昨日、オレにとっては雲上人のような方と、午後会っていた。85歳。まだまだお元気である。
世間話をしながら、重要なことも話していた。その内容はここには書けない。オレの23歳くらいからのおつきあいだから、随分長い。女性に相手にされず、まだ独身でいたときに、お風呂も入れていただいたり、ご飯や、夕食もいただいたり本当にお世話になった。旅行にも随分一緒に行かせていただいた。湯西川温泉が一番回数多く行ったっけなぁ。ある意味、オレの目標であった方である。ご友人もかなり多い。元気である。酒量は落ちたが、「つきあい」を大事にされる。しかも、決して友人達や、オレのような後輩で若輩者(?)を傷つけない。心のあり方というものを本当に教えていただいたと、オレは勝手に思っている。
感謝しかない方である。
それが40年続いているのだ。気まぐれでオレの前から消えていったりするような人間ではない。大切にしていただいている。一度、友人として「つきあい」を開始したなら、生涯大切にしなくちゃならないというようなことも教えていただいたような気がするのである。
だから恋愛論と友人としてのつきあい=友情論というのは、なじまないのである。そもそも基盤が違っているのである。高校時代に異性間に友情は存在するのかとか、議論したっけなぁ~。オレは存在すると思っている。間違いなく。異性間友情が破綻するのは、そこに異次元の論理が介在してくるからである。そう思っている。異次元の論理というのは、欲望である。肉欲である。もっとも、そういうことを描くのが文学なんだろうけど。オレの嫌いな作家たちは、そういう異次元の作品を書いているから、読むに堪えないのである。(^0^)
今朝書いているのはそういうことではない。
つまり、家に閉じ籠もって、地域に出て行こうとしない高齢者が多いということなのである。オレよりも先輩達に多いのである。しかも、プライドの高い人ほど、受け身である。高い評価をされて当たり前であると思っているのだから、始末に負えない。仕事はむこうからやってくるのが当たり前で、お願いされてやってあげるというスタンスでいるからおかしいのである。なにかちょっと地域の仕事をしていると、そういう方々は「頼まれたからやってあげる」ということを必ず云われる。その底辺に「オレはエライから、頼まれるのだ」という潜在意識があるのだ。オレ?そんなことは決して云わない。あ、そもそもオレに頼みがあるっていう方は皆無である。わははっはっははである。
拙ブログだって、頼まれて書いているのではない。勝手にやっているだけである。だから、好き勝手に書いている。ただし、失礼のないようにということは気を配っている。
そういうスタンスでいいのだ。失礼のない程度に、好き勝手に、外に出ていくべきである。積極性である。問題にしているのは。閉じ籠もっていてはならない。柔道のボランティアのように、細々でもいいからやるべきである。塾もそうだ。オレにはまったくのボランティアのようなものだ。
楽しみでやっているだけであるから。
楽しく、積極的に地域に打って出ることは、オノレの知的なあるいは体力的な健康にも直結するのである。こんないいことはないではないか。
そして多くを求めないことである。友人にもである。友人と思っていても、オレなんかには興味・関心を払っている暇がない場合も多々あるからである。昨日、オレより若い友人と電話で話をしていたら、オレに二人目の孫ができたことを知らなかったのである。そんなもんだ、そんなもん。だからといってハラを立ててはアカンのである。忙しいのだ。オレより若い友人達は。
相手している暇もないくらいに。
わははっはははっはは。
じゃぁね~。また会いましょう。このブログで。いつ書き込みするかわからないですが。
(^_^)ノ""""