と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

今年の収穫は考え方が変わったこと。髪の毛は変化しなかったけど。

2018年12月31日 08時20分05秒 | とーま君の流儀2018

今年後半はずいぶん考え方が変化したなぁ。「淡々として生きる」をモットーとしてからである。

 

 

若い人たちと話をしていると、まったく話にならないと感じる一年だった。

迷っている若い方々が多いからだ。もっとも、ボキだってヒトのこたぁ言えない。若かったときに、いろんなトラブルを抱えていたからだ。ケンカもずいぶんした。粋がっていた。粋でないのに粋がっていた。第一歩き方が悪かった(^_^)。

柔道マン気取りでがに股で歩いていた。腕も脇腹にくっついていなかった。両手を横に出して肩をゆすって歩いていた。完全な逆三角形であった。マッチョであった。それでサングラスをかけていたら、まるっきり暴力団である。笑ってしまう。

なにを勘違いしていたのであろうか。

アホな若かりし時であった。

ま、生きるパワーだけはあったけどねぇ。

要するに元気でアホだったのである。それが一人前に社会人のようなつもりでいたのだから、アホの三重苦であった。

 

それで若い方々を見ていると、まるっきりボキのたどってきた半生をそのまま歩んでいるような気がしてしまうのだから人生は繰り返しだと思うのである。世間を知らないからだ。世間を知ってしまうと全部がくだらなくなるから、それも中途半端に知った方が良い場合もあるけど。

あまり世間ずれをしてしまったら、なんでもかんでもくだらなくなってしまう。結婚だってする気にならないだろう。家庭だって持つ気持ちにならないだろう。会社だって、どうやって動いているのかと知ったらやる気にならないだろう。会社のトップがカネを持ち逃げしたりして、犯罪の材料はいくらでもあるし。某自動車会社の前会長なんかますますやってきたことがバレテくるであろう。これこそ若い方々の夢を壊してしまうであろうなぁ。

それで、今年一年いろんな社会的現象を見させていただいて感謝しているのである。

世間を知ることができたからである。悪党がいっぺぇいると知ることができた。

でも腹は立たない。ボキだって、他人のことは言えないと知ったからである。

世間知らずだったなぁと思う。こんなんで良かったのかとも思う。

しかし、確実に言えることがある。

成長できただけありがたかったということである。世間に感謝である。どんなに悪いことをしてきても、反面教師という役割があるからだ。

ああなりたくないということを教えてくださっているのだ。こんなありがたいことはない。しかも無料である。授業料なし。学費がないからだ。

 

今年の後半からボキは「淡々として生きる」をモットーとしている。これでずいぶん変わった。考え方が。家人もそう言っている。なんだかずいぶん変化したねぇって(^_^)。

変化しないのは髪型だけだ。もともと髪の毛がないからだ。


 

ヾ(*´∀`*)ノ

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12月30日(日)のつぶやき

2018年12月31日 06時18分18秒 | とーま君の流儀2018
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孫が帰省してきた。男児二人の方である。順調に育っている。ありがたい限りである。

2018年12月30日 06時57分37秒 | とーま君の流儀2018

昨夜、孫二人が帰省してきた。男児二人である。上はもう6歳になった。順調に健康に育った。長女が隣県から一人で運転してきた。ウサギも同伴である(^_^)。

ありがとうと思った。思ったから一人で乾杯(^_^)。見ず知らずの土地でがんばってきた長女にも乾杯である。ありがとうである。

いつも思うが、やはりありがとうの気持ちがなければアカン。欲得まみれの世の中にあって、自分を見失わないコツはこれである。他人に影響されて、不機嫌に過ごしていたらアホである。

とりわけ夫婦ケンカ。アホの見本である。ボキも、若い頃はずいぶんやった。今思えばアホである。めいっぱいアホであった。

根本に「言えばなんとかなる」と思っているから、トラブルのである。言ったってわからない奴はわからない。言葉でもってなんでも通用すると勘違いしていると、墓穴を掘る。言ったから行動を改めるということになると、人間なんて言われたことの反対側に行ってしまうではないか。経験上。

器のチイセェダンナなら、あるいは他人の・会社の悪口ばかり言っているダンナなら、アホだと思っておだてるのがよろしい。豚ですら木に登るのである。要するにうまく使いこなしていくこった。おだてて、乗せるのである。お釈迦さまの手のひらで泳がせることである。

