と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

毎日、毎晩オリンピック

2012年07月30日 07時45分24秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 毎日、毎晩オリンピックのニュースに一喜一憂している。おかげで寝不足である。悪いことに、テレビを見ながら作業をするのもいいなぁと思いついてから、余計その傾向が募ったのだ。橋本治先生ばりに、セーターを編みながら仕事をするなんてことは、不器用な愚生には不可能であるが。あ、もっともその仕事そのものが、愚生にはもう存在しないか(^0^)/ウフフ

 それにつけても、難しいもんである。特に柔道である。素人だが、ルールくらいはわかるのでなんとか観戦できている。しかし、またまたルールの改正が行われて、審判がイヤホンかなにかをつけていて言わば第4の審判がいるのだという。ビデオで試合をチェックしているんだそうだ。昨日の海老沼選手のゴールデンスコアでの旗判定が、ひっくり返ったというのを聞いて、それこそのけぞったのである。そんなことがあり得るのかということであった。だったら副審はなんのためにいるのか。主審もである。こんなあふぉ~な愚生でも審判をさせていただいたこともあったからだ。

 唖然とした。日曜日のあるテレビで、女子柔道のオンナ三四郎と言われる山口香先生が、このことを批判なさっていたが、さもありなん。もう、柔道はカタカナのあるいは英字のジュ~ド~、JUDOになっちまっただなぁと思ったのである。神秘性というものは無くなったのかと思う。最初から無かったのかと言われる方もいるだろう。素人にはレベルの高い話で、たった4段の愚生ごときがなんのかんのと言う話では無い。これ以上は発言を控えましょう。叱られてしまいますから、ね。(^0^)

 素人と言えば、オレのやっている国文学もそうだなぁ。何十年やっているのだろうかと慨嘆している。なんにもモノになっていない。努力がすべてだという甘い期待をする立場にはいないが、されど努力は大切であると「も」思っているからである。だから、なんとかやってきたのであるが、こうまで自分自身の思いとかけ離れているとがっくりくる。

 あたしゃ、教えるために学んでいるのではないのだ。はっきりいえば、ロンブンという名の駄文を書きたいのである。あるいは謄写版印刷でもいいから、限定十部程度の自費(慈悲)出版でも良いから活字を遺して死んでいきたいのである。(謄写版印刷だって・・・・・・誰も知らないだろうなぁソンナノ) 

 だから、進学させていただいたのである。セカンドステージとか、そういう話ではない。柔道の平岡のことが今朝の新聞に出ていた。大学院を休学して五輪に出たのだそうである。新聞にはっきり書いてあった。セカンドステージのために大学院に進学したと。((;゚Д゚))フン!?

 そうなんかねぇって程度の感想しか持たなかったが、それはそれで良いんでしょう。それでも大学院を出ても就職が厳しいのは愚生だってよく知っている。特に理工系が厳しいのもよく知っている。辛いだろうなぁと思う。若い世代は特にそうだろう。家族を抱え、親や、親族の期待もあるだろう。だから余計にそう思う。何かにならなければならないという宿命を背負っておられるからである。本当に大変である。もう仕事の面すべてにおいておしめぇだと宣告されたオレとしては、同情申し上げる。

 嫌みで言っているのではない。こころからそう思うのである。そして、そういう真剣に学んでおられる方々を正当に評価してあげてくださいと、周囲の方々にお願いばかりしているのである。

 何かになろうとされている方々の存在は大きいのである。だから、愚生は協力をさせていただいている。これだけ加齢を重ねると、茅屋の書庫には、いろいろな資料がある。雑学めいたものばかりだが。さらに、つまらん経験もある。

 そういうことをこれからの方々へ贈与したいというのが、正直な気持ちなのである。

 そう、「贈与」なんである。「指導」するんではないのだ。あるいは、「教える」のではないんである。ど~も、このつまらないブログで勉強のことばかり書いているから、それって自慢しているんでしょ?と言われたことがあったが、違うんですぜ。オレに自慢できるモンなんぞ、これっぽっちもありゃしません。マジに。(^0^)/ウフフ

 「贈与」なんでっせ。つまり、要らなきゃ拒否できるんでっせということである。自慢なんて、オレのようなあふぉ~にできるワケがねぇです。まったく、まったく。ましてや、他者を指導するなんてそんな恥さらし(能力があるヒトは除くですよ、自称でも他称でも)がオレにできるワケがない。自慢する前に、指導する前に、それができるだけのロンブンとか、著書があるのか?と聞かれたら、ぎゃふんでありますからねぇ。あんにもナインだもの。まったく情け無いですわなぁ。

 さ、今日も大学に行こう。しかし、夏休みも無く、多くの学生達が勉強に来ている。こういう大学は初めてである。クラブとか、部活だけだと思ったが、違っているのだ。手話を学んでいる学生も多い。また車いすの実習をしている学生も多い。さらに、修士課程や博士課程の院生はずっとこもりっきりで図書館や院生室にいる。まだ前期の修了試験もやっている。こりゃぁ凄いことだ。この間、研究書を部分コピーしてたら、隣のテーブルでブツブツと言っている若い学生がいた。ふっと見たら、薬学部の学部生だった。暗記をしているのだ。たまらんほどの、知的刺激だなぁ。

 

 オレもがんばろうっと!

 

 

 

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7月28日(土)のつぶやき

2012年07月29日 03時47分58秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

08:13 from web
開会式楽しいですねぇ。テレビでずっと見ていました。朝早くから。起きるのは慣れているからですが。しかし、演出というんですか、凄いですね。まったく凄い。シルクドソレイユでしたっけ?あれみたいでしたね。

08:14 from web
日本選手にがんばって欲しいと願うだけです。特に柔道。あたしゃ、たった4段のドシロウトですが、ルールくらいはわかるんで。(>_<)ゞ

08:15 from web
それとバレー^ボール。こちらも同様、ルールくらいはわかるんです。

08:16 from web
一番わかんないのが、オリンピック種目にはないですが、剣道。いまだに、一本がわからない。入っているのか、なんなのかということがです。

08:19 from web
大学柔道部のお~君と、昨晩いろいろ話をさせていただきました。柔道の稽古日でしたから。体育大学で専門に学んでいる方はすばらしいですよ。ついていけない。もっとも彼は、本柔道教室卒業生で俊秀であります。ガンバってほしいものです。楽しみです。資料も昨日あげたし。125枚。

08:22 from web
クラスメート達とも、昨日でお別れ。大学の先生方ですから、帰国なされる。来年また会いましょうと言われましたが、会えるかどうかは自信がありません。来年生きていたらという前提条件付きであります。さらに、能力不足でありますから、これまた本学に置いていただけるかどうかもわからんですな。

08:23 from web
どうなっても生きていける自信だけはあるんですがねぇ・・・(^0^)/ウフフ あんまりチカラ強く言えないのがあれだけど。

08:26 from web
今日は塾がある。これまた楽しみであります。英語が一番楽しみ。正味の実力が試される。さっと読んで、回答を考え出すというのが、けっこうストレスになってこれはいい。実にいい。国語だと、高校入試レベルではあまり面白くないんです。むしろどうやったら理解できるだろうかという方法論に行くから。

08:28 from web
それと中学レベルの数学も楽しい。けっこう過去の経験が役に立つんです。高校の数学となるとこれはついていけないですがね。当たり前ですけど。

08:29 from web (Re: @CIS_DPS
@CIS_DPS ごくろうさまです。頑張ってください。好評ですよ。科学大学!

