イーハトーブ岩手の水ブログ

岩手の渓流や三陸の海、みちのく奥州の自然にまつわる出来事や話題を伝えます。更にFM岩手「水のラジオ」の情報も掲載。

友・万渓巌と閉伊川、岩泉を釣る

2006年06月05日 | 釣り師の独り言
友人・万渓巌こと大石哲也氏が、今年初めて岩手に来た。
ここ1・2年の間に彼が営む会社は更に大きくなり、代表である彼もより以上に多忙を極めている。特に、昨年は成長企業ならではのトラブルにも悩まされたようで、そのストレスは相当なものだったろう。
そんな彼が、超多忙なスケジュールを裂いて岩手に来るということで、僕も入念に釣行プランを模索した。が・・・結論は「やっぱり岩泉」だった。

3週間前に岩泉に行った時には、大川も大増水で川にも入れなかった。
その後岩手LAの大泉君に情報を求めたところ、彼が大川に出掛ける度に細かく丁寧な情報を送ってくれていた。
釣行2日前には「大川も平水になりましたよ」と大泉君から携帯メールが届いていた。それならば「やっぱり岩泉」だろう。と決まった。

金曜日の夜に盛岡駅に到着した大石氏の懐かしい笑顔が少しやせて見えた。
話したいことは山ほどあったが、それは釣りの旅路に仕舞い込み、
馴染みの店に直行した。
柴田君が合流した後は、なんだかんだと話に花が咲き気が付けば午前2時。
土日が仕事で一緒に釣りに行けない事を悔しがる柴田君を夜の街に残し、僕らは翌日に備え宿に帰った。

初日の朝は、午前9時盛岡発。国道106号を閉伊川沿いに走り、刈屋川経由で大川へ向かうルートを選んだ。
青い空と深い緑を見上げ、彼は「やっと帰ってきたよ」とつぶやいた。

一週間前に不発だった川井駅前の閉伊川を狙っていた。
水量も水色も抜群だった。水中でギラギラと魚が光っていた。
・・・がしかし、出ない。・・・アタックはあっても針に乗らない。
その場を諦めた後、刈屋川を覗いたがここもイマイチ。
そろそろ昼飯にしようと、近くの蕎麦屋に入った。
ところが、民家のような作りのこの店は、靴を脱がなければ上がれない。
ウェーダースタイルの僕らは、はたと困ったが、
入り口の左を見るとそこは「縁側」になっている。
ずうずうしくも僕らはその縁側でしばし小宴会に興じた。

国道340号を走り大川・七滝に着いたのは午後3時過ぎ。
大川に来るたびに入るポイントだが、反応イマイチ。
せっかくの釣行で「イマイチ」の連発では僕の面目は丸潰れ。
そこで時間はちょいと早いが、小本川のライズPへと移動。
ここが「ビンゴ!」
上流と下流に分かれ、二人で日が蔭るまでそこそこに釣り、
ハッチの時間になると激しいライズP一箇所で二人交代で釣った。
「やっぱり岩泉は裏切らない」と彼は破顔一笑。

泊りは「ふれあいらんど岩泉」の10人用ロッジをたった二人で貸しきり、
バーベキューと岩泉名物ホルモン鍋で、またしても痛飲した。
久々の釣り旅の夜は、二人それぞれの語りつくせない物語に聞き入る夜になった。

翌日の朝、ロッジを出てすぐの橋から小本川本流を覗いてみた。
なんと広い川のあちこちでライズしている。
ライズを見過ごす事は作法に反するという事で、とりあえず川に降り立った。
広い川幅の下流域ではあるが、流芯でも流れは浅くライズには届きそうだった。
しかしこのライズがなかなか取れない。
ようやくヒットしても掛かりが浅くすぐにばらした。彼も同様のようだった。
その後は、小本川本流を何箇所か釣りあがり、大川へと移動した。
七滝脇でダイニングを広げて昼食にしたが、メニューは昨夜の残りのホルモン鍋と岩泉地鶏卵の目玉焼き&ソーセージ。東京の旦那は、更に焼酎ロック。
特にこの岩泉地鶏卵は絶品で、彼は塩も振らずに目玉焼きを食らう。
2年前に9月の安家川では、一晩で二人で1パック10個の卵を平らげた。
それほどに新鮮で美味い。しかし・・・食い過ぎは身体に悪そうだ。

午後6時頃の新幹線で東京に帰るという事で、締めくくりは大川釜津田界隈を目指した。その道の途中で事前に大川情報を送ってくれた岩手LAの大泉君と高橋功徳君に会った。
調子を尋ねると「イマイチ」だという。釜津田方面に移動することを告げて例の場所を目指した。
魚の出は渋かったが、相変わらず美しい渓相に彼もため息をついた。
大川の水は本当に透明で美しい。この場所に来るたびにそう感じる。

午後4時納竿。一路盛岡を目指し、道々次回の釣行の話になるが、どうも9月までは一緒に岩手では釣りが出来そうにない。
どうせなら夏に白神水系にでも行ってみようか・・・などと思案した。
美しい水の流れを求めるなら、久々の白神遠征も悪くない。

盛岡駅で大石氏を見送った後、言いようの無い寂寞感に落ちた。
さっきまで二人で歩いた川の旅が、遠い出来事のように感じた。
こうして僕達は、旅を重ね時間を積み上げてここに居るんだと思う。
平成元年の出会いから、一緒に釣り歩きはじめて17年。
僕は今月で49歳になり、彼は来月で51歳の誕生日を迎える。

いつか三月の気仙川で彼はつぶやいた。
「これから何回、僕達はこの川の解禁を迎えるんだろう」
数えることを忘れるまで、何回でもつきあうよ。