異界との遭遇・・・・?
昨日もまたまたいい一日であった。今日もそうありたいものである。朝から晴れているし。
昨日は、古文書講座に行ってきた。楽しかったねぇ~。土佐日記である。しかし、読むのは四苦八苦。予習しているから、なんとか読めた。しかし、細かいところは講座の大先輩たちに叱咤激励されながら、二時間を過ごしていた。文法的なことは、そんなに苦にならない。四〇年近く教壇に立っていたので、できる。できるようなものの、パーフェクトにできるかとなるといささか怪しい。他の学説まで網羅的に把握しているわけではないからである。だから、知ったかぶりをして、フンフンとかやらない。講師センセの説明に頷きもしない。できるわけがない。わかっちゃいねぇからだ。
そんなことをしていたら、無頼を気取っていた学部生時代の恩師石田穣二先生に笑われる。石田先生もあちらの世界に入られた。だんだんとそういう世界のことが気になってくる。
思うに、こういう異界の世界に興味を持つようになったのは、50を過ぎてからであろうと思っていた。しかし、そうでもなかった。ガキのころからだったなぁ。
みちのくの自然に囲まれていたから、なんとなく異界の存在というのが、身体で感じられたのだった。奥羽山脈が故郷の赤湯温泉から間近に見えたし、山が連続しているのだった。大都市の仙台まで道が続いていると思うと興奮した。大都市仙台は、あこがれの町であったからである。文化都市であったからだ。あそこには、能力がないと住めないし、ましてや学校に入って学生生活を送ることもままならぬ程である。つまり能力がないと、住めないのである。そういうように思っていた。今でもそう思っている。
東京は若干それが違っている。東京は、文化の都市というよりは、ビジネスの都市である。文化的な施設が多いのは百も承知である。しかし、なんだかなじめない。
みんな時間泥棒みたいに、セカセカ歩いている。そんなに一秒でも惜しい仕事ばかりしているのであろうかと思ってしまう。
最近は、浜松町の駅に行くことが多い。高速バスで居住地まで帰ってくるからである。なにしろ安い。JRより。
だから大いに助かる。なにも、毎日東京に行っているわけではない。たまに行くだけである。博物館とか、国立能楽堂に行くだけである。大学院生時代は、紀尾井町の校舎に行くときもあったが、もう無縁坂になっちまった。終わったのである。完全に。ま、致し方ない。
あと、東京に行くときというと、羽田を利用するときだ。浜松町から行けるし。羽田も便利になったなぁと思う。7月にカナダに行くが、成田から行くか、羽田から行くかまだ分かっていない。国内旅行も、飛行機の方が安くて助かる。なんで、飛行機の方が安いのか不思議でしょうがないのだが、ま、安ければ安い方がいい。5月には、秋田県の秘湯に行ってくるけど、これも自分で運転していくのは不安になったから、JRにした。東北新幹線で、グリーン車に乗れるというツアーがあったから、予約した。まだ、ちょっと体力が不安であるから、そういう旅行をするしかない。
これが、大型バイクで東北自動車道を走っていたのだから、変われば変わるものである。がっくりしてしまうけど。
晩学で異界のことを勉強しているから、鬼来迎なんていうものとの出会いがあったのかもしれない。
鬼来迎は一つの手がかりである。
いわゆるkeywordというやつである。そこからいろいろな事が派生して読書してきた。
一番収穫があったのは、仏教そのものよりも、仏教民俗学との出会いというか、周辺の学問との出会いがあったということであろう。もとより、南都仏教寺院の唯識学に興味があって始めたことである。しかし、仏教哲学とか、唯識学なんて専門の僧侶にでもならない限り、追っつかない。
山の麓を徘徊して一生を終わるしかない。
だから、手がかりを鬼来迎に求めてみただけである。
そしたら、課題が見つかる、見つかる。だから調べ物がたくさん出来てきた。そして片っ端からそれらの資料(史料)を読破してきた。最近は、日中比較芸能という視点からゴミ論文を書いていたから、材料はいくらでもある。材料がいくらでもあるから、楽しいのである。
むろん、他人にそれらを教えるためにやっているのではない。こういうことをやることによって、自己救済を図っているだけである。学部生時代に、ドストエフスキー全集を完全読破したが、あの時も自己救済のために読んでいたのだった。新聞配達店の寮で。
自己救済というと格好がいいが、自分で行う治療と言ってもいいのかもしれない。中島敦みたいな大作家でも、そういう傾向があったからである。キリスト教作家の椎名麟三に至っては完全にそう言っている。書くことによって、虚無主義からの離反を図るということをである。共産主義からの転向問題を扱った作家だからである。懐かしい。なぜ懐かしいか。
学部卒論のタイトルが「椎名麟三」だからである。今でもとってある。書庫の中に。懐かしかったなぁ。
椎名麟三は自殺未遂もなんどもやった。だから異界との接点があったのだろう。
修士のときには、ケン・ウイルバーを核として、岡部守也論を書いてみた。これもまた異界をどうとらえるかという私なりの考えてみたことであった。
まもなく、私も異界へと出かけていかなくちゃならない。誰でもそうである。そして、それは帰ってくることの出来ないツアーである。しかも、たった一人で行くしか無いツアーである。
しょうが無いけど、人生のたった一つの真理である。
誰だって死んじまうのだから。
さ、今日も良きことのみを考えて、ニコニコ笑いながら過ごしまひょ。
人生ツアーの一瞬、一瞬を大切にしながら。
(^_^)ノ””””