と~ま君の団塊世代一言日記 

定年後を、いつまでも少年のような気持ちで過ごしています。九十九里浜で、年金+5つのバイトで気ままな暮らしを継続中。

情熱大陸【神と呼ばれるスーパーボランティア尾畠さんが被災地に行く理由】9月23日

2018年09月30日 13時55分11秒 | 独り言2018

11歳で亡くした実母に、78歳になったジジイですけど、思い切り抱きしめてもらいたいと言われた尾畠春夫氏。

背骨が折れるほど抱きしめて・・・・という言い方にボキも感動したよ。どっかに亡母の目を意識しておられる。天からの目でもある。

まったく、すばらしい方である。ボキごとき、邪気なんか抱いているようでは話にならん!

(_ _ )/ハンセイ

 

 

情熱大陸【神と呼ばれるスーパーボランティア尾畠さんが被災地に行く理由】9月23日

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まだまだ発展途上である。 青春ジジイである。

2018年09月30日 08時19分13秒 | 独り言2018

まだまだできるではないか。灘高校の橋本武先生を紹介していた「灘中 奇跡の国語教室」を読了して、そう思った。なにしろ、こっちは非常勤とは言え、現役であるから(^_^)。


 

「競わないこと」「比べないこと」もうひとつおまけに「ケンカしないこと」をモットーにしたい。

しかし、実際そうやって生きてきたかとなると自信がない。

ないが、「競わないこと」はやってきたような気がする。なにしろ、最初から学校教育では落後していた。敗北の連続であった。否、今もそうだ。落ち武者である。柔道もそう。勝った経験なんぞ非常に少ない。そういう意味では武道をやる資格がなかったのである。最初から逃げ腰だったし。あ、柔道には逃げ腰という技はない。跳ね腰というのはあるけど。

「比べないこと」というのもやってきたような気がするが、まだまだこれも修行不足である。自然と他人と比較する癖がついているらしい。塾でもそうだ。シフト表を見れば評価がわかるようになっているからである。そんなものは見ないに限る。どう評価されようと淡々として生きるに限る。

太極拳でもそうだ。他人と比較してしまう。なにしろこの武道は、全員一致して同じ動作をしないと師匠に叱られてしまう。できないからである、ボキは(^_^)。これもまたあまり感心しないことである。比べちゃいけないとは、思うのだが。ついついやってしまうのだ。まだ悟りにはほど遠いですなぁ。太極拳だけは淡々としてやるわけにはいかないようである。今日は台風の影響で、太極拳講座が中止となってどっかで一安心しているボキがいるのだけれども、あまり良い傾向ではないですなぁ。

「ケンカしないこと」。これは最近になってようやくやれるようになってきた。夫婦ケンカも若い時に比べたら数が減ってきた。淡々として生きるということをモットーにしてからは、ケンカもばかばかしくなってきたからだ。もともと温厚に生きていたいというのが、ボキの望むところだから。

 

ボキは、やっぱり唯物論者である。学生時代のあのゲバ闘争というか、大学紛争には関わらなかったものの基本的にそういうのがある。幸福は物量で買うものという認識がある。それは否定できない。

だから、唯心論には立てなかった。あらゆる宗教に接してきたが、信仰を持つまでには至らなかった。宗教には歴史的な関心をもって接してきたのかもしれない。それを論文としてみたものの、本格的な信仰者から見たらインチキそのものである。

インチキと言えば、ボキの知識もそうとう怪しい。塾でも教えているが、まだまだ知識が不十分である。とくに英語と数学。

高校二校で国語を教えているが、源氏物語が不得意である。これもまたインチキである。なにしろ自分なりに源氏物語を訳せない。文法の知識も源氏物語には太刀打ちできない。

その点、あの有名なる灘高校の伝説の国語教師橋本武先生には驚くことばかりである。なにしろ21歳から71歳まで現役の国語教師であったのだ。さらに、退職後も源氏物語を訳しておられた。こういう方を見習うべしである。

