と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

あああああ長生きしたい、誰がなんと言おうと長生きしたいですぅ(⌒▽⌒)

2018年07月31日 08時43分18秒 | とーま君の流儀2018

長生きしたいのは邪気のあらわれでございまするよん。欲望まみれのただのジジイでございますから。

 

 

今朝のウオーキングは暑かった。

朝の4時30分にはスタートした。霧が出ていた。したがって、太陽はまだ雲のかげに隠れていた。しかし暑い。湿度が高いのだ。

それでもボキはめげずに歩いた。距離にして7.0キロ。Metsで8700歩。歩いてきた。午後からもGymに行ってくるのだから話にならない。

それだけ長生きしたいという邪気の現れだよん(^0^)。

歩いているときは、MPG4に変換した各種講演を聴いている。スマホに仕込んである。これが楽しい。さらにある。太極拳の動画も見ている。見ながら実演をしているのじゃ。まるっきりアホみたいである。前後を歩いていた人がいたら、狂っているとしか見えないだろうなぁ。

長生きと言えば、中国古典の医書である「黄帝内経素問」がAmazonから来た。ローソンに届いた。2700円であった。新刊である。安いと思ったら、なんとこちらは訳のみ。原文はなし。原文は図書館から借りて(こっちも訳はついている)コピーして使っている。

なかなかのものである。この本。

こんな本にあらかじめ出会っていたら、血液系の病気にはならなかっただろう。要するに、バランスを崩していたのだ。大酒飲みで、話にならなかった。柔道のような激しいスポーツをやり過ぎた。柔道をやってから、生ビールを呑むのが楽しみだったのだから、これじゃぁ病気になってしまう。しかも、大食漢であった。メシが美味いのだからしょうもない。

こういうデタラメな過去を過ごしてきたのだ。

天罰てきめんとはこのことである。

天は見逃してはくれなかったのだ。

しかも、論文執筆と称してゴミをたくさん生産していた。こんなんじゃぁ、話にならない。挙げ句の果てには定年後に入学した某大学大学院から去ってしまった。ご縁がなかったということになる。

天命だったのだ。

 

しかし、このご縁というのは不思議なものである。なにがご縁になっているのか考えたこともある。目に見えないものが縁なのだろう。因果応報の結果、そういうものが派生してきたのかもしれない。

あるいは、亡父亡母をないがしろにしてきた結果なのかとも思う。やはりどっかに苦学した原因は理解のなかった亡父亡母にあったという原因転嫁説をとっていたのだろう。

なさけないことである。

新聞配達をして学部に行くしか無かったから、修行になったのである。そこのところがすっぽり抜け落ちてしまっている。感謝しなくちゃアカン。日本経済新聞の販売店で修行させていただいていたのである。

もっとも学部卒業後は、日本経済新聞を読むことはまったくなかったが(^0^)。

あ、少しだけ読んだか。株をやっていたときだった。これも大損してからは、読むのをヤメタが。

 

今日は午後から孫(女児)が来る。長男の嫁さんが検診に行くためである。二時間ほど預かる。

楽しみである。

泣くかな?

だぶん泣くだろうな。

ボキじゃダメだろう。

ば~~ばなら泣かないだろうから。

 

楽しみ楽しみ。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月30日(月)のつぶやき

2018年07月31日 06時17分09秒 | とーま君の流儀2018
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の余生の楽しみ 旅行編(中国上海・武陵源・鳳凰古城)2017年夏

2018年07月30日 17時03分10秒 | 中国武陵源紀行2018年10月

私の余生の楽しみ 旅行編(中国上海・武陵源・鳳凰古城)2017年夏

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

香港・中国旅その11 鳳凰古城の街並みが美しすぎて一瞬で好きになった!【無職旅】【旅行記】

2018年07月30日 16時59分49秒 | 中国武陵源紀行2018年10月

香港・中国旅その11 鳳凰古城の街並みが美しすぎて一瞬で好きになった!【無職旅】【旅行記】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

13億人のパワースポット! 中国の奇岩地帯「武陵源」 5/28(土)『世界ふしぎ発見!』【TBS】

2018年07月30日 16時57分47秒 | 中国武陵源紀行2018年10月

13億人のパワースポット! 中国の奇岩地帯「武陵源」 5/28(土)『世界ふしぎ発見!』【TBS】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Turning Used Billboards Into Vinyl Backpacks

