と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

しかし、世間はおもしろいもんである。欲得まみれのアホが多いからである。そんなもんクソだよん。相手にしないこっちゃ(^0^)。

2019年03月20日 08時19分23秒 | とーま君の流儀2019

ヒトが欲していることを邪魔しちゃアカン。ほんとうにそう思う。

親類縁者もそうだし、ましてや他人だったら邪魔は邪魔でしか無い。生きていると、いろいろと相談を受けることもある。しかし、そういう方はもう決意しているのである。結論が見えているのだ。だから、ボキは聞いているしかない。なるほどそういう考え方もあったかと思うしか無い。

なかには、いい大人になって「私はどうしたらいいのでしょう」と言う方々もいるからだ。情けない。

そういう方は潜在意識でもう決意しているのだ。だったら、邪魔しちゃいけない。決意を支援していくしかない。決意というのは、自分で自分の生き方に責任を負うということに他ならないからだ。

他人がどうのこうのと言う資格もない。ましてや、親子関係でもそうだ。子どもが大人になったら、もう親の出る場面はない。

後は、自己責任で生きていくしかない。

ボキは、基本的にたんたんと生きている。だから、冷たいと言われることもある。激高しないし、常に冷静に行動しているつもりである。学閥とかもご縁はない。学閥と言えるような立派な大学を出ていないし。それに、ボキは某大学大学院中退のお粗末な学歴である。ましてや、学会の争いとか、友人関係の破綻とかというのとは一切無縁である。

それに、会いたくないヒトには会わない。アワナイから、会わないのである。アワナイというのは、本質的に(潜在的にと言い換えてもよい)アレルギーがあるからだ。だからたんたんとして生きていられるのである。そんなもんにいちいちアワセテいたら、ますますアレルギーが激しくなっちまうではないか。

たんたんというのは、淡々とも書く。つまり淡いのである。強烈ではない。個性的では無い。濃いキャラではない。他人を馬鹿にして、上から目線で睥睨するというのでもない。そういうのは、まったくボキには似合わない。

逆に、ひたすら腰が低くて、まるで腰折れ人形のような態度もとらない。ゼニのためならなんでもするというようなタイプではないからだ。むしろ怖いと言われることもある。目つきが悪いし、歩き方もがに股である。人格円満というのとはほど遠い。情けないけど。円満にしたいのにである(^0^)。

しかし、世間には争いの好きな御仁やご婦人方も多いからなぁ。そういう種類の人間どもには関わらないことである。

マジに。

結局アホはアホで生きているしかないのであろうから。

ボキも含めて。


わはっはははっはははっははははははっはははっははははっはははっははは。


BYE-BYE!

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3月19日(火)のつぶやき

2019年03月20日 06時18分59秒 | とーま君の流儀2019
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/