瘋癲老人ブログ
ブログを書いているとまだ出かけないのかね?と叱られてしまいそうだ。そう、号砲は夜なのだ。これからハイヤーが自宅に迎えにくるのを待っているのだけど。夜のスタートはちょいと辛いが、貧乏旅行だ。しかたなし。それに、不慣れだからいろいろ準備がてーへんでした。オレは外国語はまったくできないから、ガイド付きのでないと行けないのだ。お笑いくださいませ。だから、オレの大学に留学に来ているクラスメイトはじめ、留学生というのはエライもんだと思うのである。度胸がありますなぁ。凄いもんだと思う。尊敬しちゃいますな。
度胸がないとこれからの国際社会を生き延びていくことはできないですな。まったくそうだ。しかも、そういう方々と議論したり、教えてもらったりできるのだから、じじいの後半生としては実に仕合わせでございますよ。オレの方から何かを教えて差し上げたいが、そんな力はオレにはないしねぇ。ふがいないよ。あ、それに誰もそんなことをオレに頼まないから(>_<)ゞ。
もう、本当にそう思う。
本学で、好き勝手にいろいろ駄文を書かせていただいて感謝しているというのは毎回のように書いている。一昨日脱稿した「九十九里浜津波供養塔」というのは、これは師匠の指示で書いたものだ。どうなるかわからない駄文だけれども、参考にさせていただいた郷土誌の碩学のお二人の書籍のうち、お一人は「私家版」で資料集を出しておられた。これだ!とひらめいた。何がひらめいたかはナイショだ。わはははははだ。
どうせたいしたことはないから。ここに書くだけの価値もないし。
今、何をやっているのだ?と聞かれても、もう面倒くさくてなんもやってねぇよとしか答えないことにしている。瘋癲老人だよんって。オレに似合っているな、実に似合っている。そうなのだよ、オレはまさにあっちフラフラ、こっちボロボロだ。希望に燃えた若い方々を見ていると、実にうらやましい。こういう力んだ生活というのもなかなかいいものだと思う。オレのように軟体動物みたいに、くねくね生きているとみんなに呆れられるのだ。
いかんと思うけれども、仕方なし。
生涯学習仲間が、修士論文を書いている。修士をもう3つ取っておられる。今度で4つ目だ。本業の傍ら、大学院生活をずっとやってこられたのだ。直接お会いして呑んだこともある。俊秀である。本業は、非常に多忙な世界で生きておられる。収入も凄い(タブン)。彼がこのアト、どういう生涯学習をされるのかと楽しみでならない。彼のブログには、来年大学院で佛教學の修士に入るかもしれないと書いてあった。オレも、今、考えているところである。
死ぬ前に、本格的に仏教の勉強をしてみたい。信仰とは別の次元で。つまらないオレでも、学ぶことだけはできるかもしれないと思っているからだ。ま、どうにかなるんでしょう。それもそれ、これもこれ、あれもあれですな。
どうなることやら。所詮フーテンだしねぇ。
(;_;)/~~~