と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

尾畠春夫さん“大分まで歩いて帰る旅”断念 わが家に 「恩返ししたい」

2019年02月28日 14時55分58秒 | 尾畠春夫氏

尾畠春夫さん“大分まで歩いて帰る旅”断念 わが家に 「恩返ししたい」

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クチのきき方にきをつけなくちゃなぁと(_ _ )/ハンセイ

2019年02月28日 14時42分49秒 | とーま君の流儀2019

今は、14:24である。今日の千葉市は雨で寒かった。間違った。九十九里浜は雨が降ったら暖かいから、コートを着ていかなかった。作戦大失敗。電車の中は暖房していたが、そしてバイト先も暖房していたが、途中の道がアカンかった(^0^)。

声が出ない。風邪ひいたのだろうと家人に言われた。叱られてしまった。しょうもねぇジジイですなぁ。


わあはっははははっはははっはっはははっはははっはははっはははは。


ま、こんなこともある。元来が強靱であるから、大丈夫だろう。寒中の日々に、柔道で寒稽古をしていたボキである。無理はしないがねぇ。

これで第5番目のバイトは、ほぼ完了。あとは、平安な日々を送るに限る。これからどんな日々が待っているか楽しみでもある。第6のバイトもやるし。でも、こうやって番号でバイトのことを打鍵していると、ボキもようわからんのだ。なんのバイトの話か(^0^)。

ましてや、拙ブログに来ていただいている方々は混乱の極みであろう。しょうがないのである。雇い主に禁じられているからである。具体名なんか絶対に出せないからだ。

しかしだ。バイトをやっているときに、気をつけたいのがクチのきき方である。どうもこうも、ボキは昔から生意気なところがあるからだ。つまり、ボキの基盤には軟らかな東北弁のなまりがあって、これが最大の長所なのに関東弁という方言を使うと実に乱暴になってしまうのだ。これはアカン。

話をしているヒトが怒り出すのじゃ。

参ってしまうのだ。

ボキは、普通に関東の人間のまねをしているだけなのに。

けんか腰になってしまうのだ。

それがわかっているから、可能な限り敬語を使うようにしている。

それに、人間の名前を言うのに呼び捨てはアカン。これも反省材料である。紙に書いてあるからと言って呼び捨てにしてもアカン。

実際に会っている方々には呼び捨てにはしない。

それくらい、アホなボキでも計算して使い分けているつもりだ。


さ、今日はこれからヒト休みして塾に行く。これもまたタノシイ。もう8年もやっている。旅行に行くとき以外は一度も休んでいない。

それにしても良く働くジジイでございますよん。


(^o^)/~~~

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2月27日(水)のつぶやき

2019年02月28日 06時41分11秒 | とーま君の流儀2019
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学徒出陣をした先輩方のようなきっちりとした死生観を持って生きているのだろうかと自省している。

2019年02月27日 18時48分04秒 | とーま君の流儀2019

午後から孫娘が遊びに来ていた。明日と明後日はバイトで会えないから、呼んだ。三日会わないと禁断症状が出てくるのだ(^0^)。

道の駅で、滑り台をやって楽しんだ。嫁さんと古女房殿と孫娘とである。こんなささやかなことしか楽しみがない。

バイトをしていないと、実に毎日がおもしろくない。おもしろくないから、孫娘と一緒に遊ぶことになる。

孫娘が迷惑だろうって?

わははっははははっはははっはははっははははっはははっははは。


しかし、考えてみれば、孫娘が成人するまで生きてられるだろうかという不安はある。成人するまで、あと20年だ。厳しい選択である。それでもボキはしつこく生きていたい。

中世の宗教家で親鸞というヒトは、90歳まで生きた。強靱な体力と、精神をもっていた。比叡山で20年の長きにわたり修行した。これが他の鎌倉仏教の創始者と違っている。道元は、叡山を降りるのが10年。日蓮も12年程度。この時代の平均寿命は40代だそうだから、親鸞が長かったというのは特異な現象であったのだろう。

ボキはこれに注目しているのだ。

一遍も空也も強靱な身体をしている。鍛え上げた体である。細マッチョな体をしている。ここら辺に長生きのコツがありそうだと思っている。西行もそうだ。武士だったから、余計に体力はあったのだろう。しかし、西行の場合は断食をしながら、わざと春爛漫と桜満開の時に、死んだのではないかと密かに思っているけど。かの有名なる「願わくば花の下にて春死なん・・・」の歌は、自死の可能性すらあるからだ。

