六戸の旧家
ご存じ十和田湖の資料
十和田湖の信仰の対象
これもまた十和田湖の岩石信仰
弘前のネズコ
中尊寺の民俗資料
巨木信仰と祠
代々の僧侶達の墓
重要文化財 宝塔とあった
弁慶堂由緒
いつものとおりの資料です。
なにしに行ったのかということは、さておきまして、愚生の興味次第でなんでも写してきましたです。
ご笑納くださいませ。
(^_-)-☆
六戸の旧家
ご存じ十和田湖の資料
十和田湖の信仰の対象
これもまた十和田湖の岩石信仰
弘前のネズコ
中尊寺の民俗資料
巨木信仰と祠
代々の僧侶達の墓
重要文化財 宝塔とあった
弁慶堂由緒
いつものとおりの資料です。
なにしに行ったのかということは、さておきまして、愚生の興味次第でなんでも写してきましたです。
ご笑納くださいませ。
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”「日本海側→太平洋側」に風が吹き降りるフェーン現象は、強い寒気による北西の風が吹き荒れるときに発生します。冬の太平洋側で空気が乾燥するのは、フェーン現象の影響です。” j.mp/USyAr1 『気象学のキホンがよ~くわかる本』岩槻秀明
あー某知事は宗教に関する知識とかそれを信仰する人間のマインドが全く理解できていないのが、あからさまになってしまって気の毒ですな。本質はオリンピック誘致とかそう言う問題ではなく、もっと深刻なんですよ。トルコは友好国だから、紳士的なコメントだけど、もう口つぐんどいた方がいいね。
安比ホテルから弘前城へ。ここも桜の花のいいところ。まだまだ花の精霊は、ご機嫌斜めでありました。あなただけに、お会いしたいと強烈に申しあげませんと、... blog.goo.ne.jp/tym943/e/e9fc0…
だから、桜はいいのである。印象としての美は消滅してしまうからである。良い体験をさせていただいたものである。美しいものとは、やはり生涯ご縁がないとい... blog.goo.ne.jp/tym943/e/90ab7…
やっと帰ってきました。花の精霊に誘われての、旅。名付けて、「花も恥じらう『中高年バスツアーの旅』」でござりましたよん。吉永小百合様のような... blog.goo.ne.jp/tym943/e/02e77…
史上初、青森で桜が梅を逆転 tenki.jp/forecaster/dia… 29日、青森地方気象台はソメイヨシノの開花を発表。梅の開花発表はまだなし。桜前線が梅前線を追い越すのは統計開始以来初。GW後半にかけて今年の桜は長持ちしそう。
東京・日本橋の三井記念館で特別展「河鍋暁斎の能・狂言画」開催中。 bit.ly/9mvJgV 「暁斎自身が能を愛好していたため、作品は舞台を活写する臨場感にあふれています。」
<能楽>被災の碧水園 修復 宝生流宗家ら復興祈念能(東京新聞4/29) tokyo-np.co.jp/article/entert… 「東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県白石市の碧水園能楽堂で『東日本大震災復興祈念 碧水園修復完了披露能』…狂言『呼声』…能『巻絹』のほか…『忠信』を披露」
蟹満寺釈迦如来坐像:優秀な仏像ながらも由緒、伝来がはっきりしないため、来歴の謎をめぐって長い間論争が繰り広げられてきた金銅仏。平成17年の調査で、白鳳創建以来の旧仏と判明。twitpic.com/9eeifs
白髯神社といえば謡曲「白鬚」。尉と姥のお守りもありましたよ。 twitpic.com/cmn7fb twitpic.com/cmn7gb twitpic.com/cmn7hd
河鍋暁斎、って翁初日の式や安宅延年の舞「貝立貝付」なんていう、プロ級の免状まで取ってる。相当プロ級の狂言役者として舞台に立ったのでしょう・・・能画にそれが生きている。
能楽公演 長山桂諷会のお知らせ 5月3日(金・祝)於:国立能楽堂(入場料無料)長男 凜三(7歳)が初シテ(主役) 能「合浦」を勤めます。出演者は、宝生閑師、野村万作師 二名の人間国宝をはじめ、お囃子、地謡ともに豪華メンバーです。詳細facebook.com/nougaku
こんにちは!皆様連休をいかがお過ごしですか?さて公式ブログ「のうがくぶろぐ。」(nohgakubu.blog82.fc2.com)にて記事の更新を行いました。今回は新歓イベント『「ふくおか市民能」観能会』についてです!九大能楽部はGWも新歓真っ盛りですので、どしどしおいで下さい^^
”長崎の人口の実に五人に一人が中国人だったようだ。人種構成の国際性にもかかわらず、町は完全に孤立した場所だった。” j.mp/xoU3x1 『大江戸視覚革命 十八世紀日本の西洋科学と民衆文化』タイモン・スクリーチ
