と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

県銚ニュース15号

2010年04月30日 22時25分29秒 | 先公ごっこ2008年から2012年





県銚ニュース15号を作成しました。

 昨日の全日本柔道選手権を諦めて、茅屋で作成しておりました。一昨日、完成予定でいたのです。昨日は朝から高速バスでお江戸に行く予定であったのですが。仕事は相手のある話ですから、なかなか困難なことでありました。今月中に県銚ニュースを作成しておかないと、決意が鈍りますから。ある意味、自分に強制的に圧力をかけないといけません。

 風にそよぐ雑草のようなはかない存在です。雑草は、ある本ではアシなのだそうですが、それだけの価値もないはかなさです。

 それで予約録画して見ました。いいものです。実にいい。華のある選手達です。オーラがあります。実際、東京の講道館には一流の選手がたくさんいて、憧れていました。猪熊功先生や、岡野功先生をお見かけした時は、目がきらきら光っていたと思います。

 昨日、もっとびっくりしたのが、NHKの画面に柔道教室の卒業生が映っていたこと。いわゆるお付きという役割をやっていました。国士舘に進学しましたので、関係の選手のお付きをしていたのでしょう。何度も画面に出てきましたので、感動しました。活躍ぶりにです。

 それで、今日は朝から学校のカラープリンターで印刷をしていただいておりました。というのは、機械に疎いものですから、こちらはやっていただくしかありません。封筒に詰めて、タックシールで宛名を貼りました。そして、送り状をつけさせていただきました。これくらいはわたくしでもできますので。

 連休明けに中学校の皆さんに届くことでしょう。

 楽しみにしていてください。

 さて、今日は実にいいお天気でした。
 さっそく、学校の花を撮影してみました。
 県銚ニュースともども味わってください。

 遅かった春です。しかし、ひっそりとしていたからこそでしょうか、現在は、いきいきとしてきました。なかなか味わいのある花たちではあります。

 わたくしも、在校生諸君のようにオーラのあるような「花」を持ちたいものです。もう無理ですがね。昔から、年寄りじみていましたし、84歳の義母と夫婦に間違われてしまうようでは、実に笑ってしまいます。本当に年齢不詳でありました。若い頃はこれでも若く見られたいと思ったのですよ。もうどうでもいい話ですが。  

 校内に咲いている花を見ても、花のある存在というのは実にいいものです。しかし、別の意味で老年期をどう過ごすかということもまた現実として、向こうから勝手に問いかけてきます。29日にも県立図書館からそういう関係の本をお借りしてきました。ずっと同じテーマを追いかけていますから。楽しいものです。ほんとうに読書の楽しみを教えていただいて、感謝しております。

 小学校、中学校、高校と教えていただいた先生がたにです。

 宿直の時に呼んでくださって、漱石とか、鴎外とか、宮沢賢治とかお話を聞かせていただいたものでした。お元気なのでしょうか。お会いしたいものです。そして一言御礼を申し上げたいものであります。もう無理ですかなぁ。みちのくの寒さに健康を害されていないといいのですが。

 GW中には事故のないように。

 中学生の皆さんも。

 県銚でも今朝担任から注意をさせていただきました。
 それだけを祈っています。

 それではまた!
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今日も天候が

2010年04月28日 21時28分46秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日も天候がよくありませんでした。
 本当に今年はどうなっているのか、心配になります。
 
 午前中に中学校にお伺いして、お願いごとをしておりました。開かれた学校委員会のことでありました。本当に中学校の評価が一番参考になります。ありがたいかぎりであります。改善点も見えてきますから。

 今、全国の高等学校のHPから進路状況の数値を収集しています。進学高と言われている学校のを、です。コメントは避けますが。そしてそれをExcelというソフトで分析しています。

 在籍数を最も重要視しています。見かけの数字にだまされないようにということです。本校のあり方にも直結します。

 そして、今日は映像編集ソフトを購入しましたので、早速本校の映像紹介の計画を立てました。どういう考え方でそれを構成していくかということです。

 脚本を書かないといけません。それから、出演者を。在校生からアナウンサーを募集します。むろんインターネットとは違いますから、生徒のいきいきとした表情を盛り込みます。

 授業紹介が中心となるでしょう。
 そういうことをやりたいと思って来ましたから。ただし、そういう映像での学校紹介は一過性であります。時間がたてば古くなります。

 以前教頭をさせていただいていた学校でも自己満足ですが、映像での学校紹介をさせていただきました。今日は復習のつもりでそれを見ました。20分しかないのですが、なかなかの展開でありました。
 
 そういうコツがさび付かないうちに、再度チャレンジします。

 さらに、マガジン形式の県銚ニュースも作成しておりました。左右のパソコンがフル活動でありました。そして真ん中で書類をチェックしているのです。究極のマルチです。笑ってしまいました。
 こういうのはよくありません。なにひとつ身につかない可能性があります。
 
 まねしてはいけませんよ。
 もっともわたくしのまねをしようという生徒はいないでしょうがね。

 思考形式が右脳なのです。Mind-mapで考えますから。なにか問題が起きたときも、Mind-mapを作成して、それから関係職員と検討に入ります。
 
 一覧性に優れるからです。
 何枚もの書類を見ているよりもこのやり方は優れていると思います。

 もっとも、飽きが問題です。いつもいつも同じやり方ですと、飽きがきます。気が付かないという意味での停滞です。

 今日、いつも読んでいる教育学関係のテキストを前にしてはっとなりました。
 ある論文を読んでいて、思考がまったく働いていなかったのです。惰性で読んでいるからです。こういうのは、危険です。わかっていないのに、わかっているような危険性を感じてしまいました。速読もそうです。速読術をマスターしていますから、読むのは早いのです。しかし、その術ばかりですと、分かったような気になって実はなにもわかっていないということがあり得ます。

 これはいかんぞぉー、まったく理解できていないと思ったので、中断してみました。マルチで仕事をしているのも、こういう場合は良いのかもしれません。別の仕事を切り替えの手段にするということも、あり得るのかなという観点からです。

 GWが始まります。
 この期間はあまり更新できないと思います。

 申し訳ありません。

 では再見!
 
