都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
受賞者に贈られるオスカー像はすべて高さ34㎝、重さ約3kg。スズと銅で作られ、表面に金メッキが塗られています。
ただし第2次世界大戦中に限っては金属節約のため、石膏で作られました。デザインは、十字軍の剣を持った裸の男性が、フィルムのリールの上に立っているというもの。これはMGMの美術監督だったセドリック・ギボンズが、賞の制定会議の時にスケッチを描いてデザインして生まれました。
「オスカー」という名称が登場する最も古い記録は、1934年の第6回授賞式の報道だそうです。
呼称の由来については諸説あるが、どれも明確な根拠がなく現在もはっきりとしていなません。
由来については下記の3つが最も有力とされる。
■オスカーおじさん説
1931年当時、アカデミー賞事務局のマーガレット・ヘリック局員が事務局に届いた像を見て、『あらこれって、私のオスカーおじさんにそっくり!』と言ったことが広まったという説。
その後、1934年に行われた第6回授賞式でウォルト・ディズニーが「オスカーを手にできて嬉しい」とスピーチし、その名が一般的になったそうです。ちなみに実際は、ヘリックの血筋にはオスカーという名の人物はいなかったとか…。
オスカーという呼称は下記のスコルスキー説より以前からあったという説も根強く、その代表的なエピソードとされる。
■スコルスキー説
第6回授賞式でオスカーの名を初めて文字に残したジャーナリストのシドニー・スコルスキー自身が考えたという説。彼が書いた「オスカー君はヘップバーン(キャサリン・ヘップバーン)へ」と書いた記事が最古とされる。
このオスカーの語源について、スコルスキーは、自身が大好きだったとある大衆舞台劇で、キャストが劇中、舞台下でバンドを指揮して劇の音楽を生演奏している指揮者オスカーに向かって「おい、ところで葉巻でもやるか?オスカー」と突然話しかけ曲を脱線させて笑いをとるネタから名前を取ったという。
なぜオスカーなのかという理由についてスコルスキーは、「かねてアカデミー賞のお高くとまった印象を快く思っていなかったので、せめて人間らしい印象で扱ってやろうと思った」と述懐。
しかしこれはディズニーが言ったとされる同じ授賞式なので信憑性は薄い。
■ベティ・デイヴィス説
女優のベティ・デイヴィスが1935年、「青春の抗議」で初の主演女優賞を受賞した際、客席にいた夫(当時)のハモン・オスカー・ネルソンに向かって、「オスカー、やったわよ!」と叫んだことから広まったという説。
あるいはトロフィーの後ろ姿が、夫のハモン・オスカー・ネルソンの後ろ姿にそっくりなことについて仲間内と談笑したことに端を発し、やがて業界の隠語として広まったものが一般化したという説。
1933年の新聞などに既にオスカーの名称が登場していることから、現在では最も信憑性は薄い。
■ この話は縁起物の企画の中で演技物の洒落で、考えましたが、みなさん真剣に読んでくださっていたので、掲載しそびれました。
したっけ。