教師の再教育徹底の必要を伝える記事。1945(昭和20)年10月24日,朝日新聞。教師の再教育も,戦後初期の教育の民主化の一環をなしていた。しかし,180度の転換を強いられた教師の側の戸惑いは大きかった。子どもに土下座する者も…。 pic.twitter.com/hJBJN3pcfl
サンデー毎日特別増刊『完全版・高校の実力』(2010年6月12日)。全国4999高校の主要大学合格者数を掲載。本日のブログ記事「有名大学合格者のジニ係数」の参照資料はコレ。バックナンバーは,都立図書館にあると思う。 pic.twitter.com/0ii6UPUFPQ
一人ぼっちで原稿を書き続けて、ようやく昼休み。『提督の決断』の寄港中の音楽を聴きながら昼食のカレーライスを食べると、「つかの間の休息」感がすごい。 大学時代も、よくそんな事していたなと思い出す。
薬師寺金堂薬師三尊像:本尊の薬師如来を中央に、脇侍として右に日光菩薩・左に月光菩薩を配する。造像時期は、藤原京の薬師寺から移したか、平城京で新造されたかで学説が二分する。twitpic.com/8mt24k
”妊婦が特に吸血鬼になりやすいとみなされるのも、分解過程のせいであろう。一説によれば、妊婦の体が分解するときは「約48~72時間で…胎児が子宮から押し出されるだろう」。” j.mp/H7PPA3 『ヴァンパイアと屍体 死と埋葬のフォークロア』ポール・バーバー
ああああああ、まだ北上市に花の精霊はおられたのだった。
NHKでアテルイの物語を見たから、
あのアテルイを演じた俳優の美男ぶりに
惹きつけられたのだろうかと、思った。
ハハハハである。
しかし、美しいものは美しいなぁ・・・・・・・・・・と思った。
花も恥じらう、中高年のBusTourであるけど、
それでも、
花の精霊は
愚かな愚生を、
助けてくださったのだ。
明日からも平気で、生きていきませうねって。
やさしい声で、愚かな、花狂いの老人を慰めてくださったのである。
女性特有の愛と花の精霊は一致しているような気がしてならない。
本当に、女神であると愚生は思う。
美しい花と、
華麗な美と
そして、
あっという間に散ってしまう命と。
全部、一緒である。
美しいものは、印象であるが故に儚いのだとずっと思ってきたのである。
あるいは、逆も真なりである。
印象であるということは、実相では無いということになると思ってきた。
印象は、消滅とともに存在を否定される。
だから、桜はいいのである。
印象としての美は消滅してしまうからである。
良い体験をさせていただいたものである。
美しいものとは、やはり生涯ご縁がないということを、
思い切り教えていただいたからである。
儚さというその一点において。
オレも儚いおのこではありましたが・・フフフ
(^_-)-☆
安比ホテルから弘前城へ。
ここも桜の花のいいところ。
まだまだ花の精霊は、ご機嫌斜めでありました。
あなただけに、お会いしたいと強烈に申しあげませんと、なかなか会ってくださらないようでした。
三分咲きくらいでしたでしょうか。
関東があれだけ早く咲いて、散ってしまったのでしたから、愚生は焦ってお会いしに行ってみたのですが。
ムムム
相変わらず、ご縁がないですなぁ。
綺麗なものとは。
(^-^)/
やっと帰ってきました。
花の精霊に誘われての、旅。
名付けて、「花も恥じらう『中高年バスツアーの旅』」でござりましたよん。
吉永小百合様のような、美人が小京都角館を和服を着て歩いておられるのかもしらんと思って行ったのですが。
悲惨なことに、見栄麗しい花の精霊は、逃げて行ってしまっておられたのです。
角館は、これで4回目くらいですがねぇ。
花の季節は初体験。
ま、愚生のような無骨者では、花も恥じらう花の精霊は逃げますなぁ。
当たり前であります。
今度は、Busツアーではなくて、新幹線で花が咲いたその日のうちに、行ってきます。
マジに。
角館駅から、歩いて行けるからです。花の精霊とのデート場所には。
(^_-)-☆
ここが愚生の死に場所となるだろう。これでいいのだと思う。何歳まで生きるかわからないけれども、いい学校に入学させていただいたものであるとシミジミ思う。先生方は超一流だし、クラスメイトにも恵まれた。... goo.gl/upiMn
希望を失っちゃならんのだ。 頑張ろうじゃないか。慢心せず。オレは、オノレは秀才である、評価してくれないのは、世間が悪いという悪い冗談だけは、金輪際言わないこった。そう思うのである。 goo.gl/3tCQE
”学生のアンケートで、ときどき意外な調査結果に出合うことがある。心霊番組は「絶対に見ない」という回答の理由が、心霊現象の全否定かと思いきや、「見ると怖くて夜寝られないから絶対に見ない」” j.mp/yvu4Qx 『テレビと宗教 オウム以降を問い直す』石井研士