08:30 from web
Personal Computerから、ポメラに駄文という名の駄文をコピーしたので、これから図書館に籠もりっきりで、執筆活動であります。じゃぁ、これにて失礼。

21:46 from gooBlog production
ちょっと記念にとっておこうと思いついて goo.gl/Y9VXz


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思い出に残る駄文 ロータリークラブ講話レジメ

2012年07月28日 21時45分41秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 いつだったか忘れてしまったが、銚子のロータリークラブ(東の方です)で講話をせよと言われたときのレジメをここにアップさせていただきます。愚生の種々様々な駄文の中では、比較的に思い出に残っていますので。
 たしか、5年前くらいではなかったかなぁ・・・・。自分だけ読みたいレジメですから、すっとばしていただいても結構です。長いので。






資料1

上杉鷹山と学校経営
  大根のように
  
県立銚子高校 外山日出男 


1 上杉鷹山とわたくしのかかわり
 この一月からNHKで、上杉の智将 直江兼続(なおえかねつぐ)の生涯を描く大河ドラマ 「天・地・人」が始まりました。
 直江兼続は、米沢藩初代藩主上杉景勝を支えた智将です。関が原敗戦後、上杉家の米沢移封に伴い米沢城下を整備。現在の城下町米沢の基盤を築きました。
 また、文武を兼ね備えた一流の知識人で、その深い教養と見識は豊臣秀吉や徳川家康からも高く評価されています。
 その後江戸時代中期に上杉藩は戦国時代以来の家臣団をそのまま抱えたこともあり、リストラもしなかったこと、天候不順による飢饉等から極端な貧困にあえぎました。また、いろいろな騒動があって、困り果て、後に名君と言われる鷹山を招きます。

 ****会長様からすでに例会でお話があったようでありますが、わたくしはその米沢の出身で、鷹山の創った学校を卒業させていただきました。
 言わば直接鷹山の歴史と伝統の中で育てていただいたようなものです。

 ☆ 

 鷹山の作った藩校・興譲館(現山形県立米沢興譲館高等学校)に縁あってわたくしは青春時代を送らせていただきました。
 アメリカ大統領のケネディ氏が、日本人で最も尊敬する人物であるとし、また思想家の内村鑑三も代表的日本人としてその著書であげております。

 鷹山の生き方は、このような逼塞した現代の世相の中で、まさに典型的なリーダーとしてのあり方に即するものだと思っております。鷹山の当時から代々家臣を務めていた家柄の同級生もおりましたし、(**君)個人的な思い入れが強いと言えばそうなのでしょうけれども。

 わたくしの茅屋にも、鷹山の米沢織で作られた肖像画を額にいれて飾っております。卒業生は全員持たされるわけであります。言わば現代で言えば創立者であり、理事長であるわけですから。毎日、慈愛に満ちた御尊顔を拝見してから学校に向かいます。できの悪い不肖の卒業生にまで慈愛を下さるわけですから、本当に感謝申し上げたい。

 また、鷹山の師細井平洲先生は江戸時代の大学者で、実学を重んじ、経世済民(世を治め、民の苦しみを救うこと)を目的としました。
 明和元年14歳の上杉治憲(鷹山)の師として迎えられ、平洲は全力を注いで教育にあたりました。17歳で藩主になった鷹山は、平洲の教えを実行して、人づくりを通して農業や産業を振興し、貧窮を極めていた藩財政を一代で立て直し、名君とうたわれました。平洲と鷹山の終生かわらぬ師弟の交わりは、現在も米沢で語り継がれています。

 平洲の教えは、幕末の吉田松陰、西郷隆盛らにも大きな影響を与えたといわれています。、また、内村鑑三は、代表的日本人の一人として上杉鷹山を取り上げるとともに、その師、平洲を当代最大の学者と紹介しています

 特に岩波の日本思想大系にある「嚶鳴館遺草」は、人づくりの根本を説いたものとして有名であります。つまり人づくりは、菊作りのようにやってはならないと。実際はこれだけではないのですが、どうしてもビジネス書はここを中心に紹介していただく傾向があるようです。

吉田松陰が「この書は『経世済民の流れ』であって、読めば読むほど必ず力量をます」と絶賛し、西郷隆盛に至っては「政治の道は、この一書に尽きる」とまで言い切ったほどの良書であります。

 特に、教育者としての平洲を凄いと思うのは、一般大衆の中にみずから入って、町人や農民にもわかる言葉で訓育したことです。

 第5巻「つらつらぶみ」にこのような部分があります。
 人を教えるうえでの心得としては、菊好きの人が菊を作るようにしてはならないもので、百姓の菜・大根を作るように心得なければならない。菊好きの人が菊を作るというのは、『花、形が見事に揃うよう、立派な菊の花ばかりを咲かせよう』として、多くの枝をもぎ取り、延びすぎたところは、切り揃え、その人の好みの通りに仕立て、咲かない花は、花壇の中に1本もないようにするもの。
 百姓の菜・大根作りというものは、1本1本も大事にして、畑の中には、上手に育ったもの、そうでないもの、へぼなものもあったりして、大きさも大小、さまざまに不揃いなものですが、それぞれを大事に育て、良く出来たもの、そうでないものも、食用の用に立つように育てる。
 この2つ「躬行の美・心の広さ」の大切さをわきまえて、世話をすることのできる人が師としての条件である。

 ☆


 この細井平洲先生の教えがわたくしの教師としての全てであります。30数年をこのまま突っ走ってまいりました。一人ひとりを大事にする、世の中に役に立つ人間を育成したいと。

 また、教師としてはわたくしは大根そのものであって、菊のような華やかな生き方をすることは許していただけませんでした。逆境の連続でありました。菊の花どころか泥だらけの「大根の花」でありました。

 主流と傍系という意味では、まさに傍系の中の傍系。菊が主流。誰でも褒めるきれいな花。スター。あこがれの的。野球で言えば長嶋茂雄。太陽のような華やかな花。

 ひきかえ大根の花は、土臭く、およそ見栄えがしない。まさにわたくしの風貌そのもの。しかし、おいしい。噛めば噛むほど味がある。根っこである大根そのものも実においしい。サンマにちょっと添えたら天下一品。よく楽天の野村克也監督が月見草とご自分を評されますが、大根の花は月見草にも遠く及ばない。

 積雪4メートルの雪吹きすさぶ米沢の近在地で、先祖代々貧窮を極めた上杉家の足軽郎党として、非常に貧しい家に生まれました。おかげで、苦学の連続でありました。大学も新聞配達をして卒業させていただきました。朝、3時30分に起きて、東京下町の団地を一生懸命こころを込めて配達させていただきました。夕刊も当然であります。集金もありました。それでも4メートルの雪国米沢から見れば東京が天国に見えました。暖かくて、暖かくて。

 愛だの恋だの、いっぱしの浮かれた青年がたくさんおりましたが、無縁のことでありました。おかげで少年時代は眉目秀麗であったわたくしの顔は変形してしまいました。おまけに柔道部に所属し、応援団にも入団し、それこそいっぱしの硬派を気取っておりました。絞め技を喰らったり、顔から畳に投げつけられたり、ますます顔が変形していきました。いつもいつも人より劣っている自分というものを意識せざるを得ませんでした。
 
 ですから、今になって思えば、劣等感が自己を育てたと思うのであります。貧しいことが、あるいは眉目秀麗でなかったことが、自己に沈潜し、本の虫となることの出来た最大の原因であったと思うのです。米沢という土地に生まれ育ち、貧に耐える、冷遇に耐える、蔑視に耐えるということを心底学ばせていただきました。
 ありがたい限りであります。

