と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

悪夢・・・・・・・ううううううむ。アクムだった。昨夜の夢は。ア・ク・ム。

2019年03月31日 06時09分01秒 | とーま君の流儀2019
潜在意識が夢を支配するということを聞いたことがあった。当たっていないのかも知れないが。しかし、昨夜は自己嫌悪に陥るような実にイヤな夢をみた。内容は書けない。いかにボキが悪行三昧の生き方をしてきたかという証左でもあった。

これだからイエスや親鸞にひかれるのである。原罪というやつだ。まったく、他人の悪口を言っている暇はない。

社会のしがらみの中で、たしかにいろいろと苦労をしてきた。だからと言って、根こそぎ恨み辛みを夢の中で晴らしているようでは、アカン。夢で出てくるのだから、そうとうに因縁深い。

これだもの、悟るなんてぇことはできないわけである。無私無欲なんて所詮無理。ただのボンクラである。話にならない。所詮ただの庶民であるから。それにこんなくだらないブログなんかやっているようでは、ひたすら自分を消していた中根東里のような偉人に笑われる。彼については、拙ブログでも書いたことがあった。まさに覚者であり、偉人である。ひたすら、自分を消していた方である。

ウキによると
>中根 東里は、江戸時代中期の儒学者。名は若思、字は敬夫、通称は貞右衛門。 伊豆国下田村生まれ。父は三河国出身の農民で医師を兼ねていた重勝。13歳のとき父が死去し、母の勧めで出家して地元の禅宗の僧となった。のちに山城国宇治の黄檗山萬福寺に赴いて中国語を学び、次いで江戸駒込の浄土宗蓮光寺に移り読書に励んだ。 
と書いてある。

この方は実にエライ。
ご自分の実績とか、功績とか、名前すら消していこうとされていた。だから尊敬しているのである。身寄りのない姪っ子を引き取って育てたようだが、結婚もしなかった。

関連書籍もあまりない。最近有名になった磯田道史先生の「無私の日本人」くらいか。図書館にも予約してあるから、今日取りに行ってみるけど。

それより佐野市に庵を結んでおられたというから、行ってみたい。写真に写してきたい。佐野市の方々はこころから中根東里を尊敬しているとも聞くからだ。

有名になりたいとか、士官のために学問をやっていたのではないからだ。生涯貧して姪っ子のためにただ一冊の本を遺した中根東里である。生き様がさわやかである。

米びつが空になったら、履き物を作ってそれで飢えをしのいだ。じっとして書物を読むばかりの生活である。こういう生活をこそ研究者の生活というのであろう。

とうとう、飢えが迫ってきたときも、すぐには死ぬまいと水だけを飲んでいた時期もあった。

それにひきかえ、ボキはなんという男だ。あさましい夢を見て、しかもアルバイターと自称して副業三昧である。勉強の方も全部中途半端である。最終学歴は、大学院中退だし。話にならん。読んできた本も全部かじっただけである。部分読み。古事記も日本書紀も源氏物語も通して読んだことは一度もない。いろんな参考書を片手に、読書カードをとってきただけである。いい加減なのだ。

うううううううううううううううううううううううううむ。

中根東里のように生きることはできないだろうが、せめて学習をする姿勢、名誉欲といったようなチンピラのごとき姿勢だけはかなぐり捨てたいと思う。だったら、昨夜見た夢はアクムではなかったのかもしれない。


孫二人が今日は帰ってしまう。男児二人である。彼らのシアワセを祈りつつ、今日も元気で、歩いてきたい。

BYE-BYE!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月30日(土)のつぶやき

2019年03月31日 05時51分11秒 | とーま君の流儀2019
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/