2011年中の少年鑑別所・少年院入所者の保護者。母子家庭や父子家庭が多くを占める。少年院入所者では半分以上。母数を考慮すると,これらの群からの入所者出現率は相当高くなる。詳細は→tmaita77.blogspot.jp/2013/03/blog-p… pic.twitter.com/eKTNwtyxcy
【キアズマ/近藤 史恵】食べるのも眠るのも生きるのも、すべて走るため。それはほんとうに、祈りみたいだ。何のためにそこまでって、もう思わない。 →bit.ly/XWNPnC #bookmeter
【新華社済南4月25日】中国の考古専門家は先頃、山東省湽博市の臨湽斉国古城内の今鬫家寨村の南側一帯で発掘調査を実施した。…約2年間の発掘と研究の結果、この遺跡は今から2000年以上前の前漢時代の銅鏡鋳造工房だったことがわかった。古代の銅鏡鋳造工房遺跡が見つかったのは世界で初めて。
歩き遍路、足湯で接待/坂出にヘンロ小屋完成 | 四国新聞社 shikoku-np.co.jp/kagawa_news/lo… 建築家の歌一洋近畿大教授がスタートさせた「四国八十八カ所ヘンロ小屋プロジェクト」の一環。場所は四国霊場78番札所・郷照寺から79番札所・天皇寺に至る遍路道沿い。
興福寺天燈鬼・龍燈鬼像:西金堂に安置されていた像で、通常四天王に踏みつけられる邪鬼に仏前を照らす灯篭の役目を与えた。ユーモアあふれる鬼彫刻の傑作。twitpic.com/8mus4n
菩薩練供養の全25回を達成へ - 中国新聞 chugoku-np.co.jp/News/Tn2013042… @ChugokuShimbunさんから 金色の菩薩(ぼさつ)の面を着けた女性が練り歩く「回向祭・二十五菩薩練供養」が27日、周防大島町久賀の浄土宗阿弥陀寺である。
教育支出、OECD諸国並みに…中教審が答申 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) yomiuri.co.jp/politics/news/…間もなく公表されるだろう。教職教養テキストに入れねば。
新入行員研修でお遍路巡り=徳島http://-WSJ.com on.wsj.com/ZJDVX0 @WSJさんから 徳島銀行はこのほど、新入行員研修の一環で、四国霊場八十八カ所を巡るお遍路を行った。地元の文化を体感し、目標を達成する大事さや諦めない意志を学ぶのが目的
現在国立能楽堂の展示室でも河鍋暁斎の絵を観る事ができます。こちらは、猩々の絵ばかり数点。お酒に群がったり悪戯したり。生き生きと可愛らしい!暁斎もお酒が好きだったとか。自身と猩々を重ね合わせていたのでしょうか。 ntj.jac.go.jp/nou/event/2553…
縁側でちょっとつまみながら酒飲みながら、自然を感じ、人生を考える。二年前に亡くなった隣のおじいはきっと毎晩そうしていた。島酒と島豆腐と少しの葉っぱ。たまに一緒に呑むといつも冗談ばかり。長生きはそういう時間から生まれる。
このコメントはありなのか→「京大院元教授「預けた金流用しただけ」収賄を否定」“辻本被告は、業者に預けていた研究費を私的流用しただけと主張”(テレビ朝日より)news.tv-asahi.co.jp/news_society/a…
東大寺重源上人像:東大寺俊乗堂の本尊で、1180年の平重衡による南都焼き討ちから東大寺復興造営にあたった大勧進俊乗房重源の肖像彫刻。重源に多くの造仏を依頼された慶派により、重源の死後、間をおかずに制作された。twitpic.com/8muq82
研究者として生き残りたければ、まず、提案をしないと。受け身でいたら、おいしい話は、待っていても、絶対に転がってこない。竹内健 @kentakeuchi2003
中央大学 理工学部 教授 スタンフォード大学 MBA 東京大学 PhD アート・子育て・LSIのデザイン 著書「世界で勝負する仕事術 最先端ITに挑むエンジニアの激走記」(幻冬舎)
愚生は研究者でもなんでもないただの道楽・偏屈じじぃであるが、上記のタイトルのようなことを耳にしたり、見たりしてすこぶる感ずるところがあった。中央大学理工学部教授の竹内健先生のTwitterからである。これは。「提案」の部分を「情報発信」と言い換えてもいいと思う。つまり、地域活性化とか過疎で悩んでいる場合にも当てはまるような気がするのである。どうだろうか?こういう問題に取り組んでおられる方々へ聞いてみたいことである。
地域の活性化とか、あるいは学校の活性化とか、生き残りとか、いろいろあるだろうと思う。愚生の場合は、学校に限ってささやかな仕事をさせていたいだただけであったから、そんな大言壮語はできない。そんな資格もない。ただし、愚生の現役の時に勤務させていただいた高校は、レヴィー・ストロースではないが、「生き残り」だけは成功したのである。もっとも、その生き残りということを徹底的に考えて、何をしたら良いのかということを、それこそ構造主義的に思考した結果だったとも言えると思う。ま、自分だけそう思っているのかもしれないがねぇ。
