入れるしかない。そうなったらそうなったで、受け入れるしかない。

最終的には、死ぬのだからずっとこのままであるわけもない。

 

過去のことにこだわらないことである。

嫌な奴とは会わないことである。

過去のあるときにいじめられたら、そのことは放っておいてそんな奴とは会わないことである。親類だから無理だと思わないことである。会いたくなければ仮病を使ってでも会わないのだ。大人なんだから、それくらいできる。そのうち気がついてくれるだろうから。

この時にタメグチをきかないことである。言葉は丁寧にやって、遠ざけるのである。いんぎん無礼で結構である。結構毛だらけネコ・・・・である(^0^)。

せっかく、過去のある時期において、嫌な体験をさせてくれたのである。つまり、不幸な体験をさせてくれたから、会わなくても良しという判断をさせてくれたのであるからだ。そういう意味で、今の幸福は過去の不幸にあると言うのである。

逆に感謝してやれば良いのだ。

嫌いな奴からは、気持ち悪いとなって、逆に遠ざけられるだろう。

それを自分が望んだのだから、それで良しとしなくちゃアカンですなぁ。

過去の不幸も、明日の幸福のためになる資金源としていけば良いだけである。

 

今日はこれから千葉市に出かける。五番目のアルバイトの面接試験がある。午後1時からである。楽しみである。これもアレですな。過去の不幸体験があるから、オファーがあるのですなぁ。

笑ってばかりいるだけのジジイでありますけど。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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8月23日(木)のつぶやき

2018年08月24日 06時20分02秒 | 独り言2018
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/