文武両道とかよく言います。
このBLOGにも県銚の特色としてよく取り上げるのですが、今日はちょっと違った面からアプローチしましょう。
あれは文武両輪と言って、江戸時代の学者である中江藤樹先生が「翁問答」で非常に面白く書いています。
わたくしは、一般的に文にしても、武にしても表面的な使い方しかしていないと思わざるを得ないと思っています。
文が勉強、武が部活動という形でしか使われていません。
それはちょっと違います。
江戸時代の武士は、文を軟弱なものとして退ける傾向があって、中江藤樹先生御自身は祖父から学問せよと激励されていました。祖父自身が若い頃学問をしてこなかったし、それゆえにこそ藤樹先生は努力をしたわけです。(※藤樹先生は脱藩してまで母上に孝行した方として知られています。本当にまた別の機会に書きたい方です)
戦国の世の中からようやく落ち着いてきたものの、まだまだ豊臣政権の崩壊から再度天下をねらう機会を待っている方々も多くおられたし、伝統的に武の方が専らな時代であったわけです。徳川になって人心を和らげようと学問を奨励しはじめたわけです。
そういう時代をふまえて読むと実に面白い。
文庫でも出ていますから、一読を。
翁問答に「元来、文武は一徳にして、各別なるものにてはなく候」とあります。それが藤樹先生の答えです。
徳を一にするというのは、「尚書」で、質的な違いが一つと二つではあるということが書かれているのです。武無き文は真実の文にあらず、文無き武は真実の武にあらずなのです。
要するに文武は同根一体、文の根は武、武の根は文であります。一方にのみとらわれることなかれということです。
ついでに武は、「説文」では「それ武は、功を定め、兵を止む。故に戈を止むるを武となす」とあって、武のPowerを使わない、剣でいえば刀を抜かないのを理想とするわけです。
故に戈を止むるを武となすを政治の世界に応用したのが、勝海舟と西郷南州の世にも有名な会談です。江戸無血開城です。
勝海舟という人は、剣の達人であったにもかかわらず、一度もその剣を使ったことがなかったと言われています。剣を使うのを封印していたとも。
夕雲流という流派では、相抜けということについて触れてあり、剣は人を切るのではなく切らぬ事に極致があると。よくドラマで、剣の達人同士が試合をして、長時間なにもせずにいて、最期にお互いに剣を納めて終わる場面があります。あれです。吉川英治先生の小説から知ったことですが。
一瞬の後先を争って、喧嘩のように騒がしくやるのではありません。
これは世間智です。
人間関係のコツです。自分の立場だけをがぁがぁと主張するだけでなく、相い抜けということもまた視野に入れてほしいと思うときもあるからです。
勝海舟という方はわたくしにとっては非常に面白くてならない方です。興味の尽きない方です。実績や、やったことを跡形もなく消してしまう方で、これもまた凄い人です。忍者の末裔ではなかったかと言われる学者もいて、もっともこちらはまだ定まっているわけでもないということですから、この辺で。
これについてはまたの機会に紹介いたしましょう。
体験入学でそれこそ文武一徳を志向する本校を見てください。一部の成果主義の立場の方から見たらまだまだですが。ここのところは謙虚に書かせていただきます。
待っていますよ。