在籍校に入学させていただいてからも、この公式は当てはまった。院生に入学して、1年目からバリバリ論文を発表させていただいた。いろいろな幸運が重なったから、こうなったのであるが、まことに幸運の神々に感謝したい。
さらに根底には、「受け身」で無かったということがある。待っていたって、おいしい話はゼッタイにこない。学校の生き残り戦略もそう。論文の執筆機会を得るということもそう。底辺には、「受け身では無い」という姿勢があるからである。積極性と言ってもいい。
ともかく一歩を踏み出すことである。一歩を踏み出さなくては、何も実現しない。そうではないか。足はなんのタメにあるのか。ただ立っているだけなら、誰にでもできるのである。他人の真似をしていたって、なにも実現しないのである。足は使ってこそ足である。
天涯孤独の環境から、愚生は居住地に住むことになり、そして老いていくことになった。(事実、老いちゃったケド)さらに、この地で病を得て、死んでいくことになる。愚生の親に関連する親戚は殆どいない。言わば愚生は流れものである。マレビトのようなものである。ほんとうにそう思う。マレビトと違うのは、居住地にマレビト世を招来できなかったということくらいか。五穀豊穣の宝舟を、連れてくることもできなかったしなぁ。
(^0^)
その代わりに在籍校に入学できた。ここが愚生の死に場所となるだろう。これでいいのだと思う。何歳まで生きるかわからないけれども、いい学校に入学させていただいたものであるとシミジミ思う。先生方は超一流だし、クラスメイトにも恵まれた。実にありがたいかぎりである。これ以上何を望むことがあろうかと思う。
感謝である。
まったくである。
(^_-)-☆
【続】そうした状況を無視して「なんで現在の神社は神仏習合を否定するの?歴史を知らないのかな」とか言われると、ちょっと心穏やかではいられない方もいらっしゃるわけです。なので、神仏習合を評価するにしても、その実態を頭の片隅に置いて、話をして頂けると嬉しいなぁと思うわけです。
神仏習合が素晴らしい文化であることは、私も大いに主張することです。ただ最近よく耳にする、近代と前近代を比較して前近代の神仏習合状態を手放しに近い形で賞賛する主張には、到底賛成できません。神道にとってはイジメに近い形の習合形態ってのもあるんですよね。【続】
近代神道について、色々な見解があっていいと思います。ただし神社の実態を踏まえず、GHQの概念で近代神道を語るのは間違ってるんじゃないかと思うわけです。「国家神道にも広義と狭義がある」という見解も言いたいことは分かるんですが、実態理解なき「広義・狭義」論は怪しいことこの上ないです。
広島県のとある神社の本を書くため、関係史料にあたっています。戦災に遭ったとはいえ近世から近代にかけての史料が残っているわけですが、こうした近代の神社史料を読んでいると、いつも思うことがあります。それは巷の「国家神道論」が本当にいい加減なものが多いということ。
ぜひ、お願いしますっ!担当編集者より。 RT @yabusanQ2: さすがに個人で「群書類従」買うわけにはいかないよなあ…でも分売してくれるみたいだから、教科費で買える…かな? 学校の図書館の閉架書庫に古い「群書類従」があったような気もするが。確認しておこう。
確かに若いけれど当時すでに60歳近かったはずです。RT@kumpoo_ ちょー若い志ん生「替わり目」(映画「銀座カンカン娘」から) youtube.com/watch?v=1GdB2U……
「『年収100万円も仕方ない』ユニクロ柳井会長に聞く」。こういう人には、従業員の生活に対する関心なんて、何もないんだろうねえ。あるのは企業のもうけだけ。従業員はもうけの手段。まったくヒドイ経営姿勢だ。 t.asahi.com/akzl
清凉寺釈迦如来像:東大寺学僧・ちょう然が宋に渡った際仏師に作らせたもの。学術調査で、仏像の中から版画の弥勒菩薩像や、五臓六腑(絹製の内臓の模型)が発見された。医学史の資料としても注目される。twitpic.com/9cgcxm twitpic.com/9cge2g
西往寺宝誌和尚立像:宝誌和尚は実在した中国南北朝時代の僧侶。梁の武帝が絵師に和尚の肖像を描くよう命じると、和尚の顔が割れて中の菩薩がどんどん変化するので、結局お顔を書く事が出来なかったという。twitpic.com/9csg0t
今週の土曜から2泊3日で、花の精霊に誘惑されながら、秋田角館と青森弘前に行くので。このところ寒いからまだまだ咲きそうもないのが一番残念だけど。関東... blog.goo.ne.jp/tym943/e/43222…