 
 
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そんなのありえない

2010年04月27日 21時44分43秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

 このブログの記事は家人が風呂に入っている間に書きます。
 ですから、なかなか書く材料が見当たらない時もあります。
 今日がその日です。
 朝からいろいろとありました。
 ノルマにしている教育学関係のテキスト(複数)を毎日5頁読んでいるのですが、今日はまったくできませんでした。あまり好きでは無い言葉ですけど、それこそ忙殺されていました。

 生徒諸君は、体力診断テストでした。生徒諸君も一日かなり忙しかったのですがね。自分ばかり忙しいと言っていたらバチがあたります。

 つまり何を言いたいかと申しますと、考える時間もなかったということです。
 人生いろいろ、仕事もいろいろとおっしゃった宰相がいましたが、まさにそうでした。

 しかし、どんなに時間がなくても、スポーツジムには必ず行きます。
 今日も遅くなったのですが、きちんと行きました。
 日課ですから。
 消費カロリーも計算の上であります。

 今日は、自転車こぎをするマシーンで、テレビの野球中継を見ながらでありました。ジャイアンツのラミネス選手がホームランを打って、喜んでおりました。

 それから懸垂もします。10回をノルマにしています。もう、こんな程度しかできません。情け無い限りです。

 そして、家で夕食を食べます。
 菜食中心です。
  
 俳優の加山雄三氏が、70代になるのに、この間のラジオで、まだ虫歯が無いと自慢していました。わくしもまだ虫歯が一本もありません。目指せ!加山雄三氏であります。しかも彼氏のえらいところは、70代になっても現役スキーヤーなのです。わたくしも現役スキーヤー(三流の)ですが、ずっと後輩になります。

 負けてたまるかであります。
 
 つまり何を言いたいのかと申しますと、健康体力の向上ということは生涯学習ですよということです。

 不摂生をしたらいかんですよということです。

 これは若い頃から心がけないと大人になってからはなかなかできません。
 ほんとうに肝に銘じていただきたいと思います。
 健康あっての学問勉強です。
 ほんとうにそう思います。
 大事にしてくださいね。

 こういう材料の無いときは、時間系列的にずっと書いていくとなんとなく字数は埋まります。それでも、楽しいのでしょうね。こうやって在校生諸君への語りかけが。

 まったく交流がないのが若干の寂寥に結びつきますがね。
 それでも、たまに在校生諸君と挨拶を交わしたりすると実に楽しいものです。根っからの子ども好きなんですね、わたくしは。

 柔道教室の小学生とも実に楽しい会話をしています。県銚の校長だとは知りませんから。ですから、いろいろな会話を楽しんでいます。ときどき、小学校の先生のことも聞きます。するといろんなことを言ってくれます。大きな収穫もあります。教師としてのあり方、生き方まで教わります。

 なんと言っても楽しいのは、おとなたちが「この先生は、校長先生なんだよ」と子どもたちに言っても、「うっそ~、そんなのありえな~い」と拒否されることでしょうか。幼児たちにそう言われるほど人格が軽いのかもしれませんが、こんなささやかな対話に喜びを見出しております。

 ますます楽しみにちびっこたちと交流を重ねていきたいと思っています。
 本当に土曜日の柔道教室が待ち遠しくてたまりません。
 土曜日は朝からいそいそとしています。早く稽古の時間にならないかなぁと。
 笑ってしまいます。




 明日も寒いのでしょうか。

 またここでお会いしましょう!
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野球部女子マネージャーがドラッカーを読んで

2010年04月26日 20時54分13秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

 やっと春らしくなりました。
 この写真は、校舎を背景としています。在校生ならどこだかわかりますよね。

 今年はほんとうに遅い春であります。花がかわいそうです。

 この写真は職員会議の直前でありました。
 間に合うかなぁと思いつつ、急いでデジカメを。

 こんなささやかな風景でも、好ましいものであります。
 そしてささやかな息吹が、県銚を最もよく現しています。そして、その息吹のもとで広報をしております。ささやかだけれども、どこかに強靱さを持っている。日本的な美というものは、実にいい。清楚というものに憧憬します。昔から。

 
 さて、一昨日の土曜日、スポーツジムの近くの書店で、ドラッカーの本を衝動買いしてしまいました。紹介するのを忘れておりました。

 「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」 岩崎夏海作 ダイヤモンド社

 週刊文春でも話題になっていました。
 最近の政治状況とからめて、です。
 中正を守らねばならない教育公務員ですので、そちらの方はこれ以上話題にしませんが。

 作者の岩崎夏海先生は、わたくしととてもよく似たヘアスタイルで、年の離れた弟のような風貌の方であります。最初わたくしは女性作家かと思いましたが、作品のイメージとまったく違いました。どこかでサイン会でもあったら、行ってみたいような味のある方だろうと勝手に思っています。