生涯学習というのは、生やさしい決断ではできないことであると橋本武先生に教えていただいたような気がする。昨日、孫の運動会に応援に行っていて、留守中にAmazonから「灘中奇跡の国語教室 橋本武の超スロー・リーディング」という新書が来ていたからである。著者は神奈川県知事の黒岩祐治氏である。

感動した。こういう大先生がいて、しかも教え子が紹介の本を出しておられるのである。

一気に読了した。新書だし、読むのは楽である。

そこであっと気がついてしまった。

ボキも、まだできるではないか。非常勤講師とはいえ、高校二校でやっているからである。

ありがたいものである。

まだまだ発展途上である。

青春ジジイである。

 

わははっはははっはははっはははっははははっははは。

 

オシマイ。

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9月29日(土)のつぶやき

2018年09月30日 06時35分46秒 | 独り言2018
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老いては孫に従えである。我が子を通り過ぎているからで・・・トホホ。

2018年09月29日 19時29分07秒 | 独り言2018

反省ばかりしている毎日ではあるが、今日は孫の通っている小学校に運動会の応援に行った。多くのことを教えていただいたよん。真剣な孫にも、学校にも、先生方にも学んできた。

 

 

どうしても「俺は、私はエライ」と思い込む心情は誰にでもあるらしい。舐められたくないということと一緒である。その心理の奥底には、「俺は他と違う」「そもそもがエライのだ」という自己認識がある。

だから、毎日反省しているのだが、なかなか治らない。このビョーキは。

要するに自慢したいのである。他と違って個性的であるとか、学力も優れているとか、家も土地も持っているとか・・・そんなくだらないことをアゲタラ、キリがない。

だからボキはそういう言動をかなり気をつけてしないようにしているのだが、時々失敗もする。

うぬぼれてはアカンのである。

謙虚に生きていれば怪我もしない。

妬み嫉みはいくらでも世の中には存在するのだ。だから偉そうに自慢してはいけないのである。

そんなもん、自分の意識の底にしまっておくべしである。クチから飛び出してきたら、速攻で「あ、いけない」「俺は馬鹿でした」と訂正すれば良いのである。

だから反省ばかりの日常を送っているのである。

完成はないのだ。太極拳を教えていただいているように、謙虚に教えを乞うことである。

そんなことよりも、ボキはこれからやりたいこと、やらなくちゃならないことが山ほどあるのだ。ジジイになったからオシャレも楽しみたいし、真っ赤なシャツも着てみたい(^_^)。

派手な格好をしてみたい。太極拳の服でも可能な限り派手な中国服を買って町を歩いてみたいのだ。

もっとも、太極拳の実力がないから師匠に叱られてしまうけど。

派手な中国服を着て中国にも行ってみたい。中国の美女と話しもしてみたい。

無理か。

わはははっはははっははははっははははっはははっはははは。

 

今日は孫の運動会に行ってきた。それで記事のアップが遅くなってしまった。

朝は、雨が降っていなかった。しかし、高速道路で孫の住んでいる町に近づいたらなんと降ってきた。

ありゃぁ、これは中止かもと思った。思ったが、米をクルマに積んでいたので中止になったらなったでそのまま帰れば良しと思った。8時には孫の住んでいる家に着いた。そしたら、長女が待っていて運動会は中止ではなくて、挙行するとのことであった。

傘をさして、孫の通学している小学校まで歩いて行った。

なんと花火まで上がった。

やる気満々である。小学校がである。

グランドに行ってみた。

水はけのよいグランドで水たまりもまったくない。6年生が一生懸命一輪車で土を運んでいた。地面をならしていたのである。さすがである。教育の成果があったのだ。

孫はまだ一年生。

この4月に入学したばかりである。

ビデオを持って撮影していた。

根性のある小学校である。たいしたもんである。

校長先生の方針にぐらつきがないからであろう。先生方も馬車馬のように走り回っていた。

良い学校だなぁと感じてきた。

予定はバンバン切り上げられていたが。午後の分まで全部やってしまったのである。

威張っていて、なにもしないというような学校ではなかったからである。勉強になった。感謝である。ありがと~~~~~~である。

 

帰りの高速道路でも、古女房ドノと感動のハナシをしてきた。

 

さ、これから仁勇という神崎の銘酒をちびちびとやりながら、夕食をいただく。

 

また明日!