2018年07月30日 16時36分40秒 | 英語動画2018

ビルボードをバックパックにリサイクル (Turning Used Billboards Into Vinyl Backpacks)

 

 

Turning Used Billboards Into Vinyl Backpacks

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花火というと思うことがある。たいしたことではないのだが。

2018年07月30日 07時49分57秒 | とーま君の流儀2018

ぱっと打ち上がって、ぱっと散る。まるで刹那的ではあるが、これもまた良し。あれもまた良し。

 

 

花火的生き方というのを昨夜は感じた。

居住地の海岸で盛大に花火大会をやったのだ。夜遅くまでドンパチ打ち上がっていた。むろん音だけである。音だけ聞こえてきたのだ。実際に行ってみる気はなかった。

なぜなら、長男夫婦と孫(女児)がボキンチに遊びに来たからである。夕食を一緒にとった。ちょっとだけ長男と日本酒を楽しんだ。簡単に寿司を食べたからである。

寿司には日本酒がよく似合う。千葉市に出かけたときも、帰り寿司を食べたりする。6月、7月は毎週千葉市に出かけたからだ。通信制高校の副業もスタートしたし。歴史の会でも千葉市に出かけるからだ。ランチも寿司を食べることが多い。食いしん坊だからなぁ。

しかし、これってまさに花火的生き方なのかねぇ。

なにもゼニが欲しくてたまらんから、副業三昧やっているわけではない。ローンもまったくない。そもそもが借金してまでやるような仕事についたこともないからである。

ゼータクもしたことがないから、所詮ゼニとは縁がない。縁がないから円がない(^0^)。

ついでに言えば、これだけオトコが嫌いなのに、女性とも縁がないのじゃよん。

要するに、ぱっと打ち上がって、ぱっと消えるのだ。

あっというまの瞬間芸術である。

これだと時間を大切にしなくちゃアカンと思ってしまう。あっというまの人生で終わりたくないからだ。生まれて、育って、あっというまに死んじゃうのだろうけど。

だからこそ時間は有限だと思うのである。

そして、花火が美しいと思うのは、そういう消え去るオノレを知っているからである。

月日のたつのが早いといわれる方が多い。家人も言う。

ボキは違う。

月日(時間)のたつのが早いと感じることがほとんどない。早いというより、今が永遠に継続しているような錯覚に陥っている。昔のことはほとんど思い出さない。今しか関心がない。

だから定年前のことも思い出さない。

今やっている副業のことが最大関心事である。いかに工夫していくかということしか興味がない。それだけ面白いからである。大学も、通信制高校も、学習塾もそうなのである。今やっていることの工夫をしていくことが実に楽しいからである。

過去にやったことを繰り返しやっているのだから、楽なもんだろうと家人も言う。

ちょっと待ってよとボキは言う。

だって、過去にやったことを副業でやっているわけではないからである。ボキは、歴史の会も、大学も、通信制高校も、学習塾も、そういう仕事をやっていたのではないからだ。

そういう意味では、全部素人であるから楽しいし、工夫改善をしているのだ。それでささやかな収入をいただければ、こんな嬉しいことはない。

 

以上で今朝の打鍵は終わりである。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月29日(日)のつぶやき

2018年07月30日 06時27分28秒 | とーま君の流儀2018
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「老い駆けろ!人生」という新書でおおいに考えさせられてしまった。さらに感動していたよん。

2018年07月29日 07時33分58秒 | とーま君の流儀2018

著者の草野仁さんに学ぶことが多くあった。世間には太極拳の師匠をはじめ勉強になることが多いですなぁ。マジに。でも、師匠をモテルということにも感謝すべきことである。ジジイになるともうオレは完成したという慢心もどっかにあるからなぁ・・・トホホ。

 

 

世界ふしぎ発見というテレビ番組を見た。ほぼ毎週見ている。草野仁さんが、司会をしている。黒柳徹子女史も出ている。楽しみにしている番組である。

なぜか。

それは世界各国のことを扱ってくれるからである。

昨日はジョージアであった。相撲の栃ノ心の出身国である。

一言で言って、行ってみたくなった。トルコの隣でもある。

トルコは、中国よりも歴史が古い。洞窟住居にいたっては、中国4千年の歴史より古い。昨日でほぼトルコ史のノートとりも終わったから、余計に面白い。トルコの隣にあるのだから、ジョージアもまた影響を受けている。

料理も素敵だ。ワインも美味そうだ。

 