 昨日の夜、読了しました。
 ともかく抜群におもしろい本でした。
 都立高校の野球部女子マネージャーが、ドラッカーを読んで、マネジメントをしてしまうという小説なのです。ブログから小説になったものだそうです。また、歌手のAKB48という方々のマネジメントに関わった方だそうです。作者は。

 本の装丁がちょっと今風に過ぎてとても抵抗があったのです。しかし、これはおもしろかった。今風の高校生が、野球部女子マネージャーになって、改革をして行くのですから。
 
 甲子園に絶対連れていくという野望。
 都立高校でも相当のレベルにある進学校をです。

 結末はここで述べませんが、友人関係のことやいろいろな蹉跌もあって、物語性としては実に楽しめます。
 
 なんといってもドラッカーの実践版という感じがとてもよかった。
 こういうところで、こういう風にドラッカーを応用すればよかったのだなと非常によく理解できたわけです。

 野球にからめて、練習方法やキャプテンの人選方法、エースを鍛える方法、監督をいかにマネジメントするかということが書かれてありました。さすがにビジネス書専門のダイヤモンド社から出ているだけのことはありました。ついでに言えば、わたくしは、ツイッターでこの出版社の情報をチェックしています。


 ジムでいろいろと運動をしてから、いつも柔道の稽古に土曜日は行きます。
 この本を読みながら、自転車をこいでいました。
 いつも20分くらいしかやらないのですが、終わってみれば30分もやってしまったのです。何台もあるからいいようなものの、これはひんしゅくを買いますね。

 もっと読みたかったのですが、ちびっ子たちが待っていてくれると勝手に思っていますので、途中で止めて道場へ。

 そしたら、なんと左手首を痛めてしまいました。
 今日は学校で一日左手首をさすっていたのです。

 職員会議で、ずっと左手をカバーしていたのを、先生方は誰も気が付かなかったですがね。当たり前です。
 ま、笑い話のようなものです。
 情け無いです。
 まったく。


 また明日!

 
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貴重な読書タイム

2010年04月23日 22時55分28秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日は、在校生諸君とはお会いできませんでした。
 朝から千葉に行っておりました。 
 安全教育と交通安全という仕事をさせていただいております。
 しかも、集合時間が午前中ですと間に合いません。
 なかなか交通事情は厳しいものであります。

 さて、Titleのことであります。
 れいによって、電車の中はわたくしの貴重な読書タイムでありますから、本当に真剣に本を読んでおりました。こういう機会でないと、自己の思索を練ることはできないからであります。日頃の時間ではなかなかできない。それと電車の中は人間観察に非常に適します。ビートたけし先生が山手線で実践されてそれをネタ帳にされた理由がよく理解出来ます。

 教育というのは「人間学」に通じます。 
 人間というものをどう理解するか。
 そういうことを考える機会と時間を与えていたいているからこそ、子どもたちへの教育が可能となるわけです。それでなくては教育は誰にでもできることになります。深い時間の切磋琢磨があるからこそ、他人の子に教育ができるとわたくしは思って参りました。

 本当におおいなる仕事であります。

 これは素人では出来ないMISSIONです。
 そのことを思うと、寝ている暇もないほど、勉強をしなくてはならないと思うのです。

 今日も遅く帰りました。
 しかし、こうやって記事を書いております。

 こんな懶惰なわたくしでも、お伝えしたいことはいくらでもあります。もっと時間をかけて推敲をして書き込みたいのでありますが、時間がないのです。

 多少乱暴でもこのブログに書き込みをさせていただいております。

 でないと、具合が悪いのか?と聞かれてしまうのです。

 明日は土曜です。
 レポートを仕上げます。

 テキストファイルで提出しなくてはなりません。
 こんな懶惰な老年でも生涯学習を志向しているのですよ。
 
 完成にはほど遠い。
 まだまだわたくしは成長するような気がしてなりません。

 一生勉強です。

 諸君たちにはまだまだ負けませんよ。
 年寄りの****かもしれませんが、ね。
 勉強なさいませ!

 

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一年生の授業

2010年04月22日 21時33分57秒 | 先公ごっこ2008年から2012年








 一年生の授業を見させていただきました。
 3クラスです。
 古文2つと、化学の授業でありました。

 まことに熱心。
 いいものであります。「鍛錬」の姿であります。

 動画でも紹介いたします。
 最後に再編集して、一本の動画にします。
 これは昨年度もそうしました。
 楽しみにしていてください。
 時々再編集しますが。
 
 


 来週は全日本柔道選手権があります。
 去年も行きました。
 楽しみにしています。
 よほどのことがなければ行くつもりです。

 やはり一流の選手の技は違います。
 これぞ武道。
 そう思います。

 ああいうところに出て来る方は華があります。
 オーラとでも言いますでしょうか。

 本校には柔道部がありませんから、無関係の生徒ばかりですが。
 
 山岡鉄舟の本を単行本で買いましたので、書庫に飾ってあります。やはりこの御仁は凄い。文武両道などというレベルをはるかに超えています。東京物語のDVDを購入した匝瑳市の古書店で手に入れたものです。文庫の簡略版は持っていたのですが。いいものはいい。ホンモノはいい。そんなふうに思います。

