NHKラジオ講座が終了した。英語の方である。中国語もやっていたが、まったくモノにならなかった。(_ _ )/ハンセイである。
しかし、これで良かったのかもしれない。ボキには、モノにならないことが多いからだ。専門がない。アチコチかじってばかりいるからだ。一冊の書物を穴があくほど読み込むということがないからだ。
これもまた運命である。その程度の人間だったのだ。
今更である。今更取り返しがつかない。
じっと黙してひたすらに努力するというのは尊い。人間関係もそうだった。黙して語らずである。むろん、こんなダメブログもやらないにこしたことはない。黙って、世の中から隠れていくのが理想である。
無口だったら、バカがバレナイ。ボキの場合はまさにこれが当てはまる。こんなくだらないブログなんかやっているから、誰にも相手にされないのである。
(_ _ )/ハンセイ。
その意味で、貴景勝関が言った「武士道精神」というのはこころそそられる。
男は黙ってサッポロビールである。黙っていればいいのだ。黙って、後は行動である。沈思黙考である。無口な人は賢く見えるからだ。
なにも賢く見て欲しいと思っているのではない。あらゆる行動をつらつら(_ _ )/ハンセイしてみると、ボキはクチが軽いと思わざるを得ないからである。人格も軽い。クチも軽い。結局アホなんだよん。ばかばかしい。
来月からもラジオ講座はやる。同じ講座である。モノにならなくてもよし、である。続けることに意味があるのだ。そう思っている。そう思って自分を慰めているのだ。
しょうがないではないか。やることがないよりは良い。フリーターをやっているのもこれが理由だ。やることがないよりは良いからという簡単な理由である。アホもここまでくると立派じゃよ。
それにしても、武士道精神である。気に入った。さっそく関連書籍を借りだして、読むことにした。図書館に予約した。またまた、かじり読書ではあるが。こんなもんだろう。この程度で自己満足していれば良いだけだから。だから成長がないのだ。ボキというアホは。まったくどうしようもない。
こんなもんで定年まで過ごしてきてしまったのだ。22歳とまだ若い大関に教わったよ。ボキは、彼の年齢の3倍以上はいっているではないか。さらにある。それは貴景勝の景勝は上杉景勝からとった名前であるそうな。ボキの先祖は、景勝に使えていた足軽である。まったく、上杉の殿様にもうしわけないではないか。こんな立派な大関が誕生したのに、ボキはあいかわらずなのであるから。アホ丸出しで。
今日もアチコチと出かける。選挙関係である。いろいろあって、いろいろである。つきあいもあるからだ。決起集会に行ってくる。これまた、しがらみである。
それだけである。それだけ。
BYE-BYE!