若い頃は、てめぇの評価とかしか気にしない。それでもって世の中めいっぱいになっているのだ。修行不足であった。少しでも、出世したいのだ。

そんなことがなんになろうか。

退職したら、いっさいの人間関係なんてなくなっちまうではないか。

後ろを見ないことである。前へ前へ進んでいくことだ。

新しい人間関係でもまれることもまた良し。ボキのように、五つのバイトをやっていると、実にタノシイ。人間関係が発展するからである。それなりに収入もある。しかも年金も全部入ってくる。ありがたいではないか。

 

今日はこれから亡くなった義母の墓参りをしてくる。それから隣県の美味いそば屋に行ってくる。孫と一緒である。

タノシイ一日が始まる。

ありがとうである。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

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12月29日(土)のつぶやき

2018年12月30日 06時23分41秒 | とーま君の流儀2018
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中国語学習が思うようにいかないのが、一番困っていることである。

2018年12月29日 10時19分33秒 | とーま君の流儀2018

ボキが今一番困っているのが、中国語がさっぱりできないことである。もともと、アタマも悪いが、そんなこたぁ今に始まったことではない。

つらつら考えてみるに、聞く・話すチャンスがない。周囲にいない。中国語のできる方が。二週間に一回だけの中国語講座だけでは話にならなかった。もっとも、意欲的にそういう友人を開拓してこなかったからかもしれない。

なぜ中国語にコダワルかというと、日中比較文化をやってきたらからである。しかしである。できない。できないんでは、話にならない。

ボキに意欲があればそんなことは簡単だったに違いない。

昨日の記事にもちょっと書いたが、こんなんじゃぁ博士論文なんて通るわけもなかった。そもそも、夏目漱石ではないが博士にはなりたくねぇというように出来た人格でもなかったしねぇ。残る人生、焦らず、腐らず、ゆっくりで良いからチャレンジしてみようかとも思ってはいるが。

それに、今日は大型電気店にでも行ってくるか。歩いて。翻訳機が出たそうだから。実際に現物を見てこようっと。


ヾ(*´∀`*)ノ

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多くのことを知っているより、実践でした。慚愧の思いでありまする。

2018年12月28日 08時32分51秒 | とーま君の流儀2018

多くのことを勉強している方というのは、傲慢になる傾向がある。それは、生涯学習者にありがちな傾向であるようだ。ようだというのは、むろん全部が全部そうだとは言えないからで。

いろんな講演会やセミナーに参加して、ノートもきっちりととっている方もお見かけする。むろんボキも参加しているからだ。もっとも、ボキはたまにしか参加しないが。

多くのことを勉強なさるのは、おおいに結構なことである。惚け防止にもなる。それで定年退職後に某大学大学院に入学した。修士は退職までに別の大学院で取得していたから、博士課程に行った。

しかし、実践が伴わなかった。日中比較文化を標榜している以上、中国語が堪能でなければ博士論文を提出してはいけなかったのである。中国語マスターを実践しなかったから提出資格がなかったのだ。今ではその仕組みがよくわかっている。しかし、夏目漱石は笑っているだろうなぁ。そんなもんを速攻で、躊躇なく断ったのだから(^_^)。

要するに、ボキは器がチイセェのだよ。「ただのと~ま君で生きていきたい」となぜ思わなかったのであろうかと慚愧の思いである。

ズレているのだ。知と実践が。あ、もっともボキは知もねぇか。知識もないのだ。むろん実践もない。「ただのと~ま君」である。

でも、これが重要なのである。ただの庶民。それを徹底してやるこった。

今年一年、それだけを追求してきたような気がする。

受容するということだった。この一年間で気がついたことは。

それにしてもおぞましい過去だった。博士になりたかったというのは、笑止千万。まったく救われない。

もっとも救われるわけもないけど。悪行三昧の悪党だから。ボキは。否、ボキだけでは無い。いろんな悪党が世間にはたくさんいるけどねぇ。


わはっははっはっはっははっはははっははっっはははっはははっははは。


ヾ(*´∀`*)ノ

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他人との比較競争でなりたっている社会は異常ですなぁ。マジにそう思っているから。

2018年12月27日 08時31分58秒 | とーま君の流儀2018

年末にやるべきことは全部終わった。あとは静々と大晦日を迎えるだけである。

年賀状も、恒例になっているクリスマスに人間ドックに行くのも終了した。大掃除も終わった。寒くなってからの大掃除は、つらい。だから、計画的にやってきた。窓もなんも全部である。カーテンも洗った。

