と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

知の回廊 第108回「「お墓」の民俗学」

2017年08月31日 18時18分54秒 | とーま君の流儀2017

なかなか面白い動画でございました。

これから死んでゆく身でありますので。

ボキも、あーたも。

 

 

知の回廊 第108回「「お墓」の民俗学」

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「結果」よりも「動機」であると本当にそう思う。・・・ちょっとマジメに。

2017年08月31日 08時23分06秒 | とーま君の流儀2017

悪業の影に「動機」あり。人間の行動は「結果」ではない。あくまでもどんな「動機」を持って行動したかである。北朝鮮のミサイル問題を見ていてもそう思う。リーダーの「動機」である。

 

 

ボキは、これまで数々の悪業をやってきた。蝉とかチョウチョを昆虫採集と自称して、標本も作ってきた。釣りもやって、多くの魚さんたちに迷惑をかけてきた。

実に愚かしいことである。

その点では、証人喚問された文科省の超エリートのM氏とは違って反省するだけの器量はある。

さらに、M氏と違ってボキはいかがわしい店に出入りしたことはないし、女の子を連れ出して一緒に食事をしたり、カネを与えたりしたこともない。自称「市場調査」なんてことはやったことがないのじゃ。カネもねぇし、そんな無駄な時間を過ごすつもりもない。

そもそもである。「市場調査」が「動機」であったわけがない。行ってみたかったから、ちょっとエッチな店でアルコールやったり、女の子と会ってみたかったという実につまらない理由というのが、本当の「動機」だったのではないのか。わかんねぇけど。

これって、ボキが仕事人現役時代にやっていたら、即刻クビですぜ。やったこともないけど。

やらないのは、あと何年生きていられるかわかんねぇからである。時間がもったいないではないか。ジジイだし。

やったことは「結果」である。その悪業の結果、なにが起きたかということを世間は常に問題にする。ところがである。M氏の場合は、やったことの「動機」が不純である。

世間には、その「動機」が実に不明瞭な御仁が多い。御仁と言ってもこれは男ばかりではない。ご婦人方もそうである。感情的になって、離婚まで突き進んでいってしまう方もいる。

離婚はどっちかが悪いのであろうが、ボキに言わせればどっちもどっちである。「結果」が離婚であったとしても、その「動機」はなんだったのであろうかと思うべしである。片方が不倫をしていたら、それも「結果」であって、そこに到るまでの「動機」こそ問題にされるべきであると思う。

「動機」に大変な問題があったら、初めて離婚という決断が下されるのである。淫乱という病気があったら、当然それは人間的な欠陥である。病気なのだから仕方なしと諦めるというような性質ではない。淫乱というのは、獣としての人間は誰しも抱えている問題であろう。それを、上手にコントロールできるから人間なのである。

まさか、立川流のように欲望肯定を地で行っているというのでは如何なものかと思うケド。

自分をコントロールできるか・できないかは大変重要である。とくに、リーダーには重要である。理知的に行動できるかどうかということである。計算もできなくてはならない。作戦もである。向こう見ずで、こうと思ったら一直線でイノシシのように突っ走るというんじゃぁ、人生を間違う。

北朝鮮のミサイル問題だってそうではないか。リーダの自己コントロールに絞られてきている。こいつは大変怖いことである。一国の運命が個人にゆだねられているのである。

今の一瞬さえ幸福ならそれだけでいいというヒトもいる。「チャタレー夫人の恋人」なんかその代表であろう。あれも感心しない。計算ができていない。それこそ、大人の作法にのっとっていない。一瞬の快楽だけで一生生きていけるのだろうかと思っているからである。あれを読んでから、ボキは快楽小説とか欲望映画の類いをまったく信用しなくなった。

所詮遊びの延長である。

もっともらしい理屈をつけて文化人気取りでいるが、所詮ニセモノだ。

もっとも、ボキは、そのニセモノすらなれないが。某大学中退だし。

 

わははっはははっはははっははっはははは。

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8月30日(水)のつぶやき

2017年08月31日 05時54分30秒 | とーま君の流儀2017
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これから古文書講座に出かけてくるけど、テキスト代を忘れないようにせんと・・トホホ

