今から10年前、1996年9月26日に、日本のフライフィッシングの先駆者である芦沢一洋さんが亡くなった。
岩手の渓流シーズン終盤の慌しさの中でこの事について書く機会を逸していた。面目次第もない。
実は、僕がフライフィッシングを始めたきっかけは、芦沢さんと出会ってからのことだった。その詳細については、後ほどとするが・・・・、まさに芦沢さんは僕のフライフィッシングの師であり、野遊びの先駆者として憧れの人だった。
その芦沢さんが亡くなって5年目の秋に、当時のラジオ番組「イーハトーヴ釣具店」のプロローグにこんな詩を書いていた。
霧の遠野郷
遠野の森に霧が降る。
森を隠し、川を包み、深く白い霧が降る。
せせらぎの畔に、今は人影もなく、
白い風景の中を生活の物音だけが遠く響く。
変わりゆく山里の風景を隠すように、
白い闇は深まるばかり。
もしもここにあの人がいたなら、何というのだろう。
釣りの季節が終わろうとしていた九月
その人は突然に彼岸へと旅立った。
釣り師であり、作家であり、
何よりも本物の紳士であった。
謙虚な心で自然と向き合い、
強靭な心で新しい道を開き、
その人は、理想の原野を求め続けた。
釣りの心を教えてくれたその人が、
彼方に去って、もう五年が経った。
穏やかな笑顔だった。
逞しい精神だった。
美しい釣り師だった。
そして、誰よりも遠野の川を愛していた。
その人は、芦澤一洋。
釣りの美学に生きた人。
貴方の面影を宿す遠野の川に、
今日も静かに深く、霧が降る。
(2001年9月)
岩手の渓流シーズン終盤の慌しさの中でこの事について書く機会を逸していた。面目次第もない。
実は、僕がフライフィッシングを始めたきっかけは、芦沢さんと出会ってからのことだった。その詳細については、後ほどとするが・・・・、まさに芦沢さんは僕のフライフィッシングの師であり、野遊びの先駆者として憧れの人だった。
その芦沢さんが亡くなって5年目の秋に、当時のラジオ番組「イーハトーヴ釣具店」のプロローグにこんな詩を書いていた。
霧の遠野郷
遠野の森に霧が降る。
森を隠し、川を包み、深く白い霧が降る。
せせらぎの畔に、今は人影もなく、
白い風景の中を生活の物音だけが遠く響く。
変わりゆく山里の風景を隠すように、
白い闇は深まるばかり。
もしもここにあの人がいたなら、何というのだろう。
釣りの季節が終わろうとしていた九月
その人は突然に彼岸へと旅立った。
釣り師であり、作家であり、
何よりも本物の紳士であった。
謙虚な心で自然と向き合い、
強靭な心で新しい道を開き、
その人は、理想の原野を求め続けた。
釣りの心を教えてくれたその人が、
彼方に去って、もう五年が経った。
穏やかな笑顔だった。
逞しい精神だった。
美しい釣り師だった。
そして、誰よりも遠野の川を愛していた。
その人は、芦澤一洋。
釣りの美学に生きた人。
貴方の面影を宿す遠野の川に、
今日も静かに深く、霧が降る。
(2001年9月)
貴重な情報をありがとう。
そうかぁ~・・・大変な事になってるようだね。
あっつ君のお身内は大丈夫でしたか?
岩手日報の記事と写真を見たとき、
まさか!?と驚いた。
本当に酷い事になっているんだね。
心よりお見舞いを申し上げます。
取り急ぎ、コメントの御礼を申し上げます。