否、ボキはお手伝いである。家事手伝い。クソの役にもたたないジジイである(^_^)。

そういえば、今朝の産経抄におもしろい記事が出ていた。肩書きのことである。夏目漱石が博士を辞退した話は有名だ。当時の文部省から授与されそうになったら、躊躇無く「ただの夏目なにがしで暮らしたい希望を持っております」ととりつく島も無い断り状を書いた。

森鴎外も墓に***院とか***居士というのをやっていない。墓には本名以外のなにものも彫るなと言いのこした。

明治の文豪は肩書きに執着しなかった。

ボキはみっともなくこだわってきた。博士が欲しくて定年退職してから生涯学習と自称して某大学大学院に入学した。結果、学力劣等で中退してしまった。笑われてしまいますなぁ。それから数年たっているけど。

将棋の羽生善治さんもすべてのタイトルを失った。肩書きにこだわるのかと思ったら、なんとただの九段でよいとのことである。

もっとある。産経抄のコラムニストであった石井英夫さんは、産経抄を卒業してから名刺に「家事手伝い」とあったという。これまた豪快な生き方である。これである。これ。

高望みしていても、話にならないときは潔くあきらめることである。3秒でできる。過去を受け入れ、現在を受け入れ、未来を受け入れることである。それが教育なのである。全部が全部競争なのでは無い。他人との比較でなりたっている社会は異常である。しかし、学校教育はそうではなかった。比較競争することが至上命題であった。

だから困ってしまう若い人も出てくるのである。

学校だけが人生なのでは無い。それを知ることである。

だから肩書きなんてぇのは不要なのである。

肩書きが人間の価値では無いのである。

マジにそう思うからだ。

 

ボキは、「五つのアルバイター」とでもするか。名刺の肩書きを。

わはっはははっははっはははっははっはははっははっはははっはははっははっは。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

 

 

 

 

 

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ありがとうを言うために、人間ドックに行っているのだなぁ

2018年12月26日 07時32分56秒 | とーま君の流儀2018

昨日から、一泊しての人間ドックであった。アジア最大の大病院である。家から近いのに一泊している(笑)。

今、ホテルで打鍵している。今日は二日目。これから午前中また診ていただく。

昨日の胃カメラ、血糖値、糖尿等々全部なんでもなかった。

今年いっぱいの健康状態を維持させていただいたことに感謝である。ありがとうを言いに行ったようなものだ。

今日もこれから病院バスで二日目の日程をこなしにいく。

それも「ありがとう」の連発である。

某大学大学院在学中は、こういう心根が不足していたのだなぁと反省してきた。感謝のこころである。オレが、オレが、オレがであった。どうしても博士という名誉が欲しかった。生涯学習の結果として、その一枚のペーパーが欲しかったのである。学力もねぇのに。

山月記の李徴と一緒である。

学部から優秀だったならわかる。ボキはチョー劣等生であった。しかも苦学生であった。勉強している暇がなかった。

言い訳だが。

 

昨日の一日目にかつての同僚と一緒に人間ドックを回っていた。向こうから声をかけてきた。なんと、27年ぶりに会った。****とボキの本名を呼んでくれた。あっと思った。

よくまぁ思い出せたものである。天童よしみさんをテレビで見ていて思い出せなかったのだから。

かつての同僚さんは、来年3月をもって定年だそうだ。いろいろとその後の話をしていた。ボキの定年後の生き方はけっこう参考になったらしい。そう言っていたからだ。

しかし、彼はボキなんかとは違ってエリートである。京都の帝大出身である。なんでもできるだろう。なんでこのような秀才がボキのような人間と同僚であったのかと思う。世界の七不思議である。

そして思った。こういう大秀才こそ、博士になるべきであると。

だいそれた望みを持ったのが大間違いであった。

 

胃カメラは女医さんだった。安心した。安心しすぎて大失敗。リラックスしすぎて、カメラを飲み込むのを忘れてしまった。二回入れ直し。参ったな。参った。もう、25回はやっているのに、うぇっという雄たけびがやまなかった。

終わってから女医さんにお詫びした。かわいい女医さんだったのに(笑)。

来年は気を付けよう。

 

( ´Д`)ノ~バイバイ

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やってみたいことには、いきなりチャレンジしてみるこってす。途中にステップを作らないで。

