東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

Mal Waldron at Hiroshima 1999

2015年08月08日 | 日記

 16年前の1999年8月6日。平和祈念式で秋葉広島市長は、被曝者が残した大きな足跡として、①地獄の惨苦をや絶望を乗り越えて、人間でありつづけた事実。②核兵器の使用を阻止したこと。③戦争の過ちを一身に背負って未来を見据え、人類全体の公正と信義に依拠する道(憲法前文)を選んだことをあげた。意志さえあれば、核兵器廃絶の道は開ける。被曝者の強い意志を若い世代に持ってもらいたいと平和宣言を結んだ。
 その夜、灯籠流しの川辺にグランドピアノを出して、ジャズピアニストのマル・ウォルドロンが、自身の作曲したヒロシマ鎮魂の曲を演奏した。静かに、時に激しく川辺に流れる曲は、そのまま原爆で亡くなり、元安川に流れた屍へのレクイエムだった。演奏後、マルに平和祈念式のパンフレットにサインをお願いしたところ快く応じてくれた。そこには、日本の文字で「平和と愛」丸三、と書かれていた。あの時の演奏の記憶と核廃絶の意志とともに、今も私の宝物である。
 そして、ナガサキ原爆忌の1999年8月9日、国旗・国歌法が国会で成立した。