と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

6:10だけど、もう4.3キロ、5438歩(Mets)歩いてきましたよん

2017年07月31日 06時29分43秒 | とーま君の流儀2017

今朝も涼しい。ありがたいものである。そして、今朝も九十九里浜までとは言わないけど歩いてきた。タイトルのとおりである。4.3キロ、5438歩(Mets)である。よくまぁやるもんじゃ。これで午後からも歩きに行くのだから、話にならないとはこのことである。生涯学習ごっこどころではない。健康第一である。健康でないと生涯学習ごっこもやってられないからだ。

おかげで、英語と中国語の単語が覚えられない(元々そうか・・・トホホ)。勉強時間が確保できない。ちょっと机に座っていると、歩いてこなくちゃとなる。もう自覚しているのである。習慣化している。やらないと気持ちが悪くなってしまうのじゃ。

もしかしたら、長生きしたくてやっているのか?と一昨日gymで一緒のおじいさんに言われた。お互い様でしょうと申し上げて、二人で呵々大笑していた。

でもふと思ってしまった。毎日毎日狂ったように歩いているから、まったく健康を取り戻してしまった。これだと、長生きしそうだ。家族に迷惑かけちまうですな(^_^)。きみまろ氏の漫談ではないが、奥様が一番がっかりするのが旦那が長生きしそう・・・というのだそうだから。たまったもんじゃないですな。早死にするのを楽しみにされたんじゃ。(*_*) マイッタ、(*_*) マイッタ。

でもねぇ、どっちみち死ぬのだ。誰でも。普段は考えようとしないだけである。この世の中からいなくなってしまうのである。霊魂不滅とかは考えていないから、ボキはそうなったら綺麗さっぱりオサラバするつもりである。未練はない。ロシアに美人がいったっけなぁとかの記憶も消去である。英単語も中国語単語ともオサラバである。あ、その前に覚えている単語なんぞ微々たるもんだから、なんの心配もない。

知識優先だのと申し上げるつもりもない。そもそも知識なんてない。自慢するものなんかなにもない。

あるのは、「猪突猛進」だけである。失敗を怖れず、やみくもに突入していくカラ元気だけである。そうなのだ。どうせ死ぬのなら、やれることは全部やってくたばりたいのである。やってみなくちゃわからんではないか。人生なんて。あれこれ失敗を予測して、つまらぬ逡巡をしていたら時間がもったいないではないか。どうせ死ぬのなら、やりたいことをやって、できるだけ有意義に生きていきたいものである。マジに、そう思っているのだよん。

それがボキのようなアホの生き方でもあったのじゃ。

それで十分満足している。

なにしろ逡巡しているヒマもなかったからである。

(^.^)/~~~

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7月30日(日)のつぶやき

2017年07月31日 04時53分25秒 | とーま君の流儀2017
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田んぼ道を歩いている時の楽しみは、鈍行列車で行く旅のようなもんかも知れない。

2017年07月30日 08時14分32秒 | とーま君の流儀2017

スマホで「銀河鉄道の夜」を聞きながら、歩いてきた。楽しい朗読ですなぁ。。。。岩手の花巻まで行きたくなっちまったよん。

 

 

今朝のウオーキングは良かった。

何が良かったかというと、涼しかったからである。それで快調に歩いた。Metsで5500歩はいった。しかし、決して無理はしない。スピードを競って、膝を悪くしてしまう方々もおられるからである。

Gymでも「まだ体力が余っているでしょ?」とか言われている。だから、もっとやればぁというお誘いである。

ボキはそんな誘惑にはのらない。「まさか、競争ではあるまいし。結局身体を悪くしたらおしまいですから」と申し上げた。そしたら、他の方に大笑いされた。

そうである。Gymに来ているのは、健康になるためである。なにも他人と競争するために来ているのではないからである。成果も求めていない。ゆっくり歩いて、体重をコントロールしていればそれでいいだけである。

要するに、欲がない。もっと言えばやる気がない。

わははっはははっはははっはははっはは。

 

東京オリンピックがある。三年後だ。そしたら、極端にスポーツ重視になっている。日本国中がである。

日本人の悪いところである。一丸となって、邁進してしまうのである。そういうものが良いとなれば、一億全部がスポーツ重視となる。

それはそれでおおいに結構なことである。これでも、ボキは柔道を愛してきたから嬉しいことに違いない。しかしである。一億玉砕を唱えてきた歴史からは、一丸となってなにかに取り組むというのはちょっと考えさせられる。