2017年08月30日 08時25分46秒 | とーま君の流儀2017

これから居住地の方でやっている古文書講座に参加してくる。

古今和歌集を教えていただいているのだ。楽しみである。地元の高校の先生を退職された碩学に教えていただいている。御年85歳である。先生の生きがいになっているのがこちらにも十分伝わってくる。感謝感激である。

おかげでずいぶんとチカラがついたような気がしている。

ま、これはボキが自分でそう思っているだけである。評価は常に自分には甘いからなんとも言えないが(^_^)。

熱心である。先生がである。ノートをきちんととっていらして、それを愚昧なるボキのような生徒にもコピーで分けてくださるのである。こんな先生は他にいない。だからコツがつかめるような気がしているのである。勘違いかもしれないが。読めたような錯覚に陥るという寸法である。

あるいは先生の策略なのかもしれないが。こうやって育てれば、読めるようになるだろうという深い思慮である。

ボキは小さなノートパソコンを持参していく。崩し字解読辞典が、インターネットで公開されているからである。しかも東大の開発したものである。これは便利である。

会場もフリーWi-Fiが設置されているから、これまたありがたいことである。

いつまでたっても、一介のヒマジジイである。

これでよかである。

これでもって惚けなければ、非常に嬉しい。

朝も、walkingをやってきたし。Metsで6300歩である。5時ちょうどから歩き始めた。なにしろ6時30分から英語のラジオ講座が始まってしまう。その前に家に帰らないとアカン。

暑いから、汗だくになってしまった。パンツもシャツも全部取り替えたけど。

 

快調、快調である。

 

わはははっはははっはっはははっはははっはは。

 

では行ってきます。

あ、テキスト代を持参しなくちゃ。800円とか言っていたなぁ。文庫本である。クラスメイトのおばぁちゃんが。ボキは前回忘れてしまったから。今度は蜻蛉日記らしいので。




ヾ(@⌒ー⌒@)ノ

 

 

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8月29日(火)のつぶやき

2017年08月30日 05時58分10秒 | とーま君の流儀2017
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今朝から心配ばかりしている。むろんミサイルぶっ放しのことである。

2017年08月29日 16時00分02秒 | とーま君の流儀2017

心配なことばかり今朝から起きている。なんとしようぞ、川端柳である。柳だって受け止められない事態になってしまったらどうするのだ。

 

 

他人のことを試してみるというのは、場合によっては大失敗につながることがある。こいつはどんな人間なんだろうかとあえて試してみるのも一興である。あるが、それが度を超した場合はあまり良いことはないだろう。

今朝の北朝鮮の問題もそうだ。お互いに試しっこをしている。冷静な計算をしてみれば、そもそもが無理難題の類いであることは一目瞭然である。テレビなどのマスコミでずっとやっているから、ボキ如きこのブログで書くようなことではない。

それでも、一介の庶民として思うことはある。それは安全に過ごしたいということである。全世界の人間がである。平和と安全である。平和と安全は、無料ではないという言葉もある。それはそれで知っている。だったら、それに向けて努力すべきであろう。

戦争なんかにならないのが一番いい。それをである。北朝鮮の軍人の奥様のように、庖丁を持ってでも敵を抹殺するというのでは、精神論だけである。かつての戦争を思い出してしまうではないか。巧みな情報操作でもって、国民を騙しているのではないのか。

補給路の問題、燃料の問題、軍費をどうするのかという様々な問題があるではないか。計算すれば、わかるようなことである。圧倒的なパワーというのは、計算ができるから圧倒的と評価されるわけである。

数値に出てくるではないか。それを冷静に分析したらわかりそうなものである。

軍人だった亡父なら、この今朝の暴挙をなんというだろうかと思った。

「姿勢が良くない」と言って一蹴するだろうと思った。

軍人としての姿勢である。あるいは、男としての姿勢である。生き方と言ってもいい。

まっすぐではない。

まさか、コンピュータゲームをやっているのではない。キーボードをたたいて、戦争ごっこをやっているのではない。

一国の宰相は国民を飢えさせたらそれでおしまいである。だから、中国は歴史上一国支配が長続きしなかったのである。内乱の連続であったではないか。もっとも、そういう時代の中国の思想家は非常に面白いのであるが。ボキには。

朝から、ずっとテレビを見ていた。今日は巨大病院歯口科でも待合室で見ていた。

情けない展開になったものである。救いようがないとはこのことである。

コンピューターで戦争ごっこをやっている当事者も、永遠には生きていられないということをお忘れだと考えていたからである。

しかし、心配である。マジに心配である。

 