 思えば米沢藩も米沢市も貧しいところでありました。米沢市は昭和51年から4年間くらいだったでしょうか、財政再建団体になってしまったくらいです。

 ☆

 「伝国の辞」は、鷹山が次期藩主・治広に家督を譲る際に申し渡した3条からなる藩主としての心得であります。

一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候
一、国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候
右三条御遺念有間敷候事
天明五巳年二月七日  治憲 花押
    治広殿  机前

 たったこれだけでありますが、上杉家の明治の版籍奉還に至るまで、代々の家督相続時に相続者に家訓として伝承されました。
 つまりリーダーとしての根本概念であります。
 一貫して流れるのは、「わたくし」から離れよ!ということです。
 誰しも、自分のことしか考えず、人のことはほったらかし、全部自分の幸せや立身出世、金儲けのことだけ。自分さえよければいい。自分の家族さえ幸せならばいい。他人のことは関係ない。
 そういうことを戒めておるのです。

 県立銚子の校長室に、鷹山の「伝国の辞」の額を掲げてあります。わたくしにとってはこのお二人は一心同体なのです。究極の箴言です。


2 学校経営とのかかわり
 県立銚子高校は、皆様もご存知のとおり、平成19年から男女共学となりました。
 旧制女学校以来の伝統を誇り、もうすぐ100周年になります。

 このような学校を積極的に広報し、地域の皆様にご理解をいただき、よりよい学校にしたいと改善に改善を図ってまいりました。
 カリキュラムも大幅に改善し、進学を核とした普通高校として飛躍を期してまいりました。また、文武一貫というポリシーの下、勉強も部活動もできるバランスのとれた学校を目指してまいりました。新校歌を作り、共学校としてのイメージをアップしてまいりました。

 冷房装置も保護者の方々の絶大なるご支援で導入させていただきました。
 自習室の設置、夏休みでの夏期講習、朝補習等にも積極的に取り組んでおります。

 これもひとえに前校長の**先生の創業の大功績であります。十八史略に創業と守成と出ておりますが、大変な苦労があったと感謝しております。守成のわたくしとしては、その功績を汚さぬように、さらに発展させていかなければならないと覚悟を決めて日々の学校経営をしております。

 条件整備という観点からは上記のようなことであります。
 しかし、最終的にはやはり「人」であります。
 人間が人間を教育しているのでありますから、一種の精神性が無ければならないと思うわけであります。
 つまり哲学であります。
 教育哲学と言ってもいいのですが、もっと根本的なものがそこにはなければならないと考えるのです。
 それが、公私混同とか言う意味で使われる「おほやけ」と「わたくし」の区別であります。区別などという生半可な言葉ではない、むしろ「峻別」とでもいうべきものを持っていなくてはならないと考えるわけです。
「伝国の辞」の精神であります。

 それがあってこそ人を育てることが可能になると思います。

 つまらぬことですが、生徒が快適に勉強している間、わたくしは校長室でじっと暑さに耐え、明かりも手元の蛍光灯スタンドのみ。爪に火を点すごとく、ちょっとでも生徒に還元できればと思って実行しています。

 また、デジタルカメラを持って、毎日授業を見て回っております。授業こそ学校の命であります。授業こそ学校の使命であります。生徒の知りたいという願いに応えることこそが、学校の大命題であります。

 そのために質の高い授業を保証していかなくてはなりません。わかる授業はもちろんのこと、徹底的に教えこむ授業でもありたい、演習に取り組み実力を高める授業でありたいものだと思っております。

 まだまだ現実的には困難な部分がたくさんあって、これからの大いなる課題でありますが。 
 
 細井平洲先生の「嚶鳴館遺草」の精神がそこにはあるわけであります。


3 最後に
 長々と駄弁を弄してまいりました。
 銚子にある高校として、銚子の皆様方に支えられている学校として、これからも県銚は努力してまいります。校長は大根ですが、生徒たちは大輪の花となる可能性を秘めております。

 どうか今後ともよろしくお願い申し上げます。 

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7月27日(金)のつぶやき

2012年07月28日 03時44分19秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
22:32 from gooBlog production
ちょろちょろと書いていた blog.goo.ne.jp/tym943/e/9da38…

22:40 from web
小津安二郎の「お早う」を見た感想をアップしてみました。

22:41 from web
今日は暑かったけど、かえってこういう日は汗をかくにかぎるというわけで、柔道の稽古に行ってきました。

22:41 from web
それから定番のサウナ。

22:42 from web
そして、帰宅して、ブログの記事を書いて、これからNHKの能の番組を見るのです。楽しみ、楽しみ。あ、録画してありますから。

22:44 from web
今日は、宿神論という観点からいろいろ書き始めた駄文の中の駄文でありますが、構成はほぼ見えました。神降臨でありますね。ありがたや、ありがたやです。

22:45 from web
五輪の開会式を明日の朝見ましょう。こっちも楽しみです。

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小津安二郎「お早う」

2012年07月27日 22時24分51秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
 お早ようというのは挨拶ではあるが、見たかった映画のタイトルでもある。

 実は真剣にDVDを捜していたのである。どこかに無いかと言うわけである。しかし、なかなか無かった。神田の中古DVDの店にも無かったのである。困っていた。監督の小津安二郎さんのことは大ファンであるからである。

 ところが、灯台もと暗し。本学にあったのだ。むろん図書館である。視聴覚の設備もかなり整っているから、愚生は早速見せていただいた。昼休みのちょっとした時間を活用させていただいて、愚生は映画鑑賞をさせていただいていた。ちなみに、小津安二郎監督は、文学部系統の大学では卒論とか、修論の対象になっている。取り組んでいる方々もかなり多い。
 そういうことをおやりになりたいなら、本学へどうぞである。

 

 1958年の映画である。
 監督は当然小津安二郎である。主演は佐田啓二 久我美子 笠智衆。

 あらすじは、東京は西の端、5軒の建売住宅が軒を連ねる。そのうちの1軒、林家はサラリーマンの主人(笠智衆)、その妻(三宅邦子)、妻の妹(久我美子)、小学生の息子2人の6人家族である。最近、この5軒の家にすむ子供達の間ではオナラの鳴らし合いが流行していたという設定。これがなんともユーモラスである。たまらないほどおかしい。なぜなら、愚生も同様なことをやって遊んでいたからである。そんなとき、婦人会の会費を巡って主婦同士の間でちょっとした悶着が起こる。

 つまらない大人の女性達の争いみたいなものが先行して、はらはらさせられる。しかし、事情は簡単であった。町内会長をしている杉村春子の母親が会費を預かったことを忘れていたということなのだった。その母親役で、助産婦のおばあさん役をやっている三好栄子がたまらないほど怪人ぶりを見せている。実の娘役の杉村春子と一緒に暮らしているのだが、娘への悪口を言いながら毎日を過ごしているのである。あんな娘、産まなきゃ良かった、どこの馬の骨だかもわからんつまらん男とくっついて、・・・・・・とブツブツとやっているのである。愉快である。実に愉快である。
  
 このばあさん、あの怪優殿山泰司が演じる押し売りを退治してしまう。鉛筆や、亀の子たわしを買ってくれと、凄む殿山泰司。切れ味鋭いナイフを取り出して、玄関先で鉛筆を削って見せる。凄んでいるわけだ。ところがどっこい。この三好栄子演じるおばあさんはめげない。もっとよく切れるのがあるよと言って台所から、出刃包丁のでかいのをもちだして、鉛筆を削り始める。さくさくと実によく切れる。怖くなったのは、押し売りの方であったのだ。すごすごと帰っていく押し売り。