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9月28日(金)のつぶやき

2018年09月29日 06時24分35秒 | 独り言2018
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トルコ人85%が知っているクシモト エルトゥールル号のこと

2018年09月28日 14時59分57秒 | 独り言2018

この動画が消されませんように。

エルトゥールル号のことは、トルコの方々は永遠に忘れないそうだ。小学校の教科書にも出てくるそうだ。

義理人情に厚いトルコ人たちが、今でも日本のことが大好きだというのは実際に行ってみて知った。今年の5月であった。

旅はボキのようなものを賢くしてくれるのだなぁと思う。

 

 

トルコ人85%が知っているクシモト

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敵兵を救助せよ!【武士道】敵兵イギリス兵422名を救助した日本海軍「雷(いかづち)」

2018年09月28日 14時45分28秒 | 独り言2018

偉い軍人がいたものである。

感謝!

この物語の主人公である艦長工藤俊作は、山形県高畠町出身。ボキの高校(旧制の米沢中学=米沢興譲館高校)の先輩でもあったのだ。柔道も有段者。もしかして、ボキも稽古したあのぼろぼろの柔道場で柔道をやられたのかもしれない。

ご縁である。

ご縁。

 

 

敵兵を救助せよ!【武士道】敵兵イギリス兵422名を救助した日本海軍「雷(いかづち)」

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貧乏人にはない金持ちならではの習慣11

2018年09月28日 14時29分51秒 | 独り言2018

なるほど、こりゃ良いことを教えていただいたなぁ。

クルマも要らないんだ。

わはははははっははっはははははははっはははっはははは。

 

貧乏人にはない金持ちならではの習慣11

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ドンブラコ、ドンブラコと流されて生きるのもまた良し。

2018年09月28日 08時05分35秒 | 精神のありかた

川の上流から流されてきたかということが重要である。ナニガ?それはこの記事を読んでくだされば・・・(^_^)

 

 

ある決断に至るまで、実は99個のことを考えている。その決断は、100個目であっていきなり決断という形で登場したのではない。

たとえば、ある場所で店を開店したいということは、その前に99個の逡巡や調査や計画があって実現する。いきなりということはあり得ないわけである。もしいきなりだったら、そりゃアカン。ただの思いつきでしかない。深慮遠謀がなくちゃならない。

さらに、その決断は川の上流から流されてきたのかもしれない。ある意味、価値を持ってである。流されてきたのならば、たとえばお店を開業するのも良し。

そういう人生のシナリオになっていれば、決断の基本になる要因は流されてくる。そしてそれらを検討して(無意識であっても)、決断すれば良いのである

こういう視点をもっていると、流されてきた要因や現象のとおりやった方が良い。

それでなければやらない方が良い。やりたくないとか、やりたいということとは無関係である。

自分が決断するように(自分がした)と我々は思っているけど、ボキは自分が自分がという部分はちょっといかがなものかとずっと考えてきた。自分が相手をあるいは他人をコントロールしたいから独立するとか、他人にこき使われているからやめたい、だから独立して店を開業したいと思うのは視点が自分側にある。店に来てくださるお客さん側にない。したがって、成功する確率は低くなる。

あくまで、相手に他人に喜ばれる存在であるかということが重要なのである。

そういう感覚が川の上流から流れてきたら、やった方が良い。頼まれごとでもそうである。頼まれごとも流されてくる。ドンブラコ、ドンブラコと桃太郎のように桃に入って流れてくる。その桃は、100個目かもしれない。

それでも良いではないか。

ただし、自分の意志とは関係なく桃が流れてきそうもない時は、やらない方が良い。なんとなく、流れに流されている、あるいはやる羽目になってしまったという位の方が良い。そういう時は、やった方が良い。