2018年12月25日 07時23分31秒 | とーま君の流儀2018

途中にステップをもうけない。あの山に登りたいから、すこしゆるやかなこっちの山に登ってちょっとトレーニングをしてからにするというのはやらない。いきなり山に行ってしまえば良し。躊躇するこたぁねぇのである。

小説家になりたかったら、書けば良い。カメラマンになりたかったら撮れば良い。

ともかくやってみることだ。やってみなくちゃ話にならない。それをである。グダグダと、もしダメだったらどうしようと思うから実践ができなくなる。ダメだったら、ダメになってしまった理由がよくわかるようになる。それが財産になる。

ボキが良い例である。ダメの連続であったからだ。挫折の連続。だから、挫折している若いひとたちと話ができるのだ。

そういうスタンスにあるから、けっこうジジイでも人気がある(^_^)。このことはボキが言っているのではない。周囲のセンセ方が言っているのである。そりゃぁそれでいい。そんなもん相手が決めることだから。

で、「決してワタシたちの欠点を言わない」「悪口を言わない」「褒めてくれる。褒めてばかりいる」とも言われる。18歳の女子たちにである。これは事実そうしているから、ホントである。そりゃそうだ。こっちは、挫折ばかりしてきたから経験豊富である。それが若い人たちに元気を提供していることは認める。そうでなくちゃいけないのだ。我々年長者は。

それをである。文句ばかり言っている。他人の悪口ばかり言っている。欠点指摘ばかりやっている。オノレの能力がいかに優秀かとウソばっかり言っている。

こういう研究者とか学者様のようなていたらくをやっていちゃいけない。

第一、人生がおもしろくないではないか。

全部計算通りに人生がいくわけもないのである。計算通りだとおもしろくもなんともない。挫折もまた良し。

博士論文を書いてみたが、ものにならなかった。これもまた良し。いきなり論文を書いてみたが、学力劣等だったということを忘れていたからだ。それならそれで良し。実に鍛えられた。ありがたい限りであった。

これまたチャレンジの一環であった。

それ以来、ボサーッとして生きている。ボサーッと生きているから菩薩のようである(^_^)。

さらに、あまりも暇なので副業三昧でやっている。「亭主元気で留守がいい」である。さらに、海外旅行三昧である。実に快適に老後を送っている。

ステップもなにもないからだ。

 

やってみたいことには、いきなりチャレンジしてみるこってすよん。

 

さ、これから人間ドックに行ってくる。楽しみである。結果が。今朝も快調。またまた趣味三昧で生きていきたいからである。

チャレンジ、チャレンジである。

ヾ(*´∀`*)ノ

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東条英機 遺書 最後に彼は何を語ったのか 戦後70年余りを過ぎた今、彼に対する海外評価の変化とは?

2018年12月24日 09時19分40秒 | とーま君の流儀2018

この動画も興味深い。

今朝の記事と関連しているけど。

 

 

東条英機 遺書 最後に彼は何を語ったのか 戦後70年余りを過ぎた今、彼に対する海外評価の変化とは?

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天皇陛下のメッセージから思ったことは

2018年12月24日 08時19分03秒 | とーま君の流儀2018

天皇陛下からのメッセージをテレビで拝見していた。

感動的なメッセージであった。混沌の時代を生き抜かれた。たいへんな時代を。素直に感謝である。いつもなら私的なことはほとんど話されない。しかし、皇后陛下のことも昨日は話された。

いつも思う。日本古典文学に皇后陛下のような方が登場しておられたら、古今これほどの皇后陛下はおられなかっただろうと。

文学の世界なら、好き勝手に描くことができる。たとえば源氏物語。現在の皇后陛下ならどのように描かれただろうかと思った。それはここには打鍵しない。

わたくしの人生の旅に皇后陛下が加わったというような表現を天皇陛下がなされたが、しかも涙ぐまれてである。ここに感動したのである。

謙虚である。

こういう方が天皇陛下であって良かったと素直に思った。

象徴としての役割ということも述べられた。こういう生き方は実に厳しい。否定することができないからだ。生涯役割の中で過ごされるしかない。捨てることができない役割である。

厳しいものである。

ボキのような庶民は、定年とかで役割をいったん捨てることができる。リセットである。もっとも、自営業の方々はできない。生涯現役である。引退でもしないかぎりは。

庶民だからできることである。

庶民に生まれ育ったことのシアワセをしみじみ感じた。

 