 笑ったな。
 
 殿山泰司がまだ若いせいか、ひと頃の悪役めいた性格俳優的な毒がない。むしろ、いいおっさんのようにしか見えないからこれは不思議である。愚生の方が、この頃の殿山泰司よりも実質年齢が上であるからかなぁと思った。
 
 テレビの無い家庭が多い時代に、テレビが欲しくてハンストをやり始める兄弟と、それを取り囲む友人たち。相撲の若秩父とか、後に柏戸となる富樫がテレビに出てくる。これもまた懐かしい。こういう時代があったのだ。経験しているからこそ、この「お早う」を見たかったのである。

 愉快な、楽しい笑いの連続の中で、笠智衆と東野英治郎を巡る「定年」というテーマが裏に隠されている。そんなに深刻な描き方はしていないが、確かに定年になると男はやることが無くなって、酒場に入り浸ったりしているしかないのかもしれない。そのあたりの屈折を東野英治郎はうまく演じていた。再就職が決まって、嬉々として笠智衆のところに報告に来るところなんぞまことに実話のようである。



 この映画を見ていて、だんだんとおぞましくなった。
 
 この昭和30年代という時代はやたら懐旧の思いでもって喧伝されるのであるが、ちょっとおかしいのではないかと思うのである。むしろ今よりもまともであったような気がしてならないのである。確かに貧しかったし、東京西北の文化住宅とか団地とか出てきてはいる。されど、時代のキャッチフレーズが違っていたと思うのである。良かったというのではない。

 今のように、切り捨て文化に毒されていないということを感じるのだ。自己責任とか、嫌なら辞めてもらうとか、国家から民営化へとか、どっかの複数の大国にあっちふらふら、こっちふらふらとくっつき歩いて、なんだかワケのわからんことにはなってはいなかったのではないかと。

 これ以上は書かないが。

 今日は橋本治先生の小説「桃尻娘」も読みながら、駄文という名の駄文(世間的にはロンブンというのだそうな)もちょろちょろと書いていた。楽しいもんである。趣味だから。
 (^0^)
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楽しい二日間であった・・孫と

2012年07月26日 17時34分47秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
 孫との楽しい二日間であった。動画を徹底的に撮って、昨日今日は家族で鑑賞会をやったのだ。孫の表情・しぐさ・ぷにゅぷにゅとした体つき等々ほんとうに馬鹿じっち丸出しで喜んでいた。ほんとうに楽しいものである。後は、孫の成長を祈るばかりである。どんな大人になっていくのであろうか。彼が20歳のときは、愚生は80歳ちょうどである。厳しい現実がまっている。つまり、永遠に生きているわけにもいかんだろうから。後が詰まっていると叱責されたら、すごすごと引き下がるしかないのである。

 これは定年という問題もそうである。後が詰まっているということは、若い世代には切実な問題であろう。その点、イチローさんという野球選手の生き方も参考になる。

 世代交代があってこその、世代間贈与である。前の世代からいろいろなものを贈与されて、アタシらは生きている。このブログだって、そうである。いろいろな本があるから、書けるのである。当たり前である。全部が全部オリジナルだという御仁がいたら、それは偽物である。

 孫はその贈与論の最高の対象である。なんでもかんでも、じじぃとしては、彼に贈り物をしていきたい。迷惑だろうけれども。こっちはいなくなっちまうからである。
 
 だから、命の問題ということを考えてしまうのである。なんだか、若い世代では、仕事がどうのこうのとか、どれだけ成果を上げたとか、そんな話題ばかりが先行する。はたまた、愚生が元ティーチャーであったということで、すぐ教育界はどうのこうのとかのたまう方もまだいらっしゃる。そんなの退職したんだから、まだオレは攻撃対象なんかね?って聞いてやりたいくらいである。退職したら、教員ではないのだ。ましてや校長なんかではないのだ。ただの平凡な普通に生きている人であるのだ。これは、諸先輩から厳しくご指導をいただいたことである。元コーチョーとか威張っていたら世間の笑いものになりますぜ。厳守したいことである。
 
 だから、可能な限り教育問題にコメントはしない。現役の先生方に失礼ではないか。今更、こんなじじいがなにをかいわんや。

 教員時代からずっと思ってきたが、手法とか、方法とか、マニュアルを教わったからと言って、自分で考察するということをしないのは、身につかないのである。考えなくちゃいかんでっせと思うのである。

 さらに、新聞記事を読んだだけの知識で、教育全体を云々できるといううぬぼれはいかがなものか。世の中には、黙って、黙々と教育実践に励んでおられる方々も多々おられるのである。

 そういう「地の塩」的な方を馬鹿にしてはいけないと、オレは思うのである。表面に出ているものばかりが、スターなのではないのである。勘違いをしてはならないのである。普通に生きて、普通に退職して、普通に死んでいくことがどんなにありがたいことかということを、よくよく考えなくてはいかんのである。自分自身にいい聞かせているんだケド。

 もっとも、愚生なんぞは、なかなか他者に追いつかないから、常識レベルに達していない。なんの実績もないしなぁ。学会活動なんて全く経験無いし。もしかしたら、ミチを間違えたのかなと思うことしきりである。もっとも、教育実践にまったく関心なくして、学会活動ばかりやっているというのも、これはいかがなものかと思ってきたが。

 この4月に入学したのに、まだ言われる。大学院なんて行ってなんになるんだ?という多くの方々の問いである。これは、本当に切実である。まったくそのとおりであろう。なんかになろうという前提ならばである。最近はよくこのことを考える。

 ステップアップという考え方が愚生にはまったくないからである。昔からないんである。わらっちまうくらいない。あっさりしているんだろう。だから、親分も子分もいない。交際の中から、オレをえらくしてくださいませということは一切なかった。登竜門と言われる研修も受けていないんである。マジである。だからオレのことを知っているお偉いさんはいないのだ。(^0^)

 ただひたすらやってみたい、興味がある、それらを元に駄文という名の駄文(ナンダ?そりゃぁ)を書いてみたい、発表ツールはなんでもいい。だから許して・・・(ナニガ?)というレベルの話なんである。これはずっとやってきた。実は20代の頃から、いろいろと書かせていただいた。20代で道徳教育の駄文を。30代で困難校における国語教育を。退職の前4年間は、ずいぶんあちこち書かせていただいた。

 今晩から、駄文書きを再スタートさせる。これまでとは異分野である。しかし、たったの40枚の原稿である。だから、質的な内容をしっかりしなくちゃいけないのだ。中身が問題である。だいたいの構想は練った。修士の時にお世話になった通信教育の方の武蔵野大学大学院にかなり厳しくご指導をいただいたからである。良い経験をさせていただいたものである。一字一句ご指導をいただいたのである。生涯学習のメッカでもある、我が母校は。(オレのような懶惰な学生が、母校と言ったら通学生に叱られるかな?)