大輪ボタンあでやか 明石の薬師院 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) yomiuri.co.jp/e-japan/hyogo/… 明石市魚住町西岡の薬師院で、ボタン園が一般公開されている。直径20センチ前後に及ぶ大輪が参拝者を楽しませている。5月3日まで。
東京新聞:出開帳「柱に触りたい」 回向柱の杉を伐採した、被災者の佐藤さん:東京(TOKYO Web) tokyo-np.co.jp/article/tokyo/… 墨田区両国の回向院で二十七日から始まる善光寺(長野市)の出開帳のシンボルとなる回向柱に使われたのは、岩手県陸前高田市の杉だ。
"若い世代で優秀な人ほど、センター試験の足切りのような感覚でお金のことを考えている気がします。お金はある時点までは必要だけれど、これ以上の人生の価値は買えない、と完全に切り離して考えているんです。そして、人との..."... tmblr.co/ZXXE6yjPl5nN
どうなんでしょうね。たまたま元気の良い学生が多いだけかもしれませんが。RT @yosaburo_ando: 何とかミクスの影響なのでしょうか。RT @toshiitoh: 卒論面談の中で就活の状況も聞いているが、今年は去年より良い感じ。金融・不動産系の採用が復活している。
入った途端、店員全員で「いらっしゃいませぇぇー!!」とか店員全員で「生、入りました!ありがとぉーございます!!」ってやかましい居酒屋って、客全員で「いい加減にして下さぁい!!」とか言い返すと黙ってくれるんだろうか?
(*_*) マイッタ
久しぶりに風邪を引いたことは、昨日の拙ブログで申しあげた。油断大敵。ここのところ寒かったり、暖かかったりしていたから、油断していたのである。そもそも、愚生は見るからに悪党ヅラをしている。まったく病気なんかとはご縁の無いような悪相なんである。堀辰雄のような、なよなよとした文学青年とはご縁の無いつらだましいであるのだ。笑ってしまうくらいの、比叡山の僧兵も黙ってしまうくらいの武勇伝もたくさんあったからである。それはそれで今じゃぁ大変反省をしている。本当に申し訳無い10代後半から、20代前半を過ごして参ったのである。とりわけ、愚生の武勇伝の相手にはこころから申し訳ないと謝罪をするしかない。それほど、アタシャ問題児であったからで・・・・・(*_*) マイッタ
こんな愚生でも、しかし、憧れの方々はおられたのだ。たいていは、すこぶるアタマのいい方々である。同級生で、愚生の母校で一番できたi君には人格的にも影響された。学問もできた。仙台の帝国大学の工学部に現役で進学して、その後、日本を代表する大手電機会社で研究員をしていた。
愚生の入っていた応援団の団長のS君は、i君にかなわなかったけど、やはり仙台の帝国大学医学部に現役で進学していった。そもそも両君とも、勉強している気振も見せない憎たらしいやつらだった。仙台の帝国大学に愚生の年で、27名進学していったっけ。思えば凄い高校だったよん。今ならとても入学できまへんなぁ。よく入れたよ。
(^-^)/
そもそも、偏差値秀才というのは、偏差値の中でだけ秀才であって、分母の価値がたいしたことがなければ、秀才の価値は下がる。自明のことである。偏差値の求め方を知っている方ならば、誰でもわかるようなことであるが。
そうではないのだ。愚生の高校時代に周囲にいた秀才というのは、そんなもんではないのである。本当に秀才は、秀才であったのである。(あたりまえだな)
何を書いているのかと笑われそうだが、そうなんである。本当にできる奴はできるのである。反対に愚生のように、努力無しにはなにもできないという鈍才中の鈍才には、逆にクスリになる。また、そういう自称秀才の力量の限界もよく見えるのだ。
自殺したのもいた。どんなに秀才でも、死んだらおしめぇだ。さらに、たいしたこともなく定年退職を(退職予備軍も)していった自称秀才もたくさんいた。高校の同級生にである。世間から見たら、凄い大秀才である。いわゆる超一流大学のご出身である。それが、還暦を過ぎても・・・もう言わないけど。
世間に出たら、何がどうなって、どうなるのやらまったく分からないのである。このことだけは、自覚されたほうがよろしい。むしろ、若い頃は学業劣等でも後になって大成功をする方もいるから、世間は面白いのである。数としては少ないケドね。愚生は、中途半端な人生を送ってしまったなぁ。可も無く、不可もなくだ。ああ、バカバカしい。
マンゾクしていてはならないのである。自称エリートになったからと慢心していると、どこでどう逆転劇が待ってイルかも知れないではないか。それだけは気をつけなはれや。そこらへんの秀才さん!