それで、昨日「あの戦争はなんだったのか 日米開戦と東条英機」という動画を見たのである。YouTubeである。3時間かかった。一つの視点から東条英機を描いたものであった。統帥部というものの存在をそれこそ象徴的に描いていた。一つの史観であろう。いかにもこのドラマを作った会社の傾向性をあらわしていた。

果たして本当なのかという疑問は最後まで残った。信用できないからである。

それでも、戦争なんかやっちゃいけない。しかも十分な計算なしに、気合いでやっちゃいけない。期待と予想は違っているからである。中国戦線で苦戦しているのに、戦線を拡大してなんの意味があったのだろうかと思った。

淡々として生きるという視点からはもっとも遠い存在が東条英機ではなかったのか。北野たけしが好演していた。苦衷。これであった。東条英機の真骨頂は。所詮、首相の器にあらずと徳富蘇峰が言ったというが、然りである。然りだけれども、徳富蘇峰はそんなこと言える資格があるのかとも思った。あれだけ変わり身の上手な人間はいないからだ。

そんなことを思ってしまった。それにしても平成は終わってしまう。またまた時代が変わる。変遷の未来へむかって。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

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あの戦争は何だったのか 日米開戦と東条英機

2018年12月23日 23時18分52秒 | とーま君の流儀2018

三時間見続けてしまった・・・・・・・・。

 

あの戦争は何だったのか 日米開戦と東条英機

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どうでも良い、銅でも良い、すべては流れるままに。

2018年12月23日 07時34分06秒 | とーま君の流儀2018

学校が冬休みに入った。ボキの孫も冬休みである。隣県に住むボキの孫は、九十九里浜のボキンチに来るのを楽しみにしているから、急ピッチで宿題をやっているようだ(^_^)。

ボキンチに来れば、テレビでyoutubeもなんでも好き放題だからだ。宿題さえ終わっていれば誰にも文句を言われることはないからだ。ま、あまりこういう条件付きの勉強なんて良くないのだが。良くないのはわかっているが、しょせん孫もジジイと一緒で庶民の生涯を送るんだろう。期待しないことである。マジに。

過度の期待はよくない。そもそも、たいした親では無いのだから。ボキも。

期待したって、こっちの思うとおりに育つ訳では無い。生きていくのは自分である。その自分を鍛えるのは自分自身である。

ボキは、若い頃は気合いが重要だと思ってきた。生き甲斐とか、目標とか、人生の重大事とかいろんなことを考えて実行してきた。柔道然り。根性論のカタマリであった。

しかし、ホントに多くの挫折を経験してきた。最近では、博士になれなかったこと。某大学大学院から撤退してしまった。学力劣等で。

でも、まだまだ生きている。

気力とか、生き甲斐とか、根性とかまったく無縁の世界に生きている。

そんなことはどうでも良いと思っている。

事実、どうでも良かったのである。

こんな結末になることは、最初からシナリオに書いてあったのだ。

だからあまり責めないことである。自分をである。親ならば、我が子を責めてはならない。親のコピーなのである。成績が悪かったら叱ってはならない。教えてあげるのである。

国語の問題集を見て、文章の読み方のノウハウを知らなければ解けないのと一緒である。それをワーワー我が子を責め立てて、根性論を言いまくっていたら子どもが哀れである。さらに、こんなにアタマが悪いのは、父親のせいだとかのたまっているようでは世も末である。まるで、母親であるご自分が大秀才でもあるかのように自慢していたらまるでアホである。

文章の読み方のノウハウというのは、ボキ、塾でも高校でも大学でも教えている。ほとんどの生徒が知らない。こんなことは初めて聞いたとのたもう。だから塾から公務員試験を突破した高校生が出た。この1年間徹底的に鍛えた生徒である。しかも県庁職員に合格した。楽しかったよん。

公務員試験合格予備校まである昨今の世の中である。しかも学費が高い。それがボキの手にかかれば、合格してしまうのだ。自慢しているわけではないが。否、自慢ですな明らかに(^_^)。

そんなこともどうでも良くなってきた。

最近は、まるで感情の起伏がない。イライラすることもない。テレビや新聞を読んで、政治家のアタマの悪さに怒ったり、テレビの自称コメンテーターをののしったりすることもない。

