苦労人栃ノ心が優勝したから、とてつもなく嬉しい。こういうどん底から這い上がってきた人間はホンモノである。ボキは、まだ浮上していないけどねぇ。永遠に潜りっぱなしの潜水艦みたいなものだから。
相撲の栃ノ心が優勝した。
相撲ファンのボキとしては、実に嬉しいことであった。
なぜなら、彼は苦労したからである。大けがをして一時は幕下まで落ちた。幕下というと無給である。つまり、収入がない。相撲部屋にいるから、宿代と食事代はかからない。しかし、一時は関脇にまでなった男である。
がっかりしたであろう。
ところが底辺を経験してから、立ち直ったのである。
それがボキを感動させているのである。
そういう話に弱いのだ、ボキは。
エリートがそのまま勝負事でもエリートでいたら、ボキは面白くもなんともない。一時は廃業の危機まで陥った栃ノ心が立ち直ったからファンなのである。
落ちこぼれが立ち直るには、なかなかの努力がいる。ボキもそうだったからである。ボキの愛好してきた柔道もそうだった。身長172・体重80キロ前後で、重量級としては中途半端な柔道選手であったからである。それが重量級に出されたからたまったもんじゃなかった。ありとあらゆるテクニックを駆使して闘ったのじゃ。マジに。一本背負い投げとか、体落としで対抗した。さらに寝技でも巨漢連中にかけてけっこう通じたのである。特に寝技は、工夫と知力が要る。相手の予想もしない関節技をかけては喜んでいた。講道館では叱られたけどねぇ(^0^)。講道館は、立ち技重視だから。
ま、そんなことを思い出しながら、昨日の栃ノ心の取り組みを見ていた。
優勝に素直にナミダした。感動したのである。ホントウにこういう話に弱いのである。
挫折を経験して、再起して、それから・・・という物語にである。
考えてみるに、同じような体験をしてきているからであろう。
受験戦争から挫折して、大学に進学したといっても苦学である。新聞配達してまで大学にこだわってしまった過去の思い出があるからである。苦学してまで行くような大学でもなかったし、なぜそんなにしてまでこだわったのかと今でも疑問に思うことがある。
結局亡父への反発心ではなかったのかと思う。反抗心であったのかもしれない。町役場の平凡な官吏であった亡父は、大学なんか出ていない。亡母は師範学校出身だから、大学というものに対して知識はあった。亡父には、そういう意味で大学というものにコンプレックスがあったのだろうし、大学を出ていないから出世が遅れたと常にぼやいていた。大学を出れば出世できたのか?と思うと、亡父の場合は無理だったろうと思う。なにしろ性格に問題があった。おっと、ボキも同じようなもんだけどねぇ(^0^)。
そういう固定観念があったから、ボキの受験する大学にしばりをかけてきたのである。そんなもん、どうでも良いだろうと思っていた。事実、その後のボキの人生には大学名とかはまったく関係なかった。学閥の存在が喧伝される業界にいたが、まったく無名の大学であったにもかかわらず、定年間際には**までやることができた。業界には珍しいことであったらしい。エリートでもなんでもない、ただのボンクラが定年で華々しく散ったからである。恨んでいる方々もいただろう。オレの方が当然出世できたはずなのに、どうしてあいつが・・・という恨みである。だから、ボキはそういうくだらないしがらみを持っている御仁のいる業界と関わらないことにしているのである。
しかし、30日にその以前いた業界の方々と呑むことになっている。千葉市で。正直、会いたくないというのが素直な心境である。それでも行くのは、年賀状で叱られたからだ(^0^)。先輩が書いて寄こした。忘れたのか?って。ううううううううううううううううううううううむ、そこまで書いてくださるのなら行くしか無い。
次の日に千葉市にまた行く。「上代文学から見た房総」という講座があるから生徒として参加するからである。二日連続で千葉市に出かけるのは、面倒である。泊まってきちゃおうかなと思ったけどヤメタ。帰ってこようと思っている。
世間のしがらみ?
違うなぁ。
ま、栃ノ心の優勝でいろいろ考えることがたくさんあったからである。
面倒くさいご隠居さんですよん。
Bye-bye!