愚生は、アリでいたいものである。いつもせっせと努力する奴には必ず成功がある。(^_^)3 フムフム。(と、自分を騙して生きてきたのかな・・)
昨日、十分ネタので、けふは快調である。そして、非常勤講師として勤務させていただいているある大学に8時30分までに出勤させていただく。愚生のようなものでも、必要としていただいているからである。ありがたいものである。学生さんからもいろいろ質問がくるし、こっちも質問しながら対話の教育をしている。あるいはケースメソッドを用いて、事例研究をしている。そもそも教育の方法と手段について、教員希望の大学生たちに今までの愚生の経験と知識を贈与させていただいているのである。これは、他の大学経営者が聞いたら、ゼッタイ欲しがる情報でしょうなぁ。O(^-^)
勤務している大学以外には公開しないけど。それはそれで、常識だから。
昨日の夜の塾では楽しかった。数学と英語であった。もう何度も書いているから、高校受験くらいなら愚生でもできるのである。それだけの高校に行かせていただいたからできるのである。間違いない。経験が役に立っている。なんと言っても関関同立に進学して行った愚生の親友でも、成績不良で高校を一年留年したくらいの厳しい高校であったから。あいつはその後反省して、大学に進学してから猛勉強をして、山形県の高校社会科の先生になっちまったから、努力ぶりにはアタマが下がるケド。だから偏差値なんてアテにならないのである。要するに本人の努力一つである。世間の評判のいい学校なんてアテにならんのである。
希望を失っちゃならんのだ。
頑張ろうじゃないか。慢心せず。オレは、オノレは秀才である、評価してくれないのは、世間が悪いという悪い冗談だけは、金輪際言わないこった。そう思うのである。
さ、けふはセンセに逆戻りである。
やってきますぜ。
(^_-)-☆
いやぁ油断した
風邪をひいた。何十年ぶりであろうか。うましかは風邪ひかないというが、マジに現役の時は風邪すらひかなかったのに、定年退職したら気が緩んでいるのだなぁって反省である。昨日の夜の柔道教室にも行かなかった。クスリを呑んでネタ。ひたすら寝まくった。今は、11:23である。そろそろと起き出してみた。で、書庫のcomputer大明神様の前にいる。なんだかすっきりしている。アタマが。珍しく。(^▽^)
こういうこともあるんだ。つまり、愚生だって人間だったんだ。アハハハである。笑ったねぇ。配偶者もそう言っていた。「あんただって、風邪ひくんだぁ?」←「フン・・」
昨日も午後3時くらいまでは、読書と駄文書きをしていたからなぁ。柔道はサボったけど、いつもの活動はやっていたってわけだ。それに、生涯学習の神様である宮子あずさ様のHPでやたら感動していたし。そう、宮子あずさ様がとうとう博士を取得されてHP名も変更されたからである。お仕事は今までどおり訪問介護をしておられる。(他に大学非常勤講師も二つ)この方、有名な吉武輝子先生のお嬢様で、明大を中退されて、さらに看護学校に行って看護師となった方である。それから、通信教育でいくつか大学を出てから、通信で修士をとられて、東京女子医大の看護学博士後期に通学されてとうとう博士を取得されたのである。非常に参考になるから見ていただきたいくらいである。特に論文のまとめ方とか写真入りで書かれている。勉強になる。拙ブログからもリンクをしているから、どうぞ!