 ポメラで書いていくつもりである。ポメラ自体は、数万字も入る。それを常時持ち歩いて書くのである。楽しい、楽しい。

 しかしである。
 だからといってそれがなんになるんだ?と言われると、「そのとおり!よっ、旦那さん」と申し上げるしかない。これまで書いていなかったからとも言えるのかもしれない。

 と~まなんか、たしたことはないからなぁと直接言われたことも随分ある。棚からぼた餅を狙っているのか?と聞かれたこともある。ワハハ、ワハハである。そんなこたぁねぇんですよ。自分の能力は、自分が一番知っているでごじゃりまする。(^0^)/ウフフ

 なんだか,オレのようなじじぃの存在を許してくださらんのかねぇとも慨嘆しているのである。世間が。

 オレ、本当に好きで学問をさせていただいているだけです。半端なんだけどね。



 (^-^)/
 
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7月24日(火)のつぶやき

2012年07月25日 03時52分46秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
21:31 from web
孫の顔が見たくなって。。。隣の県にいます

21:31 from web
ホテルからツイッターに。

21:32 from web
かわいいもんです。まったく、どうしようもない。ほんとに、孫だけを見たくなってしまったのです。

21:33 from web
午前中は学校にいたのですが、それからすっ飛ばして。

21:35 from web
学校にも、周囲のかたがたにもご迷惑をおかけしながら生きている、わる~い爺さんだなぁと反省しきりです。笑

21:36 from web
これからは、感謝のこころをもって生きて参ります。・・殊勝なことでございます。自己中心主義からの離脱を図っていかなくては。孫に笑われますなぁ。

21:39 from web
まさに、孫に教えられますわ。まるっきり鏡を見ているようで。つまり、愚生にそっくりなんでありますよ。これは反省しなくちゃいけません。神社の拝殿も正面に鏡がありますよねぇ。あれと同じ効果が、孫にはありますよ。

21:43 from web
しかし、重くなったな。7キロだそうです。首もすわり、自由自在。幸せになんなさいよって祈るしかないですなぁ。こちらは滅びる命、孫はこれからの命。爺のような人間になるなよ、というしかない。まったく。

21:46 from web
それではこれからホテルの風呂に入って寝ます。明日は、早起きして散歩をする。それから居住地に帰りましょ。あ、また孫の顔を見に、ホテルから行きますがね。それから帰るのですけど。それではまた明日。

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7月22日(日)のつぶやき

2012年07月23日 03時45分48秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
17:17 from web
老犬のジョンと散歩終了。17歳でも元気になって、(ちょっとふらふらしているけど)若い時と同じコースを歩いています。安堵しました。

17:18 from web
こういうトシの取り方も悪くないですね。まったくあやかりたいです。

17:19 from web
日本犬って、きれい好きでなかなかのものがあります。ちょっとわがままですが。

17:20 from web
かえってそれが、長寿の秘訣かも知れませんけどね。余計なことは考えていないようだし。ひたすら快適に生きていますねぇ。

17:22 from web
さ、これからスポーツジムに行って、バイクをこぎながら、相撲の千秋楽を見よう。それからサウナに入って、風呂にも入ってきます。健康第一です。健康でなくちゃなにもできないです。読書もスムースにいかない。(^-^)/

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「魂のゆくえを見つめて~柳田国男 東北をゆく」を拝見して

2012年07月22日 23時53分51秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 普段あまりテレビを見ないが、今日のNHKの番組には感動してしまった。

 東北は他人事ではないからである。愚生の出身地であるからだ。叔父叔母も、宮城県におる。震災の時は、非常に心配したのであるが、今日のNHKの番組は考えさせられてしまった。

 柳田国男と折口信夫という両碩学の話もメインであったから、なおのことである。民俗学と震災の話が結びつくと、これはまた深みのある展開になった。遠野物語99話に、非常に切々たる話があるのも知らなかった。

 婿に入った男性が、明治の三陸津波で亡くなった妻のことを、ある夜に浜で見かけるのである。そして、妻は、若き頃に心許し合ったある男性と一緒に津波が押し寄せてきた海岸を歩いていたのだそうである。婿の男性は、思わず亡くなった妻を追い、残された子ども達がかわいそうではないのか?と叱責する。そして、妻は、哀しそうに別の男性とその場を去っていくという話にそうとうショックを受けた。その話を語った方は、その後病に伏せることになる。その4代後の子孫が、現存しておられて、現在仮設住宅住まいなのだ。そして、先祖の物語が、遠野物語99話に書かれていることについて語るのである。

 遠野物語99話に先祖のことが出ていると教えてくださったのが、今回の津波に呑まれたその方の実母であったそうである。なんということだろうか。

 涙なくしては見ることができなかった。

 解説をされていた学習院大学教授の赤坂憲雄先生にも学ぶことがたくさんあった。ちょっとしかおっしゃらなかったが、日本人の死生観というものは、亡くなった方への追憶と、そしてむしろ生き残った我々との和解、ゆるしであったのではないかというお話であった。確かに、生き残った我々は、これからも生きていかなくてはならない。諦めて、生への意欲を喪ってもならない。真剣に受け止め、さらに生き延びていかなくてはならない。

 役場の防災センターで最後まで緊急避難を呼びかけて亡くなった町役場職員の若き女性職員と、多くの役場関係者をも呑み込んだ津波。その遺された防災センターに地元のおじさんが、自転車に乗って、いつのまにかできていた祭壇に手を合わせ、持ってきた飲み物をちょっとだけ自分でも飲んで簡便なる壇上に置いていかれた。その仕草にまた感動をした。いかなる宗教的儀礼よりもこころが籠もっていると感じたからである。

 地元の方の祈りである。なんともやるせない。

 我々日本人というのは、古来、こうした自然なる宗教観というものを所有していたのではないだろうかと無学ながらも思うのである。

 到底、愚生ごときが語ることのできない尊いものが、我々日本人には伝えられてきたのだと思う。それがなんであるかは、はっきりとこの番組は言ってくださらなかったが、そしてそれは自分で考えよということであったが、わかるような気がしたのである。

 人知も及ばぬ大災害であった。

 本当に憎い。しかし、ずっと語り継いで行かなくてはならないとも思う。

 そんなことを考えた。

 

 

 

↓ NHKオンラインHPより紹介

番組タイトル  日本人は何を考えてきたのか 第7回▽魂のゆくえを見つめて~柳田国男 東北をゆく

再放送ウオッチ!へ登録

チャンネル:Eテレ3
放送日: 2012年7月22日(日)
放送時間:午後10:00~午後11:30(90分)
ジャンル: ドキュメンタリー/教養 > 歴史・紀行

番組内容
民俗学の父、柳田国男は明治の三陸大津波から25年後、東北を歩いた。死後、魂はどこへゆくのか。作家の重松清さんが柳田民俗学を通して東北の復興と心の問題を見つめる。
詳細
民俗学の父・柳田国男は明治の三陸大津波から25年後、東北を歩き「雪国の春」を著した。絵馬で被災前の記憶を伝える人々、「食うが大事」と高台 ではなく浜辺に住む人々など、被災後の現実が活写されている。代表作「遠野物語」には妻を津波でなくした男の話が採録されている。死後、魂はどこへゆくの か。柳田や弟子・折口信夫は追究し続けた。番組では作家・重松清さんが柳田の目を通して東北の復興と魂のゆくえを見つめていく。
出演者ほか
【出演】学習院大学教授…赤坂憲雄,  【出演】民俗学者…谷川健一,  【リポーター】作家…重松清,  【キャスター】高橋美鈴
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7月21日(土)のつぶやき

2012年07月22日 03時44分41秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
22:45 from gooBlog production
夏休みだってね、学生さんは blog.goo.ne.jp/tym943/e/5ed00…

23:26 from web
橋本治せんせの文庫本を5冊ブックオフで買ってきたです。大枚500円。これでしばらくは退屈しない(^0^)