違うモノを認めないからである。異端を認めない。これはキリシタン排除の論理(歴史)からも納得できることである。

差別というのも、これだ。このあたりに原因がある。差別は、受けた当人が差別されたというのなら(感じるのなら)、事実となってしまう。セクハラと一緒である。そういう意味では、ボキも差別されてきたと感じる。セクハラは受けたこともやったこともないけど。

関東文化の、あるいは江戸というかつては僻村であった土地に流れてきた人民による差別意識があるからである。東北地方への。これにはホトホト(*_*) マイッタのじゃ。なにかというと、家柄や血筋が良いと自慢するアホが周囲にいくらでもいたからである。さらに、出身高校や大学自慢。これまた程度問題である。たいした進学実績も持っていないのに進学校とのたもうたヤカラがいくらでもいたからである。笑わせてもらったよん。

 

東北というと宮沢賢治である。

今朝は、銀河鉄道の夜をスマホで聞きながら歩いていた。NHKで放送された番組の録音である。約45分間である。面白かった。ムチュウになって聞いていた。

死の問題が見え隠れしている。銀河鉄道の夜には。耳から学問である。田んぼ道を、歩きながらである。

さらに、田んぼの水栓からことこと・ぶくぶくという音も聞こえてくる。その音が、稲を実らせていく。

稲のチカラと、銀河鉄道の夜に見え隠れする死の問題。

 

ふと思った。

夜行列車に乗って、岩手の花巻まで行ってみたいって。新幹線では面白くもなんともないからである。各駅停車の列車の旅がいい。何時間かかってもいい。

そうなのである。ボキには差別されることがあっても、差別することはないからである。そういう旅なら余裕すら感じるからである。

楽しいだろうな。

検討しようっと。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

 

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7月29日(土)のつぶやき

2017年07月30日 04時53分11秒 | とーま君の流儀2017
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マウスピースをはめて寝ている、昨日から。いびきがひどくて。

2017年07月29日 08時01分36秒 | とーま君の流儀2017

いびきがひどくて、アジア最大の大病院に行っていた。いびきだから、耳鼻咽喉科だと思ったら違った。内科に行きなさいとなったのである。意外な展開であった。そして、なんとエコノミークラス症候群でお世話になっているボキの主治医のところに行かされたのである。専門家なんだそうだ。いびきの。

それで主治医の方針で歯口科に行ったのである。マウスピースを作るとのことであった。それが昨日できあがった。歯口科のドクターにいろいろとマウスピースのはめ方を指導されて、昨夜生まれて初めて使った。

ちなみに、この大病院の歯口科も凄い。NHKの番組に取り上げられたほど凄い。医師も何人もおられる。腕もいいのだろうが、設備はもっと凄い。

で、今朝起きたら、なんだかすっきりしている。無呼吸症候群なのだが、あまりいびきをかかなかったに違いない。もっとも、ボキは知らないけど。いびきをかいたかどうかは。古女房ドノは、隣の部屋のベッドである。だから、よくわからないとのたもうていた。

しかし、いつもは、いびきをかきすぎて喉が痛かったりした。でも、今朝はそれがなかった。おそらくクチを開けて、ガーガーといびきをかいているんだろうから。

さらに、途中で浅い眠りになっているのだろうから、一昨日までは朝起きても眠かった。ところが、今朝は快調である。よく眠れたというのがはっきりしている。

良かったよん。

まったくやれやれである。

だが、朝、洗面所でびっくりした。

マウスピースをはずそうとしてである。唾が凄いのである。大量である。異物が侵入してきたのだから、排除しようと唾ががんばったのに違いない。

そこで、あっと思った。

ボキ自身が異物ではないかと。

異物のと~ま君ジジイである。

わははっはははっははははっははっはははっはは。

トホホか。

トホホですな。

これからは、おとなしく生きていきましょう。

まったく救われないジジイでございますよん。

 

(。・_・)ノ

 

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7月28日(金)のつぶやき

2017年07月29日 04時53分31秒 | とーま君の流儀2017
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音に寄り添う