 古武士のような生き方はある意味憧憬の対象です。
 しかし、もうできません。
 身体がついていけません。

 若いうちの鍛錬の重要性をしみじみ感じています。
 そういうことを考えるためにも、一流の技を見に行くのはためになるようです。

 

 本校で、おおいに学びながら、若いうちしかできない「鍛錬」に邁進なさいませ。

 授業の中で。



 またお会いしましょう。 
 

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三屋清左衛門残日録

2010年04月21日 21時00分14秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 三屋清左衛門残日録という藤沢周平の小説を過日紹介させていたきました。
 今日は、午後から出張でしたので、電車の中で読み終えたのです。

 しみじみとした味わい深い作品でありました。
 池波正太郎先生の剣客商売にも似た実にゆったりとした味わいがあります。
 がつがつとしていない余裕。
 ゆとり。
 そういう泰然とした魅力を持ちたいものであります。
 なかなか困難なことではありますが。

 この藤沢周平の作品は、アクティブエイジングという論文で紹介されていましたので、興味を持ったのです。銚子駅前の書店にも置いてありました。わたくしは、古書店で入手しましたが。

 なぜ、古書店ばかりかというのはワケがあります。
 むろん、金銭的なものもあります。要するに、量的に追いつかないのです。多種大量に購入しますので、本当に困ってしまいます。専門が無いようなものですから。いろいろなことに興味関心があって、ご丁寧にもいちいち論文まがいのものを書いて師匠に御指導をいただいている懶惰な老書生ですし。困ったものです。60になんなんとするのに、まだ自慢できる能力もないのです。本当になんにも無い。恥ずかしい限りであります。もっとも、そんな能力がもしあったとしても自慢なんかするはずもありませんけどね。それほど世間ズレしているつもりはありませんです。
 
 だったら図書館から借りればいいじゃないかとよく言われます。
 事実、借りているのです。
 しかも県内でも有数の図書館が東総地区にはありますから。ありがたいかぎりです。ほぼ毎週通っています。静寂な中で、ひとときを過ごすのがなによりも楽しみであります。大学の本当の実力はその大学の図書館の充実度であると聞いたことがあります。高校の同級生でT女子大学の教授をやっている奴から言われました。首肯できます。まったくそのとおり。そして、茅屋のわたくしの複合機で気に入った頁をコピーさせていただき資料集を作ります。こういう作業が実に心地よいのです。

 それと、書籍は自分で購入しないと身につきません。書き込みができないからです。借りた書籍には絶対にしてはなりません。これは厳守事項。

 書き込みをした書籍は本当に懐かしいものです。
 日付も入れておくと、あぁぁぁ、若い頃はこんなことに感動していたのだったなぁと思います。
 
 ドストエフスキーの小説もそう。
 マルメラードフの描写について、書き込みを見ていたら、38年前にはこんなことを考えていたのだなぁと河出書房新社から出ている全集本がいとおしくなりました。今も未熟ですが、20歳前後のわたくしの精神の幼さが恥ずかしい。なんにもわかっていなかったのですからね。

 青年期はうぬぼれと、強気、弱気が同居します。
 それはそれで好ましい。
 ある意味そういううぬぼれがないと社会は発展しません。
 乱暴な思索と、無目的な行動。
 いちいち自分の行動に意味を持たせることはできないのが若さの特権でもありましょう。そういうPowerが世の中を変えてきたのでしょう。幕末はまさにそういう時代でもありました。
 
 しかし、時間は冷酷です。
 必ず、静寂な時期が誰にでも訪れます。病気をしたり、老いたり。太陽は必ず西の方に沈んでいくのですから。

 そういうときにどうするのか。
 そんなことも必然的に考える時期が待っています。

 燃えさかる時ばかりではありませんよ。 
 
 藤沢周平の小説「三屋清左衛門残日録」はそういうことを考えさせてくれました。

 感謝です。

 教育もまた、人生をトータルに考えさせてくれるものであります。どこの大学に何人送ったかというような数値の問題ではないからです。そんなことを言い始めたら全国屈指の進学高に笑われますからね。

 そんなことを宣伝するつもりもありません。
 
 いろいろ考えさせていただいた藤沢周平先生に感謝です。
 まったくそうです。



 また明日!
   
 
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東京物語と自己認識

2010年04月20日 21時37分33秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 東京物語(小津安二郎監督)のDVDを昨日の夜、茅屋のテレビで見ていました。白黒の抑制のきいた映像は実にいいものでした。
 昨日の記事の自己認識を思い出しました。
 また、この映画はあなた方のような10代後半に見ることもいいものだと思います。家族とは何か、親になるとは何か、親子関係とは何か、教育とは、福祉とは、高齢化社会とは・・・いろいろなことを考えさせてくれる映画です。

 小津監督の手法は、見事です。同じカットを映しながら、人や物の配置等の工夫でいろいろなことを考えさせてくれます。この映画には彼のテクニックが詰め込まれています。なんだか、市教委時代に鍛えていただいたことを思い出しながら見てしまいました。

 心象風景を扱うということでは、最高だと思います。少なくとも絶叫型ではないのが実にいい。こういう静かな流れ方をする脚本は最近あまり見かけませんから。

 老夫婦が東京に来てから少しずつ際立つ子どもたちとの違和感、生活に投げかける波紋が丁寧に描かれます。

 高齢化社会と老年期の過ごし方という現代的な問題がもうこの時期に(1953年)扱われています。誰でも直接接する問題であります。関係のない人はいません。ある意味福祉にも通じます。