23:31 from web
さっき、駄文を書かせていただくという決意を表明させていただいた。これって、いいね。量的には大丈夫だけど、問題は中身。オイラのアタマです。

23:34 from web
しかし、本を買いたいですねぇ。借りるばかりでは、書き込みもできないんです。貧乏していると、本も買えねぇ~~~

23:37 from web
なんて言いながらも、また明日も、図書館に直行です。楽しみ、楽しみ。

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何でも中途半端だな

2012年07月21日 22時34分35秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 とうとう学校は夏休み。しかし、東北地方はまだまだである。遅いのである。当たり前である。季節感が違うのであるから。

 愚生はまったく夏休みがない。これまた当たり前である。毎日が日曜日であるからである。読書三昧。これでやるしかない。それでも、中途半端な知性を抱えて慨嘆しているばかりである。(おめぇのアタマに知性なんかあるのかよぉと言われるかな=苦笑)

 思うに、何でも中途半端だな。柔道然り。さっき、道場に行ってきた。今晩は、居住地で行われる七夕祭りの参加について、町内会の評議員というのをさせていただいているので、会議に参加しておったのだ。だから、稽古に行けなかったのだ。こんなオレでも、柔道の指導者登録をせよと柔道関係者から言われるから、カネを昨日払った。それで、登録カードをいただきに行ったのだ。教え子の師範(ちょっとヘンだな、この言い方)が今日の教室の指導をされていると思ったら、彼の奥方がおられて、そちらからいただいてきた。すぐとってかえして、今度はスポーツジムへ。そして、サウナに入って、風呂入って22:07この記事を書いている。
 で、柔道も中途半端なんである。
 たったの4段である。全国大会で優勝した経験もない。当然、オリンピックに出たこともないのだ。中途半端なんである。
 なんでもそうだなぁ。夕方、女房ドノにも言われてしまった。しみじみ言われた。なんでも中途半端ですねぇ~って。

 (^0^)/ウフフ


 自覚しておりますですよ。
 学問も、体力も、柔道も、人格も、道徳的営為も、宗教も、哲学も、学歴も、職業も、交友関係も・・・・あとナンダ? いっぱいあるなぁ。笑ってしまう。ほんとうにヒトに自慢できるモンがない。まったくない。
 
 もっとも、自慢するために生きているんでは無いケド。反面、徹底してやるべきことはやるべきなんだなぁと思ったのである。

 今日は、道場に、ちびっ子の時から育てた一人の青年が稽古に来ていた。体育学部と医学部を擁する千葉県内のJU大学の3年生である。この青年は、高校時代千葉県チャンピオンになって全国大会でベスト6になった。教員にしてやりたいのである。こういう徹底的に柔道を稽古した人間に教えてもらったら、生徒はどんなに仕合わせであろうかと思うからである。
 で、教員採用試験に向けての自作資料をあげることにした。携帯番号を交換した。A4で125枚あるのだ。オレの期待の星であるからだ。頑張ってほしいものである。徹底してやったヒトには、そういうヒト全てに期待をしたいものであるからだ。

 オレに期待してくださる方はいないなぁ(^0^)/ウフフ
 
 あたりめぇですな。期待したって、下り坂ばかりだ。もうたそがれているんだから。時間と費用がもったいないといわれっちまうですわなぁ。しかしである。ヒトを出し抜くのも愚生の趣味である。柔道もそう。誰も思いつかない技をかけるのが趣味なんである。およそ、デタラメだけど。そういう工夫が楽しいのである。変形柔道というんだケドね。

 60になってまだ生きている。これが不思議だ。オヤジは、もうオレのトシには、病院でずっと入院していた。どうやらオヤジを年齢だけは上回ることができそうだ。まだ、死なないような気がするのである。それがいつかは、誰にもわからんが。

 オヤジの知性にもかなわんなぁ。けっこうアタマのいいオヤジだったから。飲酒の量もかなわん。生きていたら、確実に愚生を罵倒しただろう。そんな程度しか呑めんのかってね。そうです、アタシャ、アルコールと香水のにおいが大嫌いで近づきたくもないんです(^0^)/ウフフ

 

 

 師匠に来月の9日に奈良で行われる学会の要項をメールでお送りした。そういう指示があったからである。愚生は末端会員として参加させていただくが、エライ先生方がどんな発表をするのか、それをお聞きするのを楽しみにしている。さらに、来月中には一本論文を書くつもりである。16000字であるから、量的には問題ない。問題なのは、中身である。中途半端な知識しかないからである。こればかりは生まれつきでありましょうなぁ。

 それでも、これをやることで、基本ができそうな気がする。後は視点を変えるだけである。

 

 論文集というカテゴリーをパスワード管理してきたが、このブログはノート代わりでもあるから、そこに書いていくのである。むろん基本はワープロや、このブログ、ポメラとかいろいろ使うんだけど。で、このカテゴリーは非公開にすることにした。まだまだ、不勉強だからである。TwitterやFacebookで、漏れていたりして(^0^)/ウフフ

 (昨日、じゃぁじゃぁと漏れていたんだそうだ=不覚!)

 このカテゴリーは、かなり愚生の真剣な文章が、本当の姿があるかもしれませんです。非公開なんで、誰にもお見せでけんのでございますが。誰もそんなの見たくもねぇってしかられちゃいますね。


 

 じゃぁまた明日!

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7月20日(金)のつぶやき

2012年07月21日 03時53分32秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
12:22 from Tweet Button
岩手日報 社告 iwate-np.co.jp/syakoku/111215… 秀衡と西行

17:50 from gooBlog production
せめてなりたや月見草(^0^) blog.goo.ne.jp/tym943/e/a0db1…

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隅っこでそっと咲いている

2012年07月20日 17時50分09秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 拙ブログには、論文集というパスワード付きのカテゴリーがあって、そちらに昨日は一件書き込みをしたのだが、愚生らしいなぁ。TwitterやFacebookからは見えていたのだそうだ。(^0^)

 頭隠して、尻も隠したつもりが、全部露見していたってやつだ。まったくどうしようもない。オレのアタマだのシリだの、そんなもん誰も見たくはないだろうに、とうとうやっちまった。

 ま、いいか。どうせたいしたことは書いていないから。便所の落書きみたいなもんだ。ある原稿が落選したということを書いてたから、内緒にしたのだ。つまり相手がいるからである。相手がそれを読んだら、申し訳ないですからね。それと、これから投稿する相手先も書いてあったからまだそれはここには書きたくない。惨敗の記録であるからである。もっとも、オレの人生惨敗につぐ惨敗でっせ。

 (^0^)/ウフフ

 

 それでも、いろいろとあちこちに書き散らしていきたいものである。ある意味、それだけをやりたくて、大学に入学させていただいたのだ。だから、再就職しようというのはないのだ。年齢的にも無理だしねぇ。あたりめぇ~だのクラッカーである。(古いなぁ・・)

 今日は、師匠といろいろ話をさせていただいていた。じゃぁなくて講義をいただいておったのだ。一対一である。対話をさせていただいていたのだ。専門の分野である。そして震えるような師匠の碩学ぶりに、感激しておったのだ。実に実にありがたいことである。そして申し上げたことが、本学でこれからも修行させていただきたいということであった。どうしてもそこには目的主義がないのであるが。目的がないから成果もないのか・・苦笑。