で、司会の草野仁さんである。

昨日、彼の新書である「老い駆けろ!人生」(角川新書)を読んでいた。なかなか面白い。奥様が9歳年上である。しかも九州男児であるから亭主関白だったそうな。

それが70を過ぎても老いさらばえるどころか、まだまだチャレンジの連続なのだ。覚悟が違う。生き方に。

家に閉じこもっていない。相撲も強い。腕力もある。陸上もまだまだできる。でも、決して無理もしていない。

家族とのコミュニケーションもしっかりとっている。対話を大事にしている。

白内障になったのだそうだが、これまた親近感を持った理由でもある。

そして思った。

この方は、忍耐の人なのではないのかと。

明るい。

笑顔が光り輝いている。

でも、それだけではない筈である。

裏には忍耐があるのではないのか。

ハラの立つこともあるだろうに、にこやかにさわやかに生きている。もっとも、それは商売だからやっているのだろうけれども。タレントだから。

それを割り引いても、ボキは彼には忍耐があるとにらんだのだ。

でないと、人間関係を上手に、世の中をうまくわたっていける筈がない。

高齢になったからと言って、あらゆるトラブルに首を突っ込んでいるジジイやババアを見る事がある。そういう御仁とは世界が違っているのだ。

エラそうにしていない。

イバラナイ。

それが人格に結びついているのだ。

しかも、超一流の学歴もある。そして決してそれを前面にださない。東大を出ているのにである。自慢しない。本当のインテリは自慢しないというのは真実である。

ボキも現役時代は、インテリに囲まれて仕事をしていた。

ボキ以外はミンナ超エリートであった。

だからいろんな意味で勉強になった。

部下たちもミンナ超インテリで超エリートであった。

ボキはそういう方々に助けられて、仕事をしていたのである。

感謝以外なし。

 

周囲の人すべてに感謝して生きていくつもりである。

日々(_ _ )/ハンセイの生活を送っているからである。

 

アルバイトのやり方ついても(_ _ )/ハンセイである。

来年もやらなくてはならないから、さっそく改善をしている。教材研究を始めたのである。

ま、それで良い。それで。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月28日(土)のつぶやき

2018年07月29日 06時22分01秒 | とーま君の流儀2018
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トータルバランスの大切さに気がついた。それにおおいに感謝している。太極拳にである。これは良き趣味を教えていただいたものだ。

2018年07月28日 08時45分44秒 | とーま君の流儀2018

デタラメな日々の生活でバランスを崩して生きてきたなぁと思う。これからは、心機一転やり直しだよ。トータルに健康・身体・精神のバランスを考えなくちゃアカンですなぁ・・・トホホ。

 

 

今日は台風の影響で早朝ウオーキングができないだろうと思った。思ったから、昨日の晩は塾から帰ってきてから、太極拳のことをインターネットで調べていた。

古式太極拳の動画を探していた。どうしても覚えられないからだ。もともと運動神経も良く無いからだ。

しかし、太極拳を治療のためにやっていると思うとこれはまた別世界の進展がある。つまり、運動のためとか思わない方が良い。そう思ったのである。

なぜか。

ボキは、トータルバランスを崩したのだということに気がついた。健康、身体、精神のバランスを崩したから大病をしたのである。エコノミークラス症候群になってICUまで入って、16日間も入院したのだ。そして挙げ句の果ては大金払ってまで入学した某大学大学院を中退してしまった。

先日千葉市民会館で講演をやっていただいた中退した某大学大学院博士課程時代のクラスメイト(博士・比較文化)からも言われた。「と~ま君は、満期退学じゃなかったの?」って。3年いたからその資格はあったのだが、師匠にダメだと言われた。だから諦めたのである。そんなことを言われた。クラスメイトに。彼女はむろん立派になって博士を取られたのだ。素晴らしいことである。

もっともボキは能力ナカッタからなぁ。

過去形ではない。今でもそうだ。

しかし、最低限の最下層から再度出発ということもあり得る。

ボキの人生、リセットの繰り返しだったからなぁ。

大学受験でもそうだった。新聞配達して進学するしかないと理解した時に、不運を嘆いた。

そんなことまでして大学に行くことに親は反対した。しかし、ボキはどうしても最初の大学に行きたかった。浪人の可能性という選択はナカッタ。

進学に関して理解できない亡父と亡母を恨んでしまったこともある。しかし、そういう親の下に生まれてしまった以上、後は自分で自分の人生を切り開いていくしかない。

結果的にはそれが良かった。

ツイテいたのである。自立できたからだ。

トータルに考えて結果的にはバランスがとれていたのである。

世間に厳しく育てていただいたのである。

新聞の集金に行って水をぶっかけられたこともあった。

それも今となってはなつかしい。

かえって感謝である。うぬぼれていたボキを更正させてくれたのだから。

 