(;_;)/~~~

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ミサイルが日本に向けて発射された。暴挙も暴挙だ。

2017年08月29日 06時32分51秒 | とーま君の流儀2017

6:33。walkingから帰ってきて、6:30からのラジオ講座を聴こうとした。いつもの英語である。

しかし、やっていなかった。臨時ニュースでミサイルが発射されたとのことである。

愕然とした。

なんという暴挙であろうか。

国家は安定してこそ住む価値がある。某国にも我が日本にも当てはまることである。walkingをやりながら、武蔵野大学におられた佐々木瑞枝先生の日本語講座を聴いていたが、安定しているから日本語を学ぶヒトがいるのだ。こんな水鉄砲のように、ミサイルをぶっ放している国家では誰も某国の言語なんぞ学ぶヒトはいないだろう。正直、そう思った。

ううううううううううううううううううむ。

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8月28日(月)のつぶやき

2017年08月29日 05時45分29秒 | とーま君の流儀2017
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イライラしているとアカン。文句ばかり言っていないで、庭の木でも切っていたほうがよろしい(^_^)

2017年08月28日 11時44分49秒 | とーま君の流儀2017

あまりハラを立てていると、よくない。精神的に危機に陥る。庭の樹木でも切って、ゴミとして捨ててくるくらいがいいのである。

 

 

高齢者になるとすぐハラを立てるようになるらしい。ボキも定年退職直後はそうだった。なんにも縛りがなくなったからである。今思えばそういうことだった。

特に、定年退職後すぐ某大学大学院博士後期課程に入学したから余計にストレスがあったのかもしれない。なにしろ能力もねぇのに、博士を目指していたのだ。笑われるけどねぇ。

そういうのをヤメタ。撤退した。病気である。短期勝負で論文を書いていたから、病気になっちまった。

アタマの病気にもなっちまったけどねぇ。

わはははっはははっはははっはははっははははっは。


イライラしていたって、何の意味もない。特に、老後は夫婦二人きりである。それでもって配偶者にハラを立ててみたり、反対に立てられたり、キレタリ、キレラレタリしていたんじゃ身が持たない。

特に奥様族は、定年後の旦那がメシしか食わない、文句ばかり言っている、働かない、家事一切をやらないというのにハラが立つのだそうだ。ボキも例外ではないが。毎日怒られてばかりいるからだ。それなりに対応策を講じて、今は皿洗いからやっているけど。掃除も、掃除機くらいならできるから。タオルバサバサもやっている。

ボキが他人にハラが立つというのは、あまりなくなった。しかし、例外はある。エラそうにしている奴を見るとハラが立つ。昔からそうだった。こっちがエラくないからである。ある種の劣等感でござるよん。

これは今でもそうなのかもしれない。

古文書講座(居住地の方)でもそうだった。知ったかぶりをしている御仁を見ると、いちいち間違いを見つけては直したくなる。ハラも立った。でも、そんな時には文句を言わないでいた。それが実に良かった。それで良かったのである。人間関係が破綻するからである。

所詮、ボキも素人である。それをよくわきまえていないと大失敗をする。Dangerである。

他にもいろいろあった。ハラの立つ機会は。家庭内だけではなかった。新聞もテレビにもである。人間ばかりではなかった。

要するに不機嫌なのであった。なんとなく不機嫌というやつ。老年生のうつ?

ううううううううううむ、ちょっと違うような気もする。

原因は、やることがないからであった。だから、やることを見つける。でないと精神的な危機をもたらす。

積極的に自分から捜してでもやることは見つけなくてはならない。このブログもそうである。誰も読んでくれないだろうけれども、ボキ自身の惚け防止にもなるかもしれないからやっているだけである。

つまるところは、自己満足である。それでいいと思っている。

所詮、生涯学習ごっこなんて言っても「遊び」である。遊びの延長である。学問もそうだと、先日gymで一緒になったKO大学出身の同年の友人が言っていたが、まさにその通りである。

 

今日は、ボキンチの庭の樹木を夫婦二人で昨日半日かけて切ったのでその後片付けであった。切った木々を塵芥処理組合に持っていった。愛車で二回。ちなみに有料である。お間違えのないように。

ふううううううううう。

疲れた。

(^_^)