2017年07月28日 08時52分59秒 | とーま君の流儀2017

音に寄り添うということは、ありがたいものである。

 

 

音というものに興味関心が移っていって、それからというもの短詩型文学にエライ興味がある。俳句然り、詩もそうだ。短歌もそうだ。読んだときに、音を出すからである。音読というではないか。朗読ということである。

ところが、これまでは音読ということ、朗読ということをやってこなかった。スピード重視であった。速読であった。だから味わって読むことがなかった。目で追っていただけである。

もっと言えば受験勉強の弊害であろう。問題文を意識しつつ論説文や小説を読んでいた。短詩型文学においては、もっとも良く無い手法であった。

これじゃぁモノにならないわけである。

寄り添うような文学作品との関係でありたい。そんなふうに思ってきた。最近である。実に最近。

寄り添っているのが、ボキなのか、あるいは文学作品の作者なのかはわからない。

確か、遠藤周作だったと思うのだが、イエス・キリストもまた寄り添う存在であるから救済の可能性があると書いていた。そこまで求めなくても、そばにそっと寄り添ってくれる存在があればそれにこしたことはない。なにもイエス・キリストでなくてもいい。

ボキの場合は、ドストエフスキーだったのかも知れない。苦しい時代に、確かに寄り添ってくれた唯一の作家であったからだ。10代後半から22歳までの苦学生時代にである。貧しく、なんの希望もなかったからである。将来展望もなにもなかった。ひたすら毎日新聞配達をして、集金をしていただけであった。その意味で、今回サンクトペテルブルグに行けたということは自分を見直すきっけになった。そういう時代を経てジジイになったからである。

文学作品というのは、寄り添ってくれるものに十分なり得る。だから作品を大事にしなくてはならないと思うのである。

昨日、宮沢賢治の「オツベルと像」を読んでみた。気になる部分があったのを思い出したからである。最後に書かれている「おや、■、川へ入っちゃいけない・・・」の部分を思い出したからである。■の部分には、昔なら「君」が入っていたような気がするが確認していないのでなんとも言えない。で、この文章は誰が誰に向かって言ったのかという疑問をずっと感じていたのである。それを思い出したのである。(最近の本にはこの■すらないらしいが)

まだ解決していなかったのだ。20代の頃に、その疑問をいだいてそのままであったのだ。

そして、寄り添っていてくれた「オツベルと像」に感謝した。ジジイになってもこんな課題がふとボキの胸によみがえってくれるのである。だからである。

自分なりに解決した。今日はそれですっきりしている。ありがたいものである。

これから、ゆっくり芭蕉でも読む。音読しながらである。ゆっくりと読む。奥の細道を味わうということは、そういうことである。時間をかけてゆっくりと音読していきたい。

オツベルと像のような再会があるかもしれないからである。

 

(。・_・)ノ

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7月27日(木)のつぶやき

2017年07月28日 04時52分07秒 | とーま君の流儀2017
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gymで旧友に会った。

2017年07月27日 07時24分05秒 | とーま君の流儀2017

久しぶりに旧友に会った。偶然でアル。gymである。

ボキと同年で、いんぐりっしゅの専門家だ。KO大学で学んだ俊秀である。そこで、ちょとだけ話した。

元気かという台詞から始まった。近況報告をした。お互いに。楽しい老後を送っているもんである。これまたお互いに。

ボキの方は、10月に孫ができること、墓地を買ったことなどを報告した。なんで墓地を買う話までなったかというと、gymの中で観無量寿経の話を彼が始めたからである。昔から、こういうのを知っているかといってボキをすぐ試す悪い癖がある(^_^)。

そりゃ親鸞のことを言っているのか?と聞いたら、そうだというので、文庫本で読んだことがあると申し上げた。

老後と死のことを話題にしていた。不思議なジジイ二人である。健康になるためにgymに来ているのに、話題が後ろ向きである。ま、仕方がない。老後と死の問題は、もうすぐ来るか、ちょっとだけ時間が過ぎてから来るかわからないのだから。gymでするような話ではないけど。

それで、オレもその寺の墓地を買うかとなったのである。そこで待ったをした。まさかボキの隣に買うつもりではないだろうなと言ってしまった。しまったと思った。じゃぁ、空いているのかと聞いてきたからである。空いていたのである。桜の樹の下だ、西行法師を気取って死ぬつもりだとボキが言ったのでそういう発想になったのだ。