楊名時センセイという太極拳の大家がおられた。京大卒のインテリである。楊名時センセイの書籍も買ってあるが、昨日さらに書籍を注文した。Amazonである。実技の本ではない。太極拳の思想書である。

さらに、中国古典医学書「黄帝内経」も県立図書館から借りてきた。こっちは高くて年金暮らしでは手が出ない。注釈もあるから、一昨日からムチュウになって読んでいる。その本にも書いてあった。

日々の生活が邪気を含んだアンバランスなことばかりやってきたから、今の堕落したボキがあるのじゃよん。実際、ボキの人相には「邪気」という文字が書いてあるからなぁ。マジに。邪気を追い払うことですよ。太極拳のセンセイにも言われたしねぇ(^0^)。

 

うううううううううううううううううううううううううううむ。

 

(_ _ )/ハンセイ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月27日(金)のつぶやき

2018年07月28日 06時31分36秒 | とーま君の流儀2018
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おまえの正体はなんだ?と聞かれてしまったが、最後まで言わなかった。

2018年07月27日 08時09分54秒 | とーま君の流儀2018

たとえ正体があったとしても、正体なんて流れてゆく温泉のお湯のようなもんだなぁ(^0^)

 

 

先日の太極拳懇親会で言われたことがある。「正体を言いたくないのか?」ということであった。ある先輩からである。仕事はなにをやっていたのかということだった。言わなかったからである。最後まで。どんな宴会に出ても、ボキはその手のことを言わないことにしている。理由は特にない。言っても仕方ないからだ。

そして考えた。

正体ってなにか?ということである。

なにがボキの正体なのだろうかと思ってしまったからである。

昔やっていた仕事のことを言うのが正体なんだろうか。否、現在やっていることを指しているのだろうか。

ボキはどちらかというと、現在やっている4種類の副業のことを指していると思っている。それじゃあアカンということなのだろうか。

結論から言って、定年前の仕事のことなんか絶体言いたく無い。だって、もう関係ないではないか。仕事の人間関係だけが、人生のすべてとはまったく思っていないからだ。そういう意味では、信用していないことになる。親族もそうである。姻族はもっと関係が薄い。ある意味割り切っているのだ。

つまり、縛られたくない。固定化された人間関係なんて、なんの意味もない。所詮、滅び去っていくだけではないか。死んだらオシメェなんである。一人で生まれて一人で死んでいくだけであるからだ。

したがって、ゼニも遺していくつもりもない。あ、もっとも最初からゼニはナカッタか。カミの毛もないしねぇ。最初はあったのだが。カミの毛。

わははっはははっはははっはははっははははははっはははは。

 

思い出だけを積み重ねていきたい。

旅の思い出である。

浮浪の旅である。

行き先もよく分かっていない旅が好きだ。綿密に計画を立てて、それこそ分単位で動いている御仁を知っているが、そんなの草臥れるだけだ。

北の方に行って見るかというだいたいの方向を決めて、フラフラとデカケルのが一番である。放浪の旅がいい。だって、人生だって決めたとおりの方向を保っているとは言えないではないか。

 

旅に出ると、特に旅館で正体をバラさなくても良いから気楽である。和風の旅館が好きである。オカミさんと世間話をしながら、美味い料理を食べて、温泉を楽しむ。風呂でも話をすることもある。良いお湯ですねぇとか言って楽しむ。まさに薄い人間関係である。お湯とともに、流れていってしまうだけの人間関係である。

それが良いのである。

たとえ正体があったとしても、正体なんて流れてゆく温泉のお湯のようなもんである(^0^)。

 

さ、これくらいにしよう。あまり根を詰めて打鍵していると目に悪い。白内障になっちまったジジイだからだ。無理は禁物。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月26日(木)のつぶやき

2018年07月27日 06時23分14秒 | とーま君の流儀2018
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忘れ難い本なり

2018年07月26日 18時08分22秒 | とーま君の流儀2018
 
藤原新也 Memento Mori

これを見て、死を思う。死の声に寄り添っている。うううううううむ。   藤原新也 Memento Mori ...
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/