そんなもんで腹を立てているだけ、損である。毒素が回る。この悪いアタマに。

そんなことでイライラしているより、家のトイレでもきれいにした方がずっと良い。


明後日から人間ドックだ。

今朝は検便をした。ずいぶん上手に採取できるようになった。トイレをいつもきれいにしているからである。トイレの神様が応援してくださっている。

今日も一日運動。食事にも気をつけている。

良い一日でありたい。

さ、ボキの書庫も掃除したし、歩いて来ようっと。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

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年賀状完成・・・・ちょっと変わりモンの年賀状になっちまったけど(^_^)。

2018年12月22日 08時32分32秒 | とーま君の流儀2018

年賀状の裏面を作成した。昨日一日かかった。今日は、これから宛名印字をやる。去年いただいた方々へは出す。裏面には、ボキの海外彷徨写真が3枚。2月チェンマイ、5月カッパドキア、10月武陵源となっている。小さい写真でよく見えない(^_^)。その下に近況報告。こんなふうに書いてみた。

 

旧年中は一方ならぬお世話をいただき誠にありがとうございました
本年もよろしくお願い申し上げます
なお、愚生あいもかわらず草の枕を友として、漂泊の思いやまず、ときおり彷徨の旅に出かけております。亭主元気で留守が良いを実践しております。また、昨年はいくつかの副業(大学、高校二つ、塾)をこなしながら、「淡々と生きる」「頼まれごとは引き受ける」をモットーにして楽しく生きております。今年もばりばりやっていきます。
              

平成三一年 元旦

 

以上である。

そしてあっと思った。年賀状でなくてもブログで十分ではないかと。

しかし、ボキの本名を知らないヒトが多いから無理だ。芸名だし。それに、ボキはどこからどうみてもブログなんかやっているようなジジイに見えないらしい。バイト先で成績をつけるのにExcelを使っていたら、周囲のセンセたちがびっくりしていた。そんなふうに見えないと直接言われた。電卓でやっていると思ったらしいのである。

さらに仙台でもそうだった。パワーポイントで全部の授業をやったので、設置方法ややり方を懇切丁寧に教えてくださるのである。これには笑った。ありがたいと思った。まだまだ親切な若い方々は多いのである。

日本の若い方々も捨てたモンでは無い。希望がモテル。親切というのは、日本人独特のモンである。困っているのではないかと思ったら助ける。これだ。

一人じゃ生きていけないからだ。

相互補助。

これしかない。

だからこそ、うっかりヒトの悪口を言ったりしないこっちゃ。誰が聞いているかわからんではないか。

年賀状なんて上辺だけのつきあいではないかというのもいる。しかし、ボキのように親戚もなんもいない九十九里浜に住んでいると、ちょっとしたご縁であってもありがたいものなのである。だから、年賀状を出すのだ。

無視されたらそれはそれで良し。

縁は生きているうちだけのもの。

死んだらEND。

だからこそ大事にしているのである。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

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今日からジムを再開する予定

2018年12月21日 08時10分06秒 | とーま君の流儀2018

9月から千葉市でバイトを始めたから、ずっとジムに行っていなかった。ジムに行かないで、ウオーキングのみやってきた。それで一日10キロ目標でやってきた。体重コントロールもうまくいっている。

今日あたりから、ジムを再開するつもりだ。運動不足ではない。むしろやり過ぎなのかもしれない。仙台では、東北大学まで見学に行った。歩いてである。この日は、12キロ歩いてしまった。

良いものである。運動で、あるいは食事で糖尿病の薬をのまなくて良しとアジア最大の病院にご託宣をいただいたからである。もう3年になるのだ。

快調である。むろん、ボキなりに努力しているからだ。世の中に病気を抱えている方々は多い。それでも克服はできるらしいと体験上思っている。

マジである。

それに、ボキ、アルコールが嫌いになった(^_^)。かなり嘘っぽいけど。銘酒なら美味い。ちょこっとだけなら呑む。それがかえって体に良いのかも知れない。もっとも、これはヒトによって違うだろうけど。

酒宴では、定量を守ることである。自分だけ、別料金で別の銘酒を頼むことにしている。むろん支払いはボキである。完全別料金。したがって、誰にも迷惑はかけない。注いだり注がれたりというのは体によくない。あれは断固止めるべし。だって、どれだけ呑んだかわからなくなってしまうではないか。

さらにある。女性のいる店にいかないことである。あんなもんに血道を上げていたらアホである。

わはっはっはっははっははっははっはははっはははっははっはははは。

 

さ、今日もやることがいっぱいある。

タノシイもんである。

実に充実しているからだ。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

 

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/