常に死を見つめていきたい。

その結果、長生きできたらありがたい。

いつ死ぬのかそんなことは誰にもわからないからである。

死を考えていない生は表面的で軽薄である。そう思うからである。事実、ボキの後半生はこのことの思索なしには考えられない。


太平洋戦争で亡くなっていった学徒出陣の大学生たちの和歌を味わうことがある。彼らは突然国家の都合によって、若い命を奪われていった。そして、特攻機に乗って散っていった。ちょっと以下に引用してみよう。

>陸軍特攻隊員の遺書:靖国神社編(1995)『散華の心と鎮魂の誠』展転社 引用

「指折りつ待ちに待ちたる機ぞ来る 千尋の海に散るぞ楽しき」伊舎堂用久大尉(陸軍特別攻撃隊「誠第17飛行隊」1945/3/26戦死)。

「生まれ出る子 お父様は特攻隊長として敵艦に飛行機と共に衝突命中米英ともに打ち滅ぼします。年少にして父と別れたがお母様は本当により母でありお父様と同じ心なのだからよくお母様の教えを守りよい子になるんですよ。病気をせずにお父様の幸福の裡にお前たちと別れます さようなら」片岡喜作中尉(陸軍特別攻撃隊「第81振武隊」1945/4/22戦死)。

「我行カム 唯ダ一途ニ誠心ニ 散リテ花咲ク 学鷲ノ魂」坂内隆夫大尉(陸軍特別攻撃隊「第54振武隊」1945/5/25戦死)
。 

 

 

以上である。

知覧に行ったときも、ボキは号泣した。

亡父も、シベリア抑留で苦しんできた。

その時のことを何度も聞いて育った。亡父の死生観は、こういう基盤を持っていたのだ。修士論文を書いていたときに、そのあたりをレポートして指導教授にもっと深めよと言われた。しかし、懶惰なボキはそれ以上の追究を止めた。

今は違っている。

亡父の亡くなった年齢を大幅に超えてしまった。

きっちりとした死生観があって、生きているのか?って、亡父は今でもボキを叱ってくれているような気がしてならない。

ふうううううううううううううううううむ。

今日はいろんなことを打鍵してしまったなぁ。


BYE-BYE!

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ふんわりとした叙情&しみじみ信心&ほろほろ宗教

2019年02月27日 13時03分15秒 | とーま君の流儀2019

舟唄という演歌がある。あれは名曲である。

お酒はぬるめの燗がいい 肴はあぶったイカでいい・・・・・で始まる。

しみじみ飲めばしみじみと 思い出だけが行きすぎる

涙がぽろりとこぼれたら 唄い出すのさ 舟唄を


以上のような歌詞が展開される。


唄っている八代亜紀ねーさんが、明るい顔で唄っているのが若干気に入らないが。ま、金持ちになったねーさんである。仕方ない。これを美空ひばりねーさんのように、涙をほろりと流して唄ってくれたら、もうボキはたまらんだろう。

こういうのが、演歌の真髄であるということなのだ。つまり、叙情がある。しかもふんわりとしている。涙、涙、涙というわけではない。しつこくない。これが良いのだ。それに和歌のような技巧を凝らしているわけでもない。古今とか新古今のような技巧である。

ふんわりとした叙情である。

こういうのは、我々日本人特有のものなのではないのか。ふんわりとしているからだ。相手を思いやる心情もある。あなただけを想っているという縛りもない。あなただけでないと、死んじゃうからという束縛もない。行く先は相手に任せている。心情を優先させていて、理屈っぽくない。

あぶったイカで美味い日本酒をちびりちびり呑む。

舞台は海岸近くがいい。

潮騒の音を聞きながら、ちびりちびりと呑む。

・・・・・・・なんだか時間が止まって見えるようだ。

こういうのが、日本人の信仰にも宗教にもあてはまるのではないのか。しじじみ信心というか、こだわらないというか、クリスマスも、除夜の鐘も、初詣にも行くような我々日本人である。神仏混淆というのが、まさにぴたりと当てはまるではないか。

西洋宗教の方々から見れば、いい加減この上ないだろう。ホントに信仰心を持っているのかと言われたら、即答はできないからだ。

精神史という観点から、駄文を書いている。こんな視点も良いと思っている。タノシイし。



12:56であるけど、さっきまで図書館でB6情報カードをとりながら、読書していたのである。

それで、そんなふうに思ったのだ。

午後からスパにでも行くか。もうMetsで9000歩は達成したし。

明日は、また千葉市でバイトであるから。

(^0^)


BYE-BYE!