選択の際には、「好き嫌い」を言わないことである。それは自我の暴走である。我慢とも違う。

好き嫌いでものを選択しないで、お星様からお日様からお月様からなんとなくそういうイメージが伝わってきたら従っていく。それが風流なのである。

九十九里浜で海を見ていても飽きないというのがこれである。ボキは、海からメッセージをいただく。ぼ~~~っとしているとあるメッセージが来るのだ。不思議な体験ばかりしている。これは東北の寒村で育ったボキにはまったくの不思議ちゃんであった。

その結果が、現在の楽しい「まだまだ若いジジイ生活」である。いつも若い男女に囲まれていて、楽しい・楽しい。千葉市の某高校や、居住地に近い某大学、学習塾のことである。

これらもまたあちらから流されてきた「頼まれごと」であった。

感謝である。

 

明日は孫(男児)の運動会。長女の住んでいる県まで出かける。日帰りである。新米を持ってだ。楽しみである。台風が来ているから、かなり心配だけど。

 

(´∀`*)ノ

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9月27日(木)のつぶやき

2018年09月28日 06時23分14秒 | 独り言2018
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成田〜武漢(中国)ANA一泊往復の旅(FrontRowとGoProを利用した旅動画の作成実験)

2018年09月27日 09時00分36秒 | 中国武陵源怪人紀行2018年10月

ANAだとエコノミー席でもまぁまぁ食事は良さそうですねぇ。

 

 

 

成田〜武漢(中国)ANA一泊往復の旅(FrontRowとGoProを利用した旅動画の作成実験)

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落ち込んだり、有頂天になったりしていたらアカンですなぁ。それだとただの気分屋でしかないから。

2018年09月27日 08時19分18秒 | 精神のありかた

ボキの課題は自分の力を見定めることなり。所詮、大したもんではないから。

 

 

自分が「大したものじゃない」「ろくなものじゃない」「ちゃんとしたものじゃない」と思うことができるかというのが、ボキの課題である。

事実、ボキはそのとおりの人間である。矮小なものだし、ろくなことをしてこなかったし、日常生活もきちんとしていない。掃除も洗濯も料理もできない。きちんとできない。やる気はあるのだが。

だから他人に説教たれることができるほど、立派じゃないのだ。

あたりめぇである。君子でもない。聖人でもない。ただのボンクラである。

ガキのころから、虫取りをして幾多の虫たちの命を奪ってきたしなぁ。

他人のことを笑うことはできないのだよ。まったく。

だから、ボキは落ち込むことがない。他人のことを笑えないということは、最低限の心境からスタートしているからである。有頂天になることがないからだと言い換えてもよい。

自分じゃどうにもならないことや自分ではコントロールできないことを、心配したり悩んだりしても仕方なし。それでもって、気分に波が出ていたら全くの無駄である。

気分に波ができるというのは、自分のことを高評価しているからである。こんなに俺は私は優秀なのに、なぜ勤務先あるいは他人は認めてくれないのだと慨嘆しているのと一緒である。

有頂天になるのは、自分が大したものであるという自己認識に他ならない。賞賛されるからである。こいつは大きな落とし穴である。必ず、ひっくり返される。奈落の底まで落っことされる。そして、気分が落ち込む。

だったら、最初から、俺は大物ではない、ちゃんとしたものではないと思っていた方が楽である。

そんな完璧な人間なんていないからである。仕事も人格も完全な人を「正しい人」「義人」というのだろうが、そんな人には出会ったこともない。むろん、ボキ自身は不完全人間だし。

もともと人間は、完全に正しい人間として生きることなんかできやしないのである。不完全で不十分で未熟なのである。それでいいのだ。やることなすことミスばかり。もともと人間というのは、そういうもんではないのか。

そう考えていれば、落ち込まない。もともと「大したものじゃない」「ろくなものじゃない」「ちゃんとしたものじゃない」と思っていれば、落ち込むことはなくなる。体験しているからそう思うのだ。