まさに愚生にとって神様のような方である。愚生も仕事しながらいくつかの大学院で学んでいたからである。この方がいなくちゃたとえどんなに「時間とカネの無駄だ」と罵倒されようと、学ぶことは無かったと思うからである。逆に仕事のためには良かった。放送大学大学院で学校経営の勉強をさせていただいた時には、本当に仕事に役に立った。試験もあるから、幕張まで行く。これもまた刺激になった。実は、愚生は放送大学の隣にある千葉県教育センターに3年間勤務していたから、好感はあったのである。大学の食堂も時々行っていたし。旨かったんだ。
水俣病と石牟礼道子さんとの関わりということで、文学と環境について勉強したいとクラスメイトが言っていた。関連の学会を調べて、昨日メールでお送りした。学会での発表をどんどんやらしていただくことが、博士後期での言わば自学自習になるからということを一昨日、彼女に申しあげていたからである。事実、愚生はそうやってきた。一年間で、随分チャレンジした。論文の投稿である。全部成功したわけではない。門前払いが一つあったし。それはそれで感謝している。また頑張ろうという気になるからである。そして、またまたチャレンジしている。ある学会での学術発表にチャレンジである。結果はまだわからない。ダメでもいいのだ。チャレンジすること自体に意味があるからである。
五月下旬には、とうとう愚生の郷土史の論文(「農民仏教劇『鬼来迎』源流考」)が印刷媒体で出る。研究誌の一部分である。県立図書館にも置いてくださる。千葉県立中央図書館に事務局があるから。それでおしめぇだぁってことにならないようにしなくちゃならん。
あ。。。。。。。。
これ以上書くと、また具合悪くなっちまいそうだ。
発熱したらいかん。これくらいにしまひょ。
だって、今週の土曜から2泊3日で、花の精霊に誘惑されながら、秋田角館と青森弘前に行くので。このところ寒いからまだまだ咲きそうもないのが一番残念だけど。関東は早々と咲いて、散ってしまったのにねぇ。いつもこうだ。好きなものからは、逃げられるんだ。追いかけるとさらに逃げられるんだ。桜も女性も(^0^)
昼食をいただいたら、また寝ます。
(^_-)-☆
嫌ならやめればいいのに、やめられない。タノシミであるから。ブログも自分宛に書いているから、これもまたやめられない。ただし、あまりアクセス数が増える... blog.goo.ne.jp/tym943/e/60854…
学生時代、「オレ朝弱いから9時半からね」と9時からの講義を30分短縮したまま1年間通した教員がいた。当時はラッキーと喜んでいたが今なら問題だよな。ちなみに専任教員。教授。
靖国問題は日本の発信力が問われる。…米国務省副報道官代理は、閣僚の靖国神社参拝を受け、韓国外相の訪日の取りやめに関し「日韓両国が対話を通じ、友好的な方法で立場の違いを乗超えるよう期待している」<時事:日韓は冷静対応を=靖国問題で米国務省jiji.com/jc/zc?k=201304…
私が「神武天皇」に始まる大和朝廷そして「日本書紀」に付いて言及するツイートが多いのは、縄文以来受け継がれて来た神道に繋がる信仰の概念には王朝簒奪し、その氏神の神道祭祀を奪うと言った物が無い事。それ故に神武天皇より今上陛下まで125代の皇統が紡がれて来た事を知って欲しいからです。
私は現在の日本を取り巻く政経事情や支那、南北半島等に付いての保守言論よりも、縄文弥生日本建国に始まる古代史レベルでの自虐的歴史解釈の打破と古代半島国家との日本優勢な日本人のアイデンティティーを説き明かす方が向いている様に思う。
奈良国立博物館「當麻寺」展の図録売場に、田中貴子さんの『日本〈聖女〉論序説』(講談社、2010年) bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_… が置いてありました。今回は買いませんでしたが、表紙が梅若万三郎師の能《三輪》のお写真で、思わず反応…! @takakotanaka
當麻曼荼羅ももちろん素敵でしたが、「當麻寺縁起」絵巻の詞書が、後奈良天皇や三条西実隆の筆によるのを見て、当時の公家たちが当麻寺に寄せた思いなどを感じました。近衛政家の日記『後法興院記』の曼荼羅拝見の記事や、後奈良天皇や後土御門天皇が當麻寺へ下した綸旨も展示されていました。
すべては、祈りから始まります。愛する心を神にお願いすることなしには、私たちは愛する心をもつことはできないし、人を愛することができるとしても、人に与えることのできる愛は、ほんのちょっぴりでしかないでしょう。
【歴史の交差点】明治大特任教授・山内昌之 平成のお雇い外国人教師を - MSN産経ニュース sankei.jp.msn.com/life/news/1304…明治初期の帝大では,教師の大半は外国人であり,授業を受けるのに必要な語学力は旧制高校で訓練していた。
当時大学で古代史を専攻していた身としては、その中将姫伝説の「史実から乖離した感じ」がどうも好きではなかったのです。中世を通した変容が受け入れられなかった。今は「中世特有の捉え方」に興味があるので却って面白く感じるぐらいですが、そこまで至っていなかった。