 老夫婦の子供たちとて歓迎したくないわけではありません。ただ忙しいだけ。だが、その「忙しい」という言い訳がどこまで通用するのか。小津監督の追及は厳しい。

 長女しげを演じる杉村春子の演技はあまりにも見事です。自分勝手で、人間の醜さを演技したらこの女優さんの右に出る方はいないと思っています。殆ど同様な体験をしている方々も多いことでありましょう。

 対照的に原節子演じる戦死した二男の嫁紀子は、どのように人々の自己認識に影響を与えるのでしょうか。こちらは難しい。まるで理想的な価値観で描かれている。ドストエフスキーの作品群に出て来る理想的女性のようでもあります。しかし、最後は「私、ずるいんです」という彼女の一言は見るものすべてに止めを刺します。それがずるいのなら、わたくしたちはどうなのだ?という設定です。それが笠智衆演じるおじいさんの自然さと対比されて、彼女は救われる。すくなくともわたくしはそう思いました。

 と、ここまで書いてきて、現代文の授業にも通じるものがあると気がつきました。西郷竹彦先生にイメージ化の国語授業を学んで、いろいろと実践をしてきたことを思い出しました。

 「意味を問う教育」 西郷竹彦著 明治図書
    文芸教材をゆたかに、深く読む
 「宮沢賢治『やまなし』の世界」西郷竹彦著 黎明書房 


 実は先生の全集を持っております。
 義務教育の教員時代に、拙い歩みではありましたが、勉強させていただきました。文芸研という研究団体もあるようです。入会してはおりませんけれども。


 こういうことを思い出すことが、自己認識の新たなスタートということでありましょうか。

 根幹に人生でやりたいことがあって、こうした映像や文学を鑑賞する中からなにかのきっかけで大きな影響を受けることもまたよし。

 

 東京物語で、老夫婦が熱海の海岸でじっと海を見つめながら、子どもたちに迷惑をかけていることに気がつき、尾道に帰ろうかとつぶやくシーンは忘れられません。

 このシーンが、わたくしに学びの意欲を与えてくれたようです。
 高齢化社会と老年学、ターミナルケア、グリーフケア、死生学と興味は広がっています。おそらくわたくしの人生最後のチャレンジになることでありましょう。

 それもまた新たなる自己認識でありましょうか。



 また明日。

 
   

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自己認識のあり方

2010年04月19日 22時04分18秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 ある哲学者の書籍を読んでいたら、「愛」が問題となるのは、愛が無いからであるという文章に実に納得がいったものでありました。たしかに、他人への愛が無いから、愛が問題になるのでしょうね。反証的なわけです。
 
 真逆だからこそ、問題になりうるということであります。

 また、自己認識のあり方によって、愛が必要であるか、無いかということの著述にもぎくりとなりました。自己認識のあり方という点では、有名なエデンの園のリンゴ事件もそうでありましょう。自己をどう認識するかということが、とても大事なことであるような気がするのです。教育に携わっておりますので、これくらいにしますが、ね。

 自己をどうとらえるかということが、他者批判をしてばかりいる方々の根拠についての考察にもなります。他者批判というのは、自己のよって立つべきところを正と認識しており、自己以外はすべて反と認識するところからスタートしているような気がしてならないからです。そんなに自己が正なのでありましょうか。どこまでも自己だけが正しい存在などあり得ないと、愚鈍なるわたくしは思っているのですが。

 他の方々の議論を拝聴していると、自己だけを正と認識されている方々は、自分の論理性の欠如を如実に現しており、これは論理学上非常に面白い対象になります。ですから、会話には気をつけなくてはならないのです。ソクラテスの時代から、それは言われておるのです。おもしろ芸人のごとく、でたらめなことを言っておもしろがっていてはなりませぬぞ。
 
 自己認識のあり方というのは、古今東西、哲学の歴史で問題になったものでありましょう。読書をすればするほど興味深いことであります。特にインテリと自称される方々に、お聞きしたいことの一つであります。わたくしなぞ、労働をしながら大学を出ましたので、余計そう思います。その後も、通信教育ではありますが、3つほど大学や大学院に関わりましたので、本当にそう思うのであります。わたくしは、ですから虚像としての最終学歴がどうなっているのか意味不明です。ま、そんなことはどうでもいいことです。問題は正味の実力があるか無いかです。

 マスコミによって、その自己認識のあり方が左右されます。それは経験上言えております。

 つまるところは、さしたる考えもなしに、ふらふらしていてはならんのです。信念がなくてもいい。されど、責任は生じる。それから逃げることはできません。メールも一緒です。やたらと書き込むべきではありませんぞ。

 電話も危ない。
 いつ録音されるかわかったものではありません。この間、有名な秋葉原というところに行きましたら、いろいろ売っておりました。ハイテク人間には電話もしたくないと正直思いました。まったくどうなっているのか、わかりません。わたくしのような機械音痴には。

 ですから、こんなつまらないブログでも危ないことには接近しておりません。所詮、広報として始めただけですから。

 対象も中学校の生徒の皆さんと、在校生だけです。
 目的はじっとがまんして、守るしかありませぬ。

 私学の校長先生なら、いろいろ書けるのでしょうがね。このブログでブックマークさせていただいる大阪國學院中学高校のような学校がある意味うらやましい。
 
 




 また明日!

