ぽっかりと大きな穴が・・オレの胸に
司馬遼太郎の台詞に、書斎だけで人間を把握しちゃならない、実際に行動に移して、会ってみなくてはならないというようなのがあったような気がする。どれに書いてあったか忘れてしまったが、まさにそのとおりであろう。そして実際に会ってみたい人間の土地を訪問してみるということは、案外重要なことかもしれない。
なにも構えることはない。地図さえあればそれでいい。事前に地図を見ながらあれこれ考えるのは、無性に楽しい。山や、川や、谷や、海岸線などを想像してみるだけでいいのである。じ~っと見ていると地図の方から語りかけてくるのだ。一度来ませんか?って。
そういうときは、地図の奥の方から、えらい美女がオレにおいでおいでをやってくれるのだ。たまんないのである。地図を見るのも娯楽の一つである。そして、まったくカネがかからない娯楽である。
わははっははっははっははっは。
くだらない奴だったらどうするんだとか、前提を作らないことだ。そんなことを言うのなら、そういうオノレはどうなんだ?っていう問題になってしまう。
人間を知りたくて、オレも旅から旅をやっている。しかし、風景ばかり愛でていると、飽きる。一度行ったところには、「あ、あそこね、一回行ったからもういいや!」ってことを言いながら旅のチャンスから遠ざかってしまう。それはもったいない。
オレは、じじいになったから、仕方なしにツアーにも行くけど、本来は、「ソロ・ツーリング」みたいなものが好きなのだ。
大型バイクで東北地方をふらふらと行きつ戻りつ放浪をしていたときに、孤独な旅の良さを味わっていたのだった。行く先々で、いろいろな人間と会って、対話を楽しみ、うまい日本酒を呑み、土地のものを喰う。それがなによりだった。
これはツレがいたんじゃ、もう出来ない。無理である。日程も、料金も、泊まる先も決めてあるから、予定どおりに行動するしかない。こんなのは「旅」ではない。すくなくとも、オレがバイクで味わっていた自由さはない。
しかし、ハタとここで困ってしまうのである。
そう、もう体力が続かないのだ。
体力というのは、加齢による負の遺産には耐えられないものらしい。女性に興味も関心もなくなってしまったのも加齢による負の遺産であろう。健康でまったく良いことばかりであるが、いささかさみしい。
だからというわけではないが、修験道でもなんでも体験重視型の旅をしていこうと思っている。カメラ片手に、ICレコーダーを持って、薄いノートに汚い字を書きながらひたすら旅に出るつもりである。一度行ったところにも行きたい。気に入っていればである。
出来れば一人旅が良いのだが、そうもいかないだろう。これからは。どこで健康を損なうかわからないし、事故にあう危険性も高くなってきた。
そういう意味では慎重に行動するタイプなのである。
五月から放浪の旅を復活させる。
今のところは、孫と一緒に風呂に入ったり、キャッ~~~~と(^_^)ながら孫との生活を楽しんでいるから、それはそれでかなりの娯楽である。
そして、孫が五月にはいなくなっちまう。
娘と一緒に帰ってしまう。
うううううううう。
ぽっかりとした穴がオレの胸に開いてしまう。
さみしいだろうなぁと思っている。
だから旅に出るのである。
(^_-)-☆