・あと3時間である。新しい世界への旅立ちが待っている。楽しみである。明日は、4月1日であるからである。時間というものは、冷酷である。ただ過ぎ去るだけであるから。そんなもんなのであろう。一切の感傷を許さないのが時間というものであろうから。
・ホントに、好き勝手に生きてきてしまったのだなぁと思う。高校時代は、かなりの進学校であったのに、食えもしない勉強をやりたいと言って親父を困らせた。これは今もって親不孝をしたと思っている。今になって、親父の言ったことが身にしみるからである。
・親父は、シベリア抑留を経験した軍人であった。第二次世界大戦で我が日本軍が負けた時に、ソ連軍にシベリアの奥地に引っ張っていかれた。死を覚悟したという。戦友達も、多くが凍死と餓死をしたのだった。いつもその話を聞いて育った。なんという過酷な体験であったろうと思う。
・親父は、マルクスにも詳しかった。実地体験として、当時のソ連の政治体制を知っていた。
・抑留体験が、親父のこころの奥底にニヒリズムを棲まわせたんだろうと思う。戦後の人生は、余り物の人生であったのだろうと思う。哀しい体験であった。戦争こそ憎むべき体験である。
・しかし、そういう親父にいろいろなことを聞いたということは、私に早熟な体験を迫ったのである。これは否定できないことであった。
・もうちょっとまともな小中学生時代、高校時代を送っていたら、おそらく私は教師にはならなかったであろう。本当に、国語が苦手であったし、興味のあったのは別の分野であったからである。
・高校時代の弁論大会というのに出場するのが大好きで、私は、バカなことに、まったくバカなことに、将来は世界に雄飛する経済人でありたいとくっちゃべったのだ。わらっちまいますなぁ。聞いていた同級生達もあきれていただろうと思う。バカが、またあふぉ~なことを言っていやがるというもんであったろう。
・いいんだ、いいんだ。青春というのは蹉跌の連続である。失敗があっていいのである。だから、私は生徒に対しては優しい先生であったと思う。だから、今でもつながりが教え子たちとあるのである。ありがたいことである。
・ただし、一点謝罪をしなくてはならん。それは、こんな変わり者の教師に関係性を持ったことを申し訳無いと思うからである。所詮、私は多くの教師達のようなエリート性に欠けるからである。欠けるどころかまったくないんである。教師というと、ほんとうに優秀な方々ばかりである。私はそうではないからである。劣等生で、カネもチカラもない。(美男だと言っているのでもない・・・トホホ)
・大学の学部だって、新聞配達をして通学したのだ。本当に貧乏だった。おっと、それは今でもそうだが。
・ただし、学部時代の同窓生の誰にも負けないくらい本を買った。新聞奨学生をやっていると、まじめにやっていれば相当の収入がある。食事の心配も無い。住むところの心配もない。問題は、時間がなかった。夕刊配達があるから、午後の2時までしか学校にはいられないからである。時間の圧倒的な不足を、自学自習するしかなかったのである。しかし、これは勉強になった。
・大学院に行った同窓生もたくさんいた。私は、ダメだった。出席時数を心配しているようでは、所詮ダメである。つまり、お坊ちゃまではなかったからである。学部の同級生達は、いじけている私を随分激励してくださったものである。感謝している。今でも。
・男子学生で、後に長野県の高校の国語教師になった細*君には本当に今でも感謝している。あまりに多忙な私が、学校の欠席が多いので、心配して新聞販売店まで迎えに来てくれたこともあった。長野県の温泉町の旅館の息子であった。優しい男であった。ありがたいことである。
・彼も今年退職したのである。
・これからはどんな人生を送るのだろうか。旅館のご主人で悠々自適なんだろうなぁ。うらやましいですよ。
・そんなわけで、私は女子学生にはまったくもてず、反感ばかり感じていた。ちゃらちゃらして学校に遊びにきているような輩はとくに嫌いであった。もっとも、あちらさんも大嫌いであったでござんしょうが。
・そのころから、プチブルというか、ブルジョワというか、金持ちが嫌いになったんですねぇ。こっちにカネがないからでしょうけれども。
・今日は実に嬉しい時間を送っていた。孫とずっとニコニコしていたからである。かわいい。実にかわいい。まるっきり崩れている。カオが。(^0^)/ウフフ
・どうでも良いんだけどね。死んだ親父が、今の私を見たら叱るだろうな。もっと勉強せいって。やってますぜ!親父ドノ。早く独立心を育成していただいて、感謝しています。ちょっと変わりモンになっちまったケド。ま、後悔はありませんです。ホントに。それなりに充実していたし。
あと2時間30分だ。待ち遠しいです。