 

 
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保健の授業を参観

2010年04月19日 19時24分03秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

 今日は、朝一番で保健の授業を参観させていただきました。
 2年生のあるクラスです。写真はその紹介です。

 ことしも動画で授業をご紹介させていただきますので。
 どういうかたちで紹介させていだくか、これから検討いたします。
 保護者の方が、楽しみだとおっしゃいますし。

 学校のことならばなんでも広報になると思っています。
 便利な時代になったものです。
 
 技術力があるともっといいのですが、わたくしなぞ、コンピュータも映像も全部ド素人です。ご専門のかたから見たらなんだこれはとおしかりを受けそうです。素人故になんでも挑戦してしまうのですね。

 お許しを。

 今日映させていただいた先生には、DVDで動画を焼いて、プレゼントしました。新採用の先生には時々そういうことをさせていただきます。DVDで見たら鏡のようなものですから。それからいろいろとお話をさせていただきます。

 そんなわけで、今日は学校を出るのが遅くなりました。幕張まで行かなくてはならない仕事がありました。

 高速で行かないと間に合わない時間になりました。
 光町のインターから乗るので、若干あせりました。
 いかんですね。
 仕事は余裕を持ってやらないと。
 撮影をさせていただいた先生にDVDを差し上げると今朝宣言してしまいましたので、どうしても映像編集をしてから行きたかったのです。約束は守りませんと、ね。走れメロスではありませんが。 


 映像と言えば、「東京物語」「麦秋」「お茶漬けの味」のDVDを入手しました。小津安二郎監督の名作であります。今日の帰り、匝瑳市の古書店からです。以前から欲しかったものであります。やっとこれで楽しめます。

 老年学の論文を読んでいて、欲しくなったものであります。

 特に東京物語がいい。
 年の取り方ということを考えさせられます。
 
 笠智衆という男優の(フーテンの寅の御前様役)味わい深い演技が実にいい。

 ・・・・

 こんなことを書いても、若い方々にはなんの興味もわかないでしょうけれども。

 また明日!
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静謐

2010年04月16日 20時01分23秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日はそっと廊下から授業風景をのぞいてみました。
 静謐という表現がぴったりでありました。

 しーんとしています。
 夢中になっているのがよくわかります。
 熱気も伝わってきます。
 触れるとやけどしそうな熱意。こういうところから、力(チカラ)が育つわけであります。そうでなくてはなりませぬ。机上の空論から、実践力へ。むろん机上の空論も大事です。基礎基本です。空論という言い方が悪ければ理論。インプットと言い換えてもいい。そこから実践力が育ち、実践へと結びついていきます。(※実践力と実践は似て非なるものです)

 
 今年も授業風景を動画でお伝えしたいと思っています。
 まだ先生方も生徒の実態把握の真っ最中であります。
 落ち着いたら各教室にうかがうつもりです。

 教育は実態把握無しには不可能であります。
 どういうことでわかってもらえるかということが大事なわけです。

 授業をする方の準備と、聞く方のレベルもまた非常に大事なものであります。
 いわゆる人を見て法を説けというのと一緒です。

 ですから絶対に思い上がってはならないわけです。

 その辺は、経験がものを言うのでしょう。
 ずいぶんいろいろな授業体験をさせていただきました。

 学校によって、千差万別でありました。
 これ以上は、ここには書けません。
 
 いろいろな思い出があります。
 
 一時期他の先生方の授業を参観させていただき、「追試」というつまり物まねをさせていただきながら、訓練をしていました。懐かしい思い出であります。一行詩などの国語授業が、かなり難しいものでありました。板書も生徒にさせてみたり、ノートも生徒とのコミュニケーションで使ったり、工夫したものであります。こういう実践から得たわたくしの拙いコツをどっかでお伝えしたいものでありますが、そもそもまだまだ完成しておりません。お伝えするなら、それなりに理論も勉強しませんと。

 いろいろとお世話になっている大学の先生からいい情報をお聞きしました。それで、教育学とか、心理学の旧版の大学教科書(その大学出版部のもの)をご紹介いただいたので、入手させていただきました。合計7冊。一昨日送られてきました。嬉しくて、嬉しくてたまりませんでした。家人に呆れられましたが。その中に、人格心理学というのもあったのです。これが欲しくてなりませんでした。茅屋で読み始めております。

 知らないことが多すぎます。
 今になって思うのです。
 何も知らないで親になったり、いっぱしの社会人を気取ったりしていたんだなぁと。他人に自慢できるようなものはなんにもありません。

 すべて「無」。
 笑い話のようなものです。

 柔道もそう。審判もさせていただきましたが、人の試合を審判できるだけの実力もないではないかと気がついてからは、可能な限りやりません。事故等でやる人がいないときだけにしました。オリンピックにも出ていませんし。理論だけは身につけようと、嘉納治五郎大系という全集を匝瑳市の古書店から購入して勉強させていただいております。柔道教室の保護者の方にその読後感をインターネットで書かせていただきますと約束したのでありましたが、まだやっていません。なんという懶惰な性格でしょうか。

 反省、反省。

 わたくしも、本校生徒達のように「静謐」な心境を保ち、真摯に学ぶしかないようです。

 寒かった一日でしたが、熱気のある県銚でありました。

 また来週!