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8月27日(日)のつぶやき

2017年08月28日 05時55分00秒 | とーま君の流儀2017
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昨夜は楽しみにしていた納涼会(^_^)

2017年08月27日 07時00分56秒 | とーま君の流儀2017

 

去年台風が接近していて、中止となった居住地の納涼会が昨夜行われた。

ボキは、町内の役員をさせていただいているので、祝儀を持っていった。

焼きそばとかの食事をいただいた。

それとちょっとだけビールを。

美味かったなぁ~~~~(^_^)。

調子にのってコップ4杯はやっちまったよん。

それにしても弱くなった。

まったく、どうしようもない。

ま、それでいいのか。

それで。

童子たちが一番楽しみにしていた。

なにしろ去年中止になったからである。舞台まで作って急遽中止では童子たちはたまったものではなかっただろう。思い出が壊れてしまったからである。

今年はそういう意味では充実していただろう。宿題にも書けたかな?と思った。

もうすぐ学校が始まる。

艱難辛苦が始まるのだ。

かわいそうに。

ジジイの発想ですな、これって。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

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8月26日(土)のつぶやき

2017年08月27日 05時56分46秒 | とーま君の流儀2017
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のぼせ上がることなかれである。源信に学ぶ。

2017年08月26日 20時01分41秒 | とーま君の流儀2017

源信が15歳の時、村上天皇の前で比叡山の若手のホープとして「法華経」を講義したことがあった。15歳といえば今の高校生である。天皇に褒められて褒美の品を頂いた。その品を奈良に住む母親に天皇に褒められたことなどを書いた手紙を添えて送った。するとしばらくしてその褒美の品(絹織物)が送り返されてきた。そこに添えられていた歌がこれである。

 後の世を渡す橋とぞ思ひしに 世渡る僧となるぞ悲しき まことの求道者となってたもれ

「私が安心して死ねるようにと思って、あなたを比叡の山へ送ったのに、あなたはこの娑婆を渡る僧に成り下がったのか、お母さんは悲しい。まことの僧になって下さい」と言っている。

これである。これぞ真理である。すばらしい母上である。こうでなくてはならぬ。メリットとか、デメリットなんてぇふざけたことばかり言っていると、すべてが「世渡り」のためだけになっちまう。これじゃぁアカン。死ぬに死ねない。

20:05である。

居住地の納涼祭があって、今帰ってきた。町内の役員をさせていただいているからである。いろんな芸能を見ていて、そんなことを感じてきた。

それだけだが。


さ、風呂入って寝よう。


ちょっと早いが。


(=゜ω゜)ノ


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蓬平温泉 和泉屋「風の湯」2011年5月25日

2017年08月26日 07時28分43秒 | とーま君の流儀2017

労金友の会にはいっているのだが、居住地の近くにある支店からこの温泉の案内がきた。

良さそうだな。露天も4つあるらしいし。

いつもバスツアーで行く。バスの中で、酒盛りが始まるのがちょっと・・・(^_^)。

またまた悪いムシが騒ぎ始めた。

放浪の病気である。

わははっははははっははっはははっはははっはは

 

 

蓬平温泉 和泉屋「風の湯」2011年5月25日

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17/5/27 表現よみとは? 渡辺知明(先生)による講義

2017年08月26日 07時11分45秒 | とーま君の流儀2017

最近もっとも関心を持っているのが、渡辺知明先生の著書である。

マジに、目からうろこであった。

秋から「あさひいいおか文芸賞」の審査員をやらなくちゃいけないし。しかし、ボキの専門領域であるはずなのに、まだまだやるべきこと、やれるはずだったことが多いですなぁ。いつまでたっても、生涯学習ごっこでありまするよん。・・・トホホ。

 

17/5/27 表現よみとは? 渡辺知明による講義

 

2017/06/18 に公開

2017年5月27日(土)文章を読み上げるような朗読ではなく、声による文学作品を表現するための3つのポイントを講義した動画だ。
(1)作品の「語り口」、(2)係り受けのイントネーション、(3)2音ないし3音区切りのリズム、この3つの工夫で朗読は作品表現になる。
【参考文献】
渡辺知明著『声を鍛える』(2017芸術新聞社)、『朗読の教科書』(2012パンローリング社)、『表現よみとは何か』(1995明治図書出版)

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/