楽しければいいのである。中国語と一緒。一緒に学んでいる仲間たちと時々食事したり、楽しんでやっていればいい。いつかは中国にも行けるだろうし。
世間はGWである。あちこちと出かけておられる方々もたくさんおられるだろう。それはそれで大いに楽しまれた方がよい。ボキは、もう年金暮らしであるから、出かけるカネがない。時間はたっぷりあるのだが。
子育てをしていた時期は、子どもを連れてあちこち出かけたもんだった。子どもがタノシミにしていたからである。ボキもそれなりに努力した。まだカーナビなんてもんがない時代だったから、道路がわからない。わからないから、地図帳を丹念に見て、情報カードに経路を書き出してクルマに張り出していたものである。そういうアナログの時代の方が道を記憶できたと思うのだがいかがか。
今は、カーナビが案内してくれるから、まったくアタマに入らない。もっとも、今更である。もともと出来の悪いアタマである。なんでもかんでもアタマに入ってこないのだ。がっかりしてしまう。特に語学である。太刀打ちできない。
中国語にいたっては完全にダメじゃ。やってもやっても片っ端から忘れていく。使う場面もない。これって、強制的に使う場面があったら、そうでもないと思っているのだが。やる気の問題かねぇ~。まったく情けない。
先日、老人大学で手話を教えていただいた。それもダメ。習っている間は、記憶したような気がしたが、今は完全にダメ。覚えていないのである。これから老人大学で都合4回ほど教えていただくのであるが、こりゃ結果がおそろしくなってきた。
老人大学だから、評価はない。だから救われる。これが通知票をいただくとしたら、退学するしかない。(*_*) マイッタねぇ。(*_*) マイッタ。
居住地で教えていただいている中国語講座の大先輩が、ショッピングセンターでもなんでも中国人らしき人を見かけたら、話しかけてみよと言われていた。しかし、ボキにはそんな勇気もない。ましてや、妙ちくりんなヘアスタイルのジジイである。こっちは。
そこんところが、アカンのですなぁ。
使ってみないとダメだというのは、ボキのたどたどしい英語もそうである。
ましてや、記憶力が急激に減衰しているんだから、彼方此方で努力せんと。
だからこその生涯学習ごっこである。
どーも、老人大学に入ってから評価の世界と縁を切ってしまったから、オノレに対して甘さがある。
これは意外な結果であった。
某大学大学院に在籍させていただいていた時期は(つまり去年の三月まで)、評価があったから頑張れたと感じている。今は、まったくない。評価の「ひょ」の字もない。あるとすれば、「ひょぇ~~~~い」という情けない自虐のため息だけである。
だから、ボキは自分に自信が持てないのだなぁと思う。自己卑下が過ぎると思っている。
なにしろ退職してからは、バイトしかできない。書く論文、書く論文が誰にも相手にしていただけない。学会でもそう。査読会議で落選ばかりしている。そりゃそうだろう。そもそも研究者失格だと、退学した某大学大学院から烙印をおされたのであるから。そんなことはわかっていたが、ある意味トラウマになっていますなぁ。仕方がない。オノレの学力劣等から来ているんだから。諦めるしかない。
逆に考えればいいのである。
学問の世界から失格とされたのであるから(健康問題も含めて)、自由自在にそれこそ趣味として学問をやらせていただければいいだけである。
楽しいからやっているっていう案配である。それでいいのだ。ボキの場合。
それで喰っていこうとしているわけではないし、そんな能力もないからだ。
楽しければいいのである。
中国語と一緒。
一緒に学んでいる仲間たちと時々食事したり、楽しんでやっていればいい。
いつかは中国にも行けるだろうし。
今日は天気がいい。
さ、あちこち出かけましょう。半径2キロくらいで(^0^)。
Bye-bye