 

 
 
 
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マインドマップ

2010年04月15日 19時16分42秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 ドラッカーという方の本を読み始めて、まだ5年目ですが、これはなかなか良書であります。

 国際空港に近い高校の教頭をさせていただいていました時に、当時の校長先生から勧められて読み始めました。

 経営書だと思っていましたら、とてもそんな枠で理解できない大きな哲人でありました。

 学ぶしかないようです。
 まさに学ぶしかありません。
 一番下の段の欄外にちょっと紹介をしていますから興味のある方は見てください。



 さて、今日は県の今年度の教育方針を、ICレコーダを片手に、殴り書きのシンプル・マインドマップ・ノートを片手に、マインドマップのソフト(フリーソフト)で書いておりました。わたくしは箇条書きが苦手ですので、この手法で右脳を刺激するというやり方が気に入っています。

 それで、一枚の紙に大体の情報を描いてみるわけです。A3の紙に印刷すると6時間分の伝達が一回でわかるようになっています。

 さて、それとドラッカーとどういう関係があるのかと言いますと、ドラッカー曰く、これからの社会は知識社会であるという概念規定があるからです。非常に多くの情報をただ闇雲にインプットしているだけでは、いけません。全体図で考えていただきたいと思っています。

 つまり、どれだけ活用できるかということです。
 なんだそんなことかというように思う人もいるかもしれません。
 
 具体的に言うと、ノートをとった、メモした、写真に撮っておいたというだけでは、活用ができないということです。

 システムや、マニュアル優先でいくとそれにこだわってしまいます。
 要するに記憶として残ればいいのであって、やり方優先ではありません。
 そこのところを勘違いしてほしくないなぁとずっと思っていましたので。

 ドラッカーは、人間優先主義だと思っています。
 システム優先の形式主義者ではないと理解させていただいております。

 茅屋の書庫にも殆どの書籍を集めました。
 なんとなく相性がいいようです。

 気になる相手とでも言うのでしょうか。
 
 そんな学者先生をお一人持ちなさいませ。
 
 これからの人生、とても有効ですよ。

 ほんとうにそう思いますから。


 
 勉強なさいませ。

 
 














・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●『ウィキペディア(Wikipedia)』によると以下のような方であります。

ピーター・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker、1909年11月19日 - 2005年11月11日)はオーストリア生まれの経営学者・社会学者である。なお著書『すでに起こった未来』(原題"The Ecological Vision")では、みずからを生物環境を研究する自然生態学者とは異なり人間によってつくられた人間環境に関心を持つ「社会生態学者」と規定している。ベニントン大学、ニューヨーク大学教授を経て2003年までカリフォルニア州クレアモント大学院教授を歴任。「現代経営学」あるいは「マネジメント」(management)の発明者と呼ばれる。叔父に公法学者・国際法学者のハンス・ケルゼンがいる。




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正味の実力で

2010年04月14日 21時34分55秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 部活動のあり方という点では、自分自身も中学校教諭時代から真剣に取り組んできましたから、思うところは大であります。
 
 今日はよその校長先生といろいろお話をさせていただき、そういう感じを持ちました。

 県銚と大会で試合をした学校でありました。
 なかなかいいお話をいただきました。
 種目はあきらかにしません。

 ただし、なぜわたくしが、社会体育で柔道のお世話をさせていただいているのかというのがヒントです。

 そもそもヨーロッパでの柔道はまったくの社会体育であります。しかも、フランスやドイツも相当に世界レベルでは強いのであります。ある種の焦りを感じます。底辺で頑張っているわたくしどものような存在もまたいていいのではないでしょうか。

 どうにもこうにも奥歯にものの挟まったような言い方ですが。

 要するに絶対というのは無いと思うからであります。
 これでいいのだと、これしかないのだというのはどこか間違っているのではないかと思います。
 
 学校教育だって歴史は浅いのでありますから。インターネットで学べるシステムも今はかなり多くなっています。なにか大きく変化するのではないかと感じます。

 どうなるかはまったくわかりませんが、ね。

 逆に言えば面白い時代になったものです。
 まったく会ったこともない方を師匠として、テキストもIT、試験もITという時代が到来したのですから。わたくし自身も実践しているから、そう言えるのであります。

 正味の実力を問われる時代に突入しているのかもしれません。
 学校にいたことがあるというのではなく、なんの実力があるのか、なにが出来るのか、他人の評判とかそういうものとはまったく無関係の要素が、これから登場してくるような気がしてなりません。

 本当に面白い時代になったものです。



 これから残りの人生を送っていくのに、もうわたくしは表象としての行為を求める気はさらさらありません。事実行為のみを求めて参ります。

 虚像も不要であります。
 世間体も無関係。

 柔道といっしょで正味の実力で生きていきたい。

 と、ここまで書いて、柔道の実力はまったくないのに気が付きました。かつての重量級が痩せて、もう話になりません。

 部活のことも、もの申す資格がありません。
 実力がないのですから、ね。
 笑い話です。
 
 教え子のプロレスラーにも言われました。
 クチでやるより、実践ですよ、先生!

 これです。
 これ。
 
 まさに運動部の真髄であります。

 
 学ぶ日々を送っております。
 ありがたいものであります。

 また明日!