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くしゃみが激しかったので、医院に行っていた。そしたら、ある方にボランティアのことで呼び出された(^0^)

2019年02月27日 07時08分10秒 | とーま君の流儀2019

今年のくしゃみはすごい。お目々もかゆい。(*_*) マイッタ。ドクターのところに行こうとなった。で、花粉症であった。近年は、花粉症くらいで医院まで行くことがなかったが、今年は素直にドクターの世話に。

たくさんお薬をいただいた。仕方なし。

それで歩いて医院に行ったから、またまた歩いて家に帰った。わざわざ遠回りである。ちょっと小雨が降っていたがかまわず歩いた。歩数を稼ぐためである。

で、家に帰った。昨日は千葉市のアルバイトがないから、昼食をいただける。ありがたいことである。

そしたら、電話がかかってきたからすぐ返事の電話をして・・・と家人がのたもうた。

いつも生涯学習でお世話になっている役所の方からだった。午後に会いたいと言われる。別に悪いことをした覚えはない。だから、こっちから出かけますと申し上げた。ボキの家のような、茅屋、貧乏人が住んでいる家にお役人様が来たら、失礼というものである。ボキとは違って、あちら様は現役の仕事人だから、こっちから出かけるのが筋だろうと思ったからでもある。

午後に行った。ボランティアをやって欲しいということであった。困っているのだろうから・・・と引き受けた。困っている方からの頼まれごとは引き受けるというのが、ボキのポリシーであるから。ただし、借金の申し込みはお断り。無一文だからだ。

引き受けたので、ありがとうと言われた。

これでよし、これで。

しかし、他の方々のメンバー表をいただいたが、そこに職業欄があった。

(*_*) マイッタ。

偉そうな方々がたくさんいる。事実偉いんだろうけど。***家とか書いてあった。さらに、ボキには職業がない。あったとしたら、無職かアルバイターだ(^0^)。

それにボキは無学である。そのことも正直に申し上げた。某大学大学院中退である。無学ですが・・・ということである。それでも良いというので、引き受けた。

こんなボキでもボランティアができるのである。

ありがたいかぎりである。

全県単位の仕事をしていたから、地元との関わりが少なかったからである。居住地のみで仕事をしていたわけではなかったからだ。

もう半世紀近く居住地に住んでいるから、恩返しである。

尾畠春夫さんがふと思い浮かんだ。

これで良し、これで良しである。

一期一会。

明るく、元気で、精一杯やらせていただく。

ボランティアをである。


今日も図書館に行く。

原稿を書かなくちゃアカン。

研究誌の編集会議が3月にあるからだ。

タノシイ、タノシイ。


(^o^)/~~~

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2月26日(火)のつぶやき

2019年02月27日 06時38分23秒 | とーま君の流儀2019
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定年前の3倍働こうと思っているのである。たこつぼに入らないで。

2019年02月26日 07時57分03秒 | とーま君の流儀2019

***の精神史という視点で本を読んでいると、タノシイ。ボキがやってきたことはこういうことであったのかと感じるからである。純粋な歴史分野ではない。歴史分野にはそれ専門の方々がたくさんいる。学芸員然り、郷土史家然りである。ボキの知人たちにもいる。そういう方々は、ボキのような出来の悪い人間にも指導してくださるから、実にありがたい。

精神史というのは、intellectual history というのだそうである。一口に「思想」とはくくれない知の営みの歴史を扱うにいたり、登場してきたらしい。ま、専門的にはいろいろあるのだろう。しかし、今のボキにはそんな難しいことはわからない。

ボキは仏教についてもよくわからないし、歴史分野についても同様である。なんでもシロウトなのだ。能力がなかったから、こういういい加減なジジイになっちまった。

しかし、悔いはない。これから専門家になろうとしても遅い。時間がない。ただし、追求はできる。自分の好きな分野である。それに、修行もしていない。仏教への、あるいはインドへの憧れは今でもあるが、これもまたシロウトである。さらに、中国敦煌との比較である。これもまた憧れだけが先行している。ガンジス河にも、敦煌にも行っていない。だからまだまだやることがあるのだ。そして、だからこそ遊んでいるわけにはいかないのである。

