今日もいろんなことを考えさせられた。
あるトラブルを解決していたからである。しょうもないことで、相談されたから身を乗り出したのだ。頼まれたら、人肌脱ぐのがボキの特性だからだ。なにしろ、30代、40代、50代の方々とは比較にならないのがボキである。経験値が違っている。これは自慢して言っているのではない。事実である。それだけ、ボキはいろんな意味で修羅場をくぐってきたからだ。ボキが修羅場であったというわけではない。ボキなんか、なんのおもしろみもないし、ただひたすら堅い朴念仁だけだというだけである。
人情の機微を知らないから朴念仁だと思っているだけである。
人情の機微を知れと言われたのは、大学学部時代である。それこそが、哲学の基本だと教えていただいたからである。直接教えていただいたのではない。ボキの親友が聞いたことである。親友は、最初の大学学部で一緒だった。そして、親友はわずか47歳で亡くなってしまった。酔って自転車で家に帰る途中でクルマにひかれて死んでしまった。
彼もボキと同様、苦学した。新聞配達をしていた。だから仲が良かったのである。彼は、ボキと違って優秀だった。大学院の修士課程にも進学した。ちなみに、ボキは優の数が極端に低いということで、大学院は受験すらできなかった。
亡くなる前には、離婚していたことも葬式後に知った。彼の元奥様を知っていたからである。彼と奥様と一緒に旅行にも行ったからである。それだけ、お互いに信頼していた。
苦労仲間との絆は深いからだ。
それにしても、若い方々たちは枯れていない。
生きることの初歩も知らないからだ。
ボキは離婚なんかやっちゃいけないと思っている。離婚するんだったら、結婚しなければ良いと思っているからである。
そして、そんなに愛欲って大事なんですか?と聞いてみたいからである。愛欲なんていつかは枯れる。
そのとき、後悔するだろうからである。
そういう意味でボキは、愛を説くキリスト教が信じられないのである。ウソが混じっていると思うからである。アガペーというのは、後から創作されたけである。愛がすべてあるとは思わない方がいい。どっかで人生を踏み外すからだ。
若い方々には、シアワセになって欲しいと心から思っているからである。
ボキのように、退職後の人生を楽しむことができるのである。もう後がないからこそ、楽しむことが可能になるからだ。
うううううううううううううううううううううううううううううううううむ。
そういうことである。
BYE-BYE!