中将姫関連の能に《雲雀山》《当麻》があります。私は《雲雀山》の演能を拝見する直前に少し調べて、中将姫なる人物が存在することを初めて知ったのですが、一種の継子いじめの話で、あまり好きにはなれなかったんですね。奈良時代の右大臣・藤原豊成の娘とのことですが、いかにも中世っぽい話。
先日、奈良へ行ったついでに奈良国立博物館「當麻寺―極楽浄土へのあこがれ―」展を拝見してきました。 narahaku.go.jp/exhibition/201… 中将姫が作ったという當麻曼荼羅を中心とした展示。當麻寺の草創から、曼荼羅の受容史を見ていると、私ですら何か圧倒されるものが感じました。
マタギの歴史掘り起こす 「白神学」第3巻 : 新おとな総研 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) yomiuri.co.jp/otona/news/201…
ひとりの女性が子どもを抱いてやって来て、こう言いました。「マザー、私は食べ物をもらいにあちこち訪ねました。私たちはこの丸三日間何も食べていないのです。けれど人々は、あなたは若いんだから、自分で働いて、お金を稼ぎなさい、と言って、だれひとりとして何もくれようとしなかったのです」
【東寺と教王護国寺】東寺および教王護国寺という2つの名称があり、百科事典でも東寺を見出し語とするものと教王護国寺を見出し語とするものがある。さらに正式名として金光明四天王教王護国寺秘密伝法院と弥勒八幡山総持普賢院の2つの名称があるが、宗教法人としての登録名は教王護国寺である。
詐欺による少年の年齢別検挙人員数。2000年と2011年の比較。どの年齢でも増加している。振り込め詐欺の「出し子」「受け子」に使われているのだろう。 pic.twitter.com/HQJgeloZiI
東寺帝釈天:力の神・帝釈天は、阿修羅に勝利し仏門に帰依させた英雄とされている。平安時代に完成したが、頭部はすべて後補のため、他の平安期像と比較すると、顔は穏やかで美しいと評されることが多い。twitpic.com/9cgyum
在宅介護・看護のこと
最近NHKが在宅介護・看護のことを取り上げている。録画して何度も見ている。複数の番組をである。
最初に、こういう企画を立てていただいたことに感謝している。考えさせてくれるからである。観念の遊戯では無いからである。つまり、誰でも在宅介護・看護の問題は他人事ではないからである。いつか遠い未来のことではないからである。生きることも、病気になることも、年老いていくことも、そして最後には死んでしまうことも、皆不安なのだ。オレは、アタシは死ぬことなんか怖くないって豪語する方がたまにおられるが、潜在意識としてはどうなのか。ちょっと信用できない。いざその時になったら、あがいて死んでいってもいいではないか。愚生はそう思うのである。
だから、旧石器時代とか、縄文時代の我が先祖達はどんなふうに考えていたのだろうかと興味を持つのである。
昨日まで、鹿島踊りの分布図と、八重山諸島のミロク踊りの範囲を見ながら四苦八苦して原稿を書いていた。A4で40頁。30000字を超えた。しかし、まったく完成していない。全体の1/4でしかない。これから記紀神話と、古層の神々との関連を書かなくちゃならんし、文献探査も必要である。ま、楽しみでやっているのだから、これはこれでいい。しかし、ある恩恵を受けていることに気がついた。それは、「在宅介護に愚生がなったときに、どういう覚悟を持つことができるか」ということである。その回答が、あらゆる創唱宗教や、宗派派別宗教や、いろいろな哲学者たち以前に、古層の土の中に潜っているような気がするのである。
愚生は、だから信仰心というのが無い。それを不真面目と言って攻撃される方もある。致し方なし。観念としてのゼッタイ者とか、開祖のある宗教に興味が沸かないのである。ですから、愚生を説得しようとしても無駄である。何度もそういう方が来られたが、その都度関係を断ってきたから時間の無駄である。聞く耳を持たないのだ。
むしろ惹かれのは、旧石器時代に生きていた寿命の短かった祖先達である。何を考えていたのであろうかと本当に思う。日本ばかりではない。アフリカとかアメリカの先住民たちの文献を漁るのも好きで、そういう本から得るものは大きい。
愚生も、死ぬ間際になって、薄れていく意識の中で何を考えるのであろうか。不安か、恐れか、安心立命か、歓喜か・・なんだろうか。
その時まで、このくだらないブログを書いていきたいものである。闘病記から始まって。もっとも、事故死だったらどうしようもないが。
さ、けふは在籍校で文献探索である。さらに夜は柔道教室である。柔道の方は痛いだろうなぁ(^▽^)
嫌ならやめればいいのに、やめられない。タノシミであるから。ブログも自分宛に書いているから、これもまたやめられない。ただし、あまりアクセス数が増えると書きたくなくなっちまう。それが目的ではないからである。ほんの2、3人と茶飲み話をしているようなつもりで書いているから。来ていたいだいたことは感謝していますがね。(^-^)/
偏屈だから。
それでは行ってきますワイ。
(^_-)-☆