遊んでいたら、ボキ、後悔するだろうから。死ぬときに。やりたいことは、やって死にたいからである。その視点には他人を指導するというのがないのだ。指導されたいというのはあるが。

そしてそれぞれの専門家とお会いすることによって、刺激される。まだまだやることがたくさんあるぜぇ!って思わされるからだ。ありがたいことだ。実にありがたい。

バイトをやっていてもそうだ。6つもやらせていただいている。4月からは二つ減る予定であるけど。それぞれのスケジュールが違っているからできるのだが、それぞれの関係者がたくさんおられる。これが勉強になるのだ。

バイトというと一つしかやらないのが普通であろう。定年後の役割を一つに絞っている方々も多い。むろん、一つもやっていない方も知っている。完全隠居である。これもこれで結構なご身分である。

そこで、ボキである。

***の精神史という考え方にあるから、定年前の3倍働こうと思っているのである。たこつぼに入らないで、それこそたこつぼを渡り歩こうと思っているのである。次から次へと。

どうせ暇だからできるのだが。

それに健康だからできるのだ。

暴飲暴食もしないし。

ギャンブルもやらない。

アルコールと香水が大嫌いだし。

要するに、危険な場所には近寄らないのだよ。

わはははっはあっはははっははははっはははっはあっはははっはははは。


今日も暇だなぁ。バイト先で行事があって、雨だったら出かけることになっていたが、曇りあるいは晴れだそうだから行かない。図書館でも行くか。歩いて。スパでもいいやなぁ。暇だから。


(^o^)/~~~

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2月25日(月)のつぶやき その1

2019年02月26日 06時38分47秒 | とーま君の流儀2019
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歌のレベル。演歌とクラシック。どっちが王道なのか(^0^)

2019年02月25日 08時01分50秒 | とーま君の流儀2019

演歌を聴くことは下品な趣味か。クラシックこそが、音楽の王道か。学校の音楽の授業で演歌をやらないのは、なぜか。

そんなことを考えていた。昨日のことである。

ボキは、演歌大好きである。カラオケも演歌専門。なぜか。好きだからだ(^0^)。

なぜ好きなのか。

それは悲哀があるからだ。悲しみがある。たとえば美空ひばり。「悲しい酒」なんか実にすばらしい。歌詞が良い。「川の流れのように」も良い。八代亜紀の「雨の慕情」も良い。テレサテンも良い。「空港」が好きだ。

しかし、現代の音楽はよくわからない。若い人たちが聞いている音楽は、テンポが激しいだけで叙情がない。というと、若い人たちに叱られてしまうが(^0^)。

若い人たちに事件が多いのは、叙情を喪ったからではないのか。機械的な、まるでコンピュータが作ったような歌が多いと感じるからだ。リズムが激しい。ダンスに使ってみれば、わかる。演歌は、ダンスには使えないだろうし、そういうもんだろう。集団で踊るのならば、演歌はちょっと無理だろう。

昨夜、実川楓という新進気鋭のプロピアニストのショパンをYoutubeで聴いていた。同じショパンの長時間の曲も聴いていた。そして、コンピュータでやった曲と、実際に生きている人間が弾いた曲では違っていると感じたのである。よくわかっていないのだけれども、実川楓氏の方は九十九里浜の文化会館でちょっとだけ聴いたことがあったからである。氏は、ボキの居住地の出身であるからそういうチャンスに恵まれたのだ。

叙情を喪ったということでは、和歌の世界もそうだ。そもそもが、我々の先祖は(古代人)は、もっと乾いた感性の持ち主たちではなかったのかと思っているからである。

それが万葉はともかくとして、古今、新古今で流れが変わった。別にこの和歌集たちを高く評価しているわけではない。古今、新古今はともかく上から目線である。貴族たちが集まって、和歌を集めて、評価し、会合を持って、編集をしていたのだ。それが流れを変えた。

西行が評価されるのは、そういう流れと違っていたからである。尊い血筋ではなかったからだ。貴族のくだらない恋愛なんぞ、いくら技巧を凝らしてもおもしろくもなんともない。