ただし、努力は前提となる。普段から努力だけはしていた方がいい。

それでも、「大したものじゃないねぇ、君は」と言われてもニコニコ笑いながら肯定していればいいのだ。逆に舞い上がってしまうこともない。それだけ慎重に生きることができるというもんである。

自分の力だけで生きているんじゃないってことである。誰かのおかげで今があるのだ。それを自覚していると、失敗は防げる。

そういうのを謙虚に生きるということだと思うのである。

 

今日は朝から雨である。参ったなぁ。それに寒くなった。あれだけ暑かった夏がどっかに行ってしまった。体調の維持に留意しようっと。歩きにも行かなくちゃ。ショッピングセンターへ。

(^_^)

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9月26日(水)のつぶやき

2018年09月27日 06時31分21秒 | 独り言2018
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相手から見返りやお礼の一つでも欲しいと思っていると、ろくなことはないなぁ。

2018年09月26日 08時03分00秒 | 独り言2018

見返りはまったくないのだけれども、自分が生き生きとしていれば相手も変わると真実思っているから。

 

 

見返りを期待しない生き方をしているから、尾畠春夫氏が魅力的に見えるのだろう。まさに現代において、希有な方である。マスコミもそっとしておいて欲しい方でもある。ますますお元気でご活躍をしていただきたい方の一人である。

そもそもがである。相手がどうであろうと、同氏は笑顔なのではないのか。あのすてきな笑顔で被災地を回っておられるのだろう。実際の現場を見たわけではないから、何ともいえないのだが。

山口県の周防大島で4歳の男児を発見したときもそうだった。ヒーロー気取りは一切なかった。さらに、男児の祖父がお風呂にも入って欲しい、食事も一緒にと懇願したのに辞去された。

なかなかできないことである。

自分の方から笑顔であることが大事なんだと、教えていただいた。相手がどんなに不機嫌であっても、笑顔なのである。

たぶん、同氏はあいさつも誰とでもできるのであろうと思う。これまた実際の同氏を見たわけではないから、なんとも言えないのではあるが。

相手の状態なんか眼中にないのである。こういう方々は。自分の生き方が確立している。だから自己完結という言葉を使っておられたのだ。

相手の反応を待っているのでもない。ただひたすら自分があいさつをしているだけである。そういう意味で自己完結しているのだ。

こういう態度は見習いたいことである。

どんなに相手がつっけんどんであっても関係ないのだ。偉そうに威張っていても関係なし。

あいさつをしても、相手がしてくれない場合もあるだろう。それでも、関係なし。自分からひたすらあいさつをするだけだ。

ある作家の文章にあったような気がするが、こういうことである。ある大寺院のトップ(確か天竜寺の管長さんだったような気がする)が毎日のように散歩の時にあいさつをしていた。誰に対してもである。ところが、どうしてもあいさつを返さない不機嫌なじいさんがいたそうな。散歩の時に会う男性で。

管長さん、そんなことには一切かまわず、毎日毎朝あいさつをしていた。そしたら、あるとき突然くだんのじいさんがガバッとひれ伏しあいさつを返したとのことである。しかも3年もたってからである。

こういう話にボキは弱いのだ。

管長さんは誰彼の区別がない。偉いからあいさつしているのではない。同じ組織にいるからあいさつをしているのでもない。学校だって同じである。同じ学校にいるからあいさつをするのではないのである。

今月から働いている千葉市の某高校でもそうだ。あいさつが飛び交う。良いことである。しかもそれが学校経営の基本になっているようだ。好ましい学校である。

こういう学校があるのだ。

良い体験をさせてもらっている。もっとも、来年の3月までの運命しかないのだが。

 

今日も生き生きと過ごさせてもらおう。

NHKラジオの英会話講座も、デクティーションでもって学ぶべきだとある文庫本で教えていただいたし。実践してみようと思うから。

やることがたくさんあって楽しいもんですなぁ。見返りはまったくないのだけれども。

 

オシマイ。

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9月25日(火)のつぶやき

2018年09月26日 06時25分51秒 | 独り言2018
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/