 成果を求めて、ぎりぎりの生活をするなんて、オイラには似合っていませんからねぇ。まったく、まったく。そんなことよりも、オイラより若い修士や、博士の方々を応援しているのだ。これはマジに、そうだ。おおいにガンバってくだされませ。それぞれの国家や組織、大学等々でご活躍をと思うのである。事実、来週で中国に帰られる大学の助教授の先生に、(お会いしたのはお一人だけであったが)サヨナラのご挨拶を申し上げた。もう二度とお会いすることもないだろうから。(^_^)3 フムフム。それくらいの覚悟で他者とは会っていたほうがいい。真剣になる。対話も。

 オイラは、夏休みも無く、毎日大学に登校する。来なくてもいいと言われるまでだ。なんてったって、定期券があるのだ。天下の定期券である。(^0^)

 小中高は今日で終業式であったそうな。もう、そういう感覚が無くなっているんだからお話にならんです。明日は、明日で、今日の続きであるから。曜日の感覚もないのである。これはやばいですな。曜日もなんもわかっていないとなると、これは恐ろしいことが予想される。

 そのためにも、学ぶしかないのである。目的といったらそれしかないのか・・・情け無いですがね。

 

 ここんとこ、ずっと橋本治先生の「桃尻語訳枕草子」を文庫で読んでいる。これまたかなり面白い。この先生は、天才ですな。県立図書館から実は一冊借りて読み始めたのだが、Amazonから自分用に買ってしまった。そして、赤鉛筆でぐりぐりやりながら、うめぇ~なぁこの訳文とか独り言を言いながらリビングで寝そべって読んでいる。楽しい、楽しい。?不真面目だって?ハイハイ、ハイハイ。後で正座して読みますよ。たぶんやらないだろうけど。

 今日はヨルバイトの塾がある。その前に、柔道教室に行って、教え子の師範(なんかみょう~な言い方だな)に指導者登録料を支払ってから出勤する。本来塾は明日なんだけど、明日は居住地の七夕祭りというのが8月にあるので、その対策会議だそうだ。そうです。オイラは町内の役員をさせていただいているんです(^-^)/

 それが明日の夜あるから、ヨルバイトに行けない。ま、いいか。それもこれもヒト助けである。あ、週に2.5時間くらいしか働いていないんだから、そんなヒト助けなんて大言壮語をしとったら閻魔さまに舌を抜かれる。クワバラ、クワバラである。ただの趣味だ。塾も。柔道も。

 

 大学でも、町内でも、塾でも隅っこでそっと咲いている月見草のような存在でありますなぁ。

 おっと、太宰治に叱られるか。「富士には月見草がよく似合う」っていうのは、比較するさもしい根性があるからだろう、そんな風に理解してはならんぞよ!ってねぇ。

 

 じゃぁ!

 

 

 

 

 

 

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源氏物語だん

2012年07月18日 23時56分21秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 これで今日二度目の投稿である。 


 暇だなぁと言われる。確かにそうである。暇だ。ヒマだ。ヒマヒマだ。読書三昧で、世間のことを斜に構えて見ていられるだけ愚生は仕合わせである。それは否定しない。こんな境涯が訪れるとは、思ってもみなかったのだ。もっとも、これまでがむしゃらに働いてきたからなぁ。土・日も全部部活動のために捧げてきた。あれがなくて、土・日を勉強のために捧げていたら、定年後に大学に再入学するなんてことはなかったに違いないとマジに思うのである。

 
 でも、それなりに、充実していたと感じる。精一杯やってきたと思う。教育実践にである。亡母がまったくこのタイプであったから、影響を受けているなぁ。所詮、愚生なんか学者肌でもねぇし、研究者タイプでもない。乱暴な、猛々しいだけの生徒に十分対応できるという番犬タイプの人間でしかないのだ。それでも、愚生はそういう教員であったことに誇りを感じている。どれだけ対教師暴力を未然に防いできただろうかと思う。そういう荒れた生徒を説得するのが、愚生の商売みたいなもんだったのだ。 


 今日は、大学の行き帰りに橋本治碩学の「窯変源氏物語」を読んでいた。Amazonで100円で売っていたから、これから全部買うつもりである。その第一巻である。読んでいたのは。 


 面白い。実に面白い。実は愚生は、荒くれの関東武者のごとき武人めいた人間だから、こういう源氏物語のようないい気なもんだという(おんなたらしの物語だから)モノが、大嫌いなんである。当たり前である。愚生なんかと関係の無い世界が展開されているからである。ようするにそういうことなんである。(ナニガそういうことなんか、よくわからんケド) 


 よくわからんから、毛嫌いしていたんだろうか。多分そうだろう。 


 ところがである。 
 橋本源氏は違うのだ。語り部が「私」になっている。主人公の光源氏である。これはぶったまげた。こんな風に源氏物語をやっちゃっていいのかと瞬間で思った。これまで、教わった手法とは全く違うからだ。へぇ・・・・・の連続であった。東大国文科出身の碩学が、である。 


 愚生は東大というのはやはりなんといっても凄いと思っているし、知的信頼性において間違いのない大学であろうということが高い世間評価につながっていると感じている。その橋本碩学が、実に面白い異次元の世界を描いている。 


 引き込まれた。 


 もうたまらないのである。それはなんでか?幼い光源氏が、母を亡くし、祖母も6歳で亡くしてしまうからである。有名な桐壺の巻である。これを、「私」を語り口にして、源氏を語ったヒトを初めて知ったのである。理由はすぐわかった。それは愚生が、孫のいるじじいだからだ。幼い光源氏が、かわいそうでたまらんかったからである。こんながんぜない幼児のときに、母を亡くし、祖母を亡くしたらどうなるんだいと思ったのである。 


 電車の中で、そっとハンカチでお目々のあたりを拭いていた。もう、これで決まりである。愚生も、橋本源氏にとりこにされてしまったのだ。うまいなぁと思った。これまで、谷崎源氏とか、円地源氏とか、瀬戸内源氏とか、与謝野晶子源氏とか、正確を期す今泉忠義訳、学部時代にお世話になった玉上琢弥訳とかを購入して読んでいた。つまり、あまりにも難しくて参考書と首っ引きで「あくまで正確に」訳そうとしていたのである。それが、出来の悪い国文学徒としての義務だと思っていたからである。 


 このことは、高校時代のH先生という仙台の旧帝国大学国文科出身の先生に感化されたのだと思う。もっとも、劣等生の愚生である。とてもじゃないが、ついていけなかったケド。厳しい教え方であったが、実にすばらしい碩学であった。その先生に、論語の解釈で、「先生!それは先生が間違っている」と迫った記憶があって、まことに赤面の至りである。今でも、カオが赤くなる。まったくどうしようもない、うぬぼれ小僧である。高校生くらいで、なにをかイワンや。でも、愚生はあのとき、湯川秀樹博士の兄である貝塚博士の本で殆ど論語を暗記していて(愚生の祖父に素読を授けられていた)、注釈もすらすら言えたんで、強靱に・頑迷に主張したんである。馬鹿だったけど、かえってかわいがってもらったのはありがたいことであった。 


 そういえば、H先生は、大学進学の心配もしてくださったなぁ。高校の先輩だから、本当に愚生のことを気にかけてくださった。新聞配達をしながら大学に行くのは知っておられた。だから不憫に思ってくださったのだろう。おまえのチカラがたいしたことはないのは知っている、しかし、もうちょっとやれば地方の国立大学くらい行けるだろう?なんでそんな苦学までして、国文学をやりたいのだ?と実にあたたかいご指導を拝受したのである。 


 思いやりの極地である。いい先生である。ま、貧乏で学力も無い、高校の後輩の愚生を憐れに思ってくださったのだろう。なんて言ったって、新聞配達までして大学に行こうっていうあふぉ~は、いかな貧しい米沢であっても愚生一人であったからである。 


 だから源氏物語が嫌いだったのだ。愚生のような苦学生にはハラが立つだけであるからだ。いい気なもんだと思っていたからである。冗談じゃねぇ、愚生はこの日の朝飯だって、昼飯だって、晩飯だって、てめぇで稼ぐしかねぇんだ。なにが、オンナ遍歴だよぉ~ってぇのは、あったのだ。わからんひとには、わからんでもいいでしゅよ。(^0^) 


 そういう愚生を感化してくださっている。橋本碩学は。 


 なんだか源氏物語構想論のゼミを受けていたころの、つまり、21・22歳のころの愚生にフィードバックしているねぇ。勝手な言いぐさではあるが。 


 それだけ、源氏物語というのは奥が深いのだ。 


 紫式部は、愚生のような読者も想定していらしたのかもしれない。ありがたいもんである。 


 さ、明日は千葉科学大学で授業である。これくらいにしよう。 

 

 


 また明日! 
  