しかし、そんなこと、どうでも良いような話である。

一介の庶民であるボキのようなルンペンプロレタリアが言うような話ではない。

わははっははははっははははっははっははははっはははっはははっははは。


なにしろ、そういうことである。そういうこと。

無学なんだから黙っていれば良いだけの話だ。


(^o^)/~~~


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2月24日(日)のつぶやき

2019年02月25日 06時45分57秒 | とーま君の流儀2019
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20190204 スーパーボランティア 尾畠さん 5

2019年02月24日 16時15分44秒 | 尾畠春夫氏

20190204 スーパーボランティア 尾畠さん 5

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20190218 スーパーボランティア 尾畠さん(とびっきり!しずおか 拡大版)

2019年02月24日 08時47分24秒 | 尾畠春夫氏

20190218 スーパーボランティア 尾畠さん(とびっきり!しずおか 拡大版)

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貯金ゼロ、低年金、スーパーボランティア尾畠春夫さんの驚く生活!

2019年02月24日 08時25分56秒 | 尾畠春夫氏

貯金ゼロ、低年金、スーパーボランティア尾畠春夫さんの驚く生活!

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不善をやっていないだけ良いか。本質は悪行三昧の低レベルジジイでありますが(^0^)

2019年02月24日 08時18分36秒 | とーま君の流儀2019

ボキには多くの生涯学習の先達がいる。勉強法も含めていろいろと教えていただいた。感謝である。

3番目に入学した大学院でのクラスメイトがそうである。この方、なんと5つの大学院に行った。とてもじゃないが、かなわない方である。銀行員で大活躍しておられる。同じクラスメイトに同年の関西在住の方もいる。京都の龍谷大学で学会発表があったときに、会った。ボキがつたない発表をやったから心配で応援に来てくださったのだ。ありがたいことである。

4番目に入学した某大学大学院は中退せざるを得なくなったが・・・トホホ。

全部ゼニの無駄遣いだったとは思っていない。たとえ自己満足だと言われても、ボキにはそれなりに得たものがたくさんあったからだ。ま、最終学歴が中退ではかっこうが悪いけどしょうがない(^0^)。

しかし、そんなもんどうした?である。学歴なんか、履歴書を書くときに役立つだけである。ジジイのボキにはそれだけのもんでしかない。この間、千葉市で6番目のバイトを受験したときに、面接の若い方がおもしろがっていたけど。こんなに大学行ったのですかと言っていた。そりゃそうだろう。たいていは大学なんて一つであろうから。そして入った大学でその人の能力を見ようとするからだ。

そんなもんでヒトを評価するなんてぇことは、そもそも間違っている。だったら、国立大学に入ったら秀才だというのか?という疑問点が未だにあるからだ。旧制帝大なら、優秀だとは思うが。

だから簡単に他人を評価しちゃいけねぇのだ。

ボキのように、無学・大愚・無一文を掲げて生きているジジイをどう評価するのかってぇ問題になったらどうするんかねぇ。

わははっはははっはははっはははっははあははっはははっはははは。

そりゃ評価する方の力量を問われるってぇもんだよん。

だったら関わらないことだ。

評価とかそんなもんに。

もっとも、退職して仕事に関わっていないからこんな気楽なことを打鍵できるのだろうけど。6つあるバイトは、所詮バイトだしねぇ。

昨日も、6つ目のバイトで会う方と電話で打ち合わせをしていた。詳しいことは書けない。

しかし、やらせていただく以上、真剣にやる。当たり前である。バイトだから、有償である。ボランティアではないからだ。

そもそも、ボキはボランティアができるような立派な人間ではない。その点で尾畠春夫さんをとてつもなく尊敬しているのだが。なかなかできることではない。

尾畠春夫さんの動向を伝える動画は、全部録画して保存してある。拙ブログにも彼の個人名を記したカテゴリーを作ってある。メモもしてある。参っているのだ。あのさわやかな生き方にである。

これこぞ、先達である。

生涯学習もそうだし、人生の過ごし方という意味である。

まことに現代の歩き聖である。


昨日、名刺を作った。自家製のである(^0^)。

退職してからは、自家製ばかり。

その名刺に、空也の写真を使った。

そんなことばかりやっている。


今日も暇だなぁ。歩いているしかない。風呂を修理するので、風呂を見にいくけど。展示場まで歩いて。

ま、不善をやっていないだけ良いか。


(^o^)/~~~

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/