 
 
 
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中学校にご挨拶を

2010年04月13日 19時18分45秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日は銚子市内の中学校にご挨拶をさせていただきました。
 全部の学校ではありません。校長先生が替わられた学校にです。

 広報誌を持参しました。さらに、わたくしの自前の名刺も持参しました。この名刺は工夫してありまして、なかなか我ながらいいアイディアであります。広報とドッキングしています。手前みそだと笑われますが、ね。自分で作っているんですよ。お小遣いで。趣味的な側面もありますから。楽しんで広報活動をさせていただいております。このブログもそうかもしれません。ツイッターも研究中ですが、こちらは難しいのかなぁと慨嘆しています。個人情報漏洩の面で。

 中学校にも在職させていただいておりましたので、知っている方が多く、失礼のないうちに行かなければと思っていました。懐かしいお話をさせていただきました。このようなことができるのも、地元の高校に来させていただいた結果であります。ありがたいかぎりであります。

 だんだんと自分が見えなくなっては困りますから、いろいろなアドバイスをいただきたいとお願いして参りました。中学校からのダイレクト評価が一番クスリになります。

 いつも思うのですが、傲慢さがあると、学校経営は失敗します。



 MBAというのは、あらゆる企業破綻の事例について研究をするのだそうですね。知人の方から教えていただきました。銀行マンで、仕事の傍ら夜間大学大学院でMBAを取得された方です。すばらしいものです。いろいろな失敗事例を研究している方からのアドバイスがそうとう堪えます。怖れもあるかもしれません。永久に続くシステムはないわけですから。

 ある意味、本校の発展には最大限の時間を使っていけという天の声があって、わたくしは本校に残させていただいたのかも知れません。ありがたいことであります。2年くらいではなにもできませんから。



 都立の日比谷高校が、進学実績でかなり元に戻ってきました。
 往年の大活躍を知っている身としては、それでもなかなか完全復旧とは言えないと思います。なにしろ、わたくしが田舎で少年時代を送っているときは、全国一の進学校でしたから。受験雑誌に毎月のように登場していて、凄いなぁと憧憬していたものであります。

 その日比谷高校の校長先生は、8年の時間をかけて復旧をされたのです。それくらいかかるわけであります。それでも志半ばとおっしゃる。

 一度安逸を覚えたら、復旧には相当の困難が伴うという好例であります。 
 反面、大活躍をしている学校の特徴も非常に参考になります。

 俺が、俺がで、オイラが一番。
 こんな生き方からは何も得るものがありません。

 誰も相手にしてくれないでしょう。
 謙虚に学ぶしかないようです。



 ある中学校を辞去するときに、階段の上から大きな声でわたくしの名前を呼ばれました。
 中学校の時の生徒さんでした。今は、中学校の先生をやっていらしゃる。
 わたくしも顔が変化しましたが、わかりますか?と言われてしばし沈黙。
 あああ、と思い出しました。
 野球部でした。
 わたくしの担任した学年とは違っていましたが。

 そんなこんなで、今日は実にいい時間を過ごさせていただきました。
 
 感謝です。
 感謝。

 
 またお会いしましょう。



 
 
 
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今日から平常授業

2010年04月12日 22時40分35秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 入学式以来和歌の本を眺めておりました。
 
 苦手な分野ですので、ゆっくりと学ぶしかありません。
 このようなわたくしでも、桜の美しさはわかるようです。

 味わいのある自然観を身につけたいものです。
 なかなか困難な歩みではありますが。

 花吹雪を訪問しながら、旅でもしてあるく境涯になりたいものです。
 風流とは、そういうひとときを大切にするところから可能になるのでしょう。
 事実、山桜の美しい場所がたくさんありました。この週末はそういうところを和歌集を片手に巡っておりました。山家集の西行法師を気取って、です。笑われてしまいますが、ね。



 学校は、今日から平常授業になりました。
 もう、そういうモードに突入です。
 在校生諸君は、今日の嵐のような雨にもかかわらず一生懸命であります。
 
 わたくしも在校生諸君に学んでいます。
 意欲、迫力、元気さ。
 全部かないません。
 たいしたものであります。

 授業態度もずいぶんすばらしい。

 こういう真摯な姿勢がすばらしいのです。

 いくら面倒見がよいと言っても、自分にやる気がなければ話になりませんからね。

 柔道でも、ちょっと技がかからなくなるとすぐに教わろうとする人もいます。これはいかがなものか。クチで教えてすぐできるようなら、修行はいりません。
 自分で工夫してこその、修行であります。なんでも人のせいにするなと、わたくしはこと武道に関してはそう教えてきました。

 今日は、わたくしのお師匠さまから、宿題を出されていますので、考えておりました。理性を疑うということであります。「明証的に真であると認められるもの以外は一切受け入れられないのか」という宿題であります。

 理性と、疑うということ、われ(自我)ということ。
 そんなことをしみじみと考えておりました。

 教育とも密接に関連いたします。
 多少理屈っぽいのかもしれませんが。 

 ですから、何を言いたいかと申しますと、こういうことを考えるには、安易に教えていただいては自分の力にならないわけだということです。

 考えるしかないのです。

 ご自分で。
 わたくしも、老骨にむち打って考えるしかないわけです。完成していないのですから。


 入学式のメッセージについて、プロフでいろいろ考えている生徒もおりました。
 また、時間が長くてしょうもない校長だという生徒もいたことでしょう。
 実際書き込みはだいたい把握できていますが。
 それはそれ。
 何を言われても、わたくしはお伝えするしかないのです。
 
 見ざる、言わざる、聞かざるで、さらに何も考えない、読みもしないではいかがなものかと思うからです。そうではいかんですぞ、と申し上げるのが務めであります。



 また明日!

 
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/