あるいは学んだもの、知識というものも永遠不滅であるとも。
そうではないのが、現象です。川が、それが水を流している以上、不滅のものではありませぬ。水は常に流れているのですから、一瞬たりと言えどもまったく同じ水はないわけです。
生徒諸君との関係性もそうです。
入学していただいた以上、別離があります。
当然なわけです。
いつまでも一緒にいるわけにはいかないわけです。
当たり前のことですが。
人間関係もそうです。
いつまでも一緒にいるわけにはいきません。
これはすべての人間関係にも該当します。
さっきまで一緒にいた人とも、もう二度と会えないことになる可能性があるわけです。ですから、一期一会と言って、貴重な時間を共有させていただいているわけです。
わたくしも、このブログで「また明日」とか「また来週」とか、あいさつのつもりで書いていますが、本当はそんなことはあり得ないわけです。あったら論理的におかしいことになります。明日も、来週も絶対に来るとは誰も保証できないのですからね。
感傷で書いているのではありません。
ほんとうにそうだと思っているからです。
今日二度目の記事になりますが、なぜこんなことを考えたかというと、卒業式も近くなりましたし、三月は別れの季節でもあるからであります。
卒業生との別離も感傷的にとらえれば、そうなのでしょう。
それはそれで理解できます。自分自身の感傷を。
またまた式辞について、見直しました。
コンピュータで書いていますので、訂正は可能です。
そして、「関係性」について式辞で申し上げるつもりでおりますから、ちょっとそこのところについて、自分の思索が浅かったと思ったのです。なにしろ文才がないから、何度も何度も見直すはめになります。
「偉く」ないからでしょうね。わたくしごときでは間違ってもそんなことは言う資格もありません。しかし、世の中には、どうにもこうにも人を見下して、自分だけ偉いと思っていらっしゃる方がおられるようですから。気をつけませんと。そんなのでは破滅しますよ。
わたくしは、今現在の自分を最低の状況だと認識をしてからスタートします。最低だと思っていると、不足部分がかなり見えてきます。向上の可能性と、発展の針路が見えてきます。これは喜びに通じます。ですから、自己満足をしている暇がありません。勉強していても、まだまだ不足部分が見つかってしまいます。いろいろな分野への知識欲にもなります。
だから勉強するしかないわけです。
世界には大天才がたくさんいますからね。
うぬぼれていたらおしまいです。
自分に言っているつもりですがね。
今日、ちょっと考えたことでありました。
また来週!
(あいさつですよ、これは=笑)