死んでからも友人でいようなんてぇ気持ち悪い関係だけにはなりたくない。

わははっははっははっはははっはははっは。

 

さ、これからバイトに行ってくる。大学の方である。しかし、最近の大学生はシビアですなぁ。夏休みなんてあってもないようなもんだから。小学生、中学生、高校生の方がずっと気楽だよん。

もっともボキはもっと気楽だから、ヒトのことは言えないが。

 

ヾ(@⌒ー⌒@)ノ

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7月26日(水)のつぶやき

2017年07月27日 04時54分02秒 | とーま君の流儀2017
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藤原新也の旅 〜月の雫〜

2017年07月26日 22時46分08秒 | とーま君の流儀2017

いいなぁ~~~。

絵のモデルの少女の声が聞こえてくるようだねぇ。

藤原新也・・・・天才だよねぇ。

 

 

藤原新也の旅 〜月の雫〜

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藤原新也 書行無常の旅

2017年07月26日 22時43分15秒 | とーま君の流儀2017

memento moriも素敵な、驚きの書物だったが、こっちの動画もいい!

 

 

藤原新也 書行無常の旅

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藤原新也 Memento Mori

2017年07月26日 22時35分29秒 | とーま君の流儀2017

これを見て、死を思う。

死の声に寄り添っている。

うううううううむ。

 

 

 

藤原新也 Memento Mori

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音に注目していきたい。さらに洒落本にも。

2017年07月26日 08時20分36秒 | とーま君の流儀2017

音というものにもっと興味関心を持つべきである。そう思った。耳勉強でアル。耳から入ってくる情報というモノにあまり興味関心が無かった。だから、短詩系文学に興味がわかなかったのである。

文字情報ばかり追っていた。しかもスピードを重視していた。なぜか。ゴミ論文を書くためであった。しかし、そのような機会もない。自ら捨ててしまたのだから、仕方なし。学業劣等で。

もっと洒脱に、気楽にこれからは追っていくことである。学者センセの書いたものを読んで、気楽に皮肉を言ったり、パロディを話してみたりするこったよ。江戸時代にはそんなのがいっぱいたから。論語の本だって、出版されるとすぐパロディ本が出ていたのである。

荻生徂徠が出した本「論語徴」(宝暦10年 1760年)が出ると、たちまち洒落者が「論語町」なる本を出して茶化すのである。跋文は虚来山人である。

徂徠先生は、落語にも出てくるような堅物である。千葉県の茂原にもいた方である。芝増上寺の近くに塾を開いたが、当初は貧しく食事にも不自由していたのを近所の豆腐屋に助けられたといわれている。落語の徂徠豆腐である。これは楽しい。メシを食うカネもなかったから、豆腐屋さんがタスケルのである。それでもめげずに学問に精を出していった。そして、成果を出された。

ちなみに「論語町」という本はもっと面白い。

写真がある。以下のような本である。そもそも最初から吉原が出てくる。大門も出てくる。

 

楽しい。

実に楽しい。

なんせ、洒落を基本としているのじゃから。

それでもって、からかっているのだ。徂徠大先生を。

しかし、こっちの洒落本のセンセ、漢学の実力は相当なものである。

反骨と挑戦の態度がスケスケになって見える。だから楽しいのである。インテリとか、エリートがなにをのうたもうとも、笑っている。これが良いのである。

ちなみに、こういう態度をとっておられるブロガーもたくさんいる。だからネットサーフィンは楽しいのである。

こういうヒトが、現在の国会の乱れようをどう風刺するか。とりわけ一部マスコミの偏向報道と悪だくみをである。明日あたり、日本海の向こうからまたまたミサイルが飛ぶらしいが、こんなことをやっていて良いのかね。自称エリートさんたちに、聞いてみたいっすよ。

わははっははっはははっははっはははっは。

楽しみである、ボキには。エリートの方にである。なにを発言するのかというその一点に限ってである。なにせ、ボキは一介の年金暮らしジジイであるから。

 

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7月25日(火)のつぶやき

2017年07月26日 05時00分49秒 | とーま君の流儀2017
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/