だんだんと枯れてきたというのが実感である。
マヌ法典というのがあるが、あれはなかなか良い。枯れてきたという実感は、この古典の中にある「林住期」に相当すると思うからである。森林に隠棲して修行する時期とも言われているからだ。
もう仕事をする時期では無いからだ。妻子を持って、仕事をして、バリバリ働くと言う時期は、「家住期」というそうな。定年でこの段階は終わったのだが。
家住期の前が、「学生期」である。学ぶ時期である。
時間差で並べると、「学生期」「家住期」「林住期」となる。ボキは、この三段階を経験してきた。最後の「遊行期」は実現できない気もしているが。
今日は、千葉市のバイトで「学生期」を終えて、それぞれの人生にスタートした若い方々を送ってきた。バイトだから、隅っこで拍手をしていただけである。幸多かれと思っていた。半年しかふれあいのなかった若い人たちであった。しかし、思い出は多い。ふれあいが多かったからである。動画まで使ったボキのつたない授業に喜んでくれた。こんなに反応が良いとは思ってもみなかった。まるで孫のようだった。
答辞に涙してきた。
いつまでもこういう体験は琴線にふれるというか、感動するというか、良いモンである。
ひたすら上を向いて、涙が落ちてくるのをこらえていた。
昼食が出るというのはわかっていた。しかし、ボキはいただかなかった。それに、身辺整理もしていた。机を片づけて、クルマに積んでいたからである。3月で去らねばならないからである。
それに、メシを食いたくてバイト先に来たのでは無かったからである。
さりげなく去って行きたかった。
シェーンのように。
しかし、職員室を出て二階に来たときに卒業生に見つかってしまった。追っかけてきた。女子だけで7人はいた。ジジイジジイと言ってである。バッグを三つも持っていたんで、察したらしい。もう来ないの?と聞いてきた。うん、と答えた。ちょっぴり寂しかった。
わはははっはははっははっはははっははっはははっははははっはは。
でも、涙が出るほどうれしかったよん。
7人の乙女たちに取り囲まれて写メを撮られてしまった。
最後の最後。
シアワセにねぇと言って別れた。
その中に、4月からボキのもう一つのバイト先である某大学に入ってくる生徒もいた。大学でよろしくと言われた。ありがたいもんである。もし、ある特定の資格をとるならば、ボキの授業は必須になるからだ。
シアワセに。。
最後は、背中を見せて去ってきた。
サヨナラだけが人生だなぁ。