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余計なおせっかいですが

2012年07月18日 06時13分18秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 さすがの愚生も、往復492キロの運転は疲れた。(体力しか自慢できないから)

 昨夜は、ワンカップ大関みたいなものを、ちゅ~っと呑んでいたらあっというまにバタンキュ~。もっともその前に、疲れたときは逆に身体的な疲れを体験すべきであるというので、ジムにも行っていた。サウナにも入ってきたからお酒が効いた。しっかり効いた。

 

 そして、朝3時には目が覚めてしまった。ずっと橋本治先生の書籍を読んでいた。Amazonからもたくさん先生の古本を買ったので、赤鉛筆を片手に仕込み中である。で、飽きるとこっち。つまり、ブログを書き始める。愚生の場合、ブログはノートの代用品だから習慣になっちまっている。あ、それと愚生ってブログ書くの異常に早いんです。これって、知ってる人は知っているんだけど(ナンダ?それ・・)。だから、あっという間に書いちゃう。表現がおかしいところが出てきて困ってしまうから、後で訂正する。ともかくやってみることを優先しているのが、愚生の生き方でしたから。過去形でしか言えないのがマコトに残念なんだけどなぁ。

 

 もっとも、相手は最初想定内読者5人と思っていたら、読んでくださる方が増えた。ありがたいことである。現役時代のブログの記事も、このブログに全部コピーしてあるから、その時は52万のヒットであったが。このブログは新規に立ち上げたのでゼロからスタートした。

 再スタートでは、生涯学習という分野であった。学校教育ではスタートしていないのである。徐々に見てくださる方がおられればいいと思っていただけであった。しかし、もうそんなことは言っていられないんだろう。毎日、ご訪問してくださる方がおられるようになってきた。ただし、教育関係のことはまったく無関心を装っている。マスコミを賑わしている話題だって、関心がないわけではない。オレならばどうするのかということは、即座に出てくる。しかしである。当事者の気持ちを思うと、こんなあふぉ~なブログであれこれコメントを書いてみるということはできない。それほど、恥さらしではないつもりである。大変です、頑張ってとエールを送るしかない。

 

 ニンゲンナンテ、勝手なもんである。当事者の気持ちなんてまったく考えないのだから。一億総評論家である。わかりもしないことを、あれこれ想像して言ってみたり、書いたりしたらいかんのである。インタビューもしないで、他人のことを書いてはいかんし、そんなモンが多いのは事実である。

 

 最近言われたことが、現役のときのこと。ナンニモしなかったんだろう?と。4年間ただ学校でぼ~っとしていただけだろう?やったのはおめぇの前までの校長だよなぁ、ってことだった。

 

 ハイハイ認めましょ。そう言って欲しいんでしょ?(^0^)


 しかし、これだけは言いたい。校長がダメでも、頑張ったのは先生方であった。先生方は、大輪の豪華な花であった。愚生は、肥やしだけひたすら蓄えていたなんの起伏も無いただの大地でしかなかったなぁ。のっぺらぼうの、草木も生えない荒れ地だ。そういう意味ではナンモしなかったのだろうなぁ。

 

 気楽に見えていたんだろうな。ソンなカオをしているわなぁ。ま、どうでもいいことだけど。どうせ、よく調べもしないで、噂話で人を評価しているんだから。

 

 狭い社会で生きているとそうなる。自分のやっていることが、唯一絶対になっちまう。Pedanticというのは、そういうことを戒めるために自分に課してきたそうしちゃならないという自戒なのである。だから当然他人に対しても厳しい見方をさせていただく。あまり表面には出さないが、諧謔ということの本質はそこにあるんではないかと思うのである。自信と、相手を攻撃するというのは裏腹の関係であって、だからといって何でも許されるとは思わないほうがいい。いちばん厳しいのが、インテリジェンスである。パワハラ、アカハラ、セクハラというのも思い込みである。勘違い。やっているご本尊には、そういう自覚がないのだ。自分だけがエライとなると、自分が見えなくなるからだ。

 

 それに「臭み」ということも気をつけられた方がよろしい。長年、同じことばかりやっていると、職業的臭みが出てくる。聞きもしないのに、前職時代は偉そうな地位にいたから、そして今回はたいした仕事をしていないから、発言に失礼があったらご容赦を、といけしゃーしゃーと言う御仁がいるが、笑いますなぁ(^0^)マークがいくつあっても足りませんぜ。(^0^)/ウフフ

 

 だから、愚生は自分のことを「愚生」と自称する。「愚たる」「自分」という意味である。この基本的な構えが無かったら、相手が馬鹿に見えるだけではないか。冗談では無い。世の中にはすぐれた人がたくさんいるのである。このことを忘れてはならないのである。「自戒」ではあるが。

 

 路傍の草にだって、学ぶことはたくさんあるのだ。じっと堪えながら、あるいは踏みつけられ、慮外の理不尽な攻撃を受け、存続すらできない可能性もある路傍の雑草には。悪ガキ時代にはそんなことを考えもせず、遊び歩いたものであった。山や川で。もっとも、愚生はその路傍の草を自生させる大地のようなことしかしてこなかったケド。柔道しかり。

 大地には「教え子」という名の大輪のハナが咲いていて、そのおかげで今は柔道をただひたすら楽しむだけの境涯にいることができるんだから。

 

 あの時代に戻りたい。しかし、もう不可能である。だいいち感受性が戻らない。いちいち大自然の動きに感動し、いろいろと考え、それを日記に書いていた。あのすこぶるパワフルな時代にである。要するに加齢をしたということなのであろう。しかしである。それを求めなくては、大自然の方も愚生に与えてくださる可能性はない。それは間違いない。求めなくては、何も得るものはない。バイブルにも書いてあるではないか(^0^)/ウフフ

 

 今日は、これから城国大に行く。いくつかの書籍を携えて。また、図書館に、隠棲室に籠もる。でないと、ついていけないからである。大地だけで生きてきたから、オレの花が咲いていないからだ。もっとも、永久に咲かないだろうけど。肥やしだけだったからなぁ。

 

 そんなもんはどうだっていい。

 楽しいからやっているだけなんだから。

 

 それでは行って参ります。

 

 

 あ、そうだ。高校生はもうほとんど授業ないみたいですなぁ。だからと言って、何もしないでいるといけませんぜ。世の中には、高校生よりも勉強しているじじぃがいるのかも知れませんから。今週に限っては。(^0^)

(余計なおせっかいですが)

 

 

 

 

 

 

 

 

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/