ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

太融寺 Ⅱ

2011-02-14 05:00:00 | 大阪にて
こちらは太融寺の南門、本堂の正面にあたります。本堂の正面の門から出入りする人が少なく、西門からの出入りが多いのは、西門は扇町通りから昨日の">弘法大師生誕1200年記念、太融寺と大書きされた碑があって判り易いのと、南門の前はラブホテル街になっているからだろうと思います。

             

ということで、私はラブホテルの前に立って写真を撮っていることになります。

このお寺の本尊は千手観世音菩薩で平安時代の作ですが、大阪市の指定文化財にしかなっていません。平安時代のものが幾多の戦禍にも耐えて残っているのであれば、国がなんとか保護をしてやらねばと思ったりもするのです。

          

太融寺の俯瞰図、所狭しと像や堂が建っていますが、大きなビルの建ち並ぶ大阪のど真ん中ですから、致し方ないのかも知れません。元来はもっと敷地が広大だったものだと思います。

             

淀殿の墓の近くに話を戻します。お地蔵さんや石塔が並んでいるだけで別段取り立てるほどのこともない写真ですが・・・

                  

石塔に立てかけてある板の塔婆に書かれた文字、梵字は読めませんが、その下はなんと我が社のとあるビル内の霊に関することが記されています。“・・・局地内に鎮まる各霊増進佛果”まで読めますが、どういうことなのか難解です。

                 

淀殿の墓の南隣に水子地蔵尊があります。この写真の左端に水子供養のとあって、永々と詩が詠まれているのですが、あまり興味がないので載せないでおきます。

                  

西門から入って左を見ると真っ先に飛び込んでくる像がこの観音像、ぼけ封じ三十三観音第7番札所とありますから、ぼけ封じの観音さんが33ヶ所あるのでしょう。調べてみると滋賀県以西の西日本各地にありました。なんと、皆が真言宗のお寺です。別格と番外があって全部で35のぼけ封じの観音さんがおられるわけですね。

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太融寺

2011-02-10 05:00:00 | 大阪にて
50歳の年の4月に北区の曽根崎ビルに配属され、その年の11月に名古屋へと配転になるまで7ヶ月と少しの間、この界隈をウロウロしていました。ウロウロとは仕事が終わってからのことですよ。仕事は主に此花区方面へと車で行かせて貰っていましたが、今は車などとんでもありません。

                  

近くにはこの太融寺がありましたが、当時はお寺など見向きもしませんでした。お寺の名前が町の名前になっているほどですから、さぞかし有名なお寺なのだと思いますが、“たいゆうじ”と打っても“太融寺”とは変換されません。因みに“たいゆうじちょう”と打てばちゃんと変換されます。

             

一度訪ねてみたいと思ってるうちに時間はどんどんと経ってゆくものです。わざわざ時間を割かないと一日の流れに沿っておれば、なかなか行くことがない。

行ってみれば新しい発見もあるもの、『なにわ七幸めぐり』など全く知らなかったです。この中の四条畷神社だけが大阪市内にはありません。後は皆市内にあるのですが、大念仏寺には行ったことがありません。

これで又いつか『なにわ七幸めぐり』と題して、記事が書けそうです。


             

こちらが西門、訪れる人は大概がこの門から入ることになるでしょう。

門の右にはこのお寺にゆかりの深い源融公の碑がありました。深い所縁とは、821年に嵯峨天皇の勅願で弘法大師がこの地に創建、天皇の皇子である左大臣源融公が七堂伽藍を建立したそうです。

             

この太融寺に淀君の墓があるというのは知っていました。淀君は今年の大河ドラマ『江』、浅井三姉妹の一番上のお姉さんですね。最近の大河ドラマ、竜馬も江もあまり興味がありません。

境内には『淀殿の墓』として矢印で示されていました。

             

でも墓があるのは境内の北西角、片隅に追いやられています。

元々は城東の鴫野の地にあったのを明治政府の富国強兵策により(城東に練兵場を作った)この寺に移設させられました。

                  

片隅に置かれてなければなかなか立派な塔です。元は九輪の塔だったそうで、戦災により六輪に減っています。道理で上に載ってる石はどこかヘンですよね。

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フィッシングショー2011

2011-02-09 05:00:00 | 大阪にて
先週の土日、大阪南港のインテックス大阪でフィッシングショーが開催されたので、6日の日曜日に行ってきました。

そろそろ今シーズンのグレも終盤を迎え、今度の3連休を逃すと私には釣行するチャンスはありません。10日に年休を取って12日のソフトボールに間に合うように帰ってこようとは思っているのですが、昨日から再び寒くなってきたし、11日は雨の予報も出ています。

             

何とかフィッシングショーにでも行ってモチベーションを高めようと努力をしているのですが、天候には勝てません。

インテックス大阪のあるニュートラムの中ふ頭駅に降りると、人もまばらで寂しさを感じ、これも不況の影響かと思い、この先どうなるのやらと思ったりしていました。

             

でもフィッシングショーが開催される6号館まで来ると、結構人が集まっています。釣りをするとは思えないような人もチラホラ見受けられますが、盛況なのは結構なことです。

どうやら車で来ている人が多かったようですが、私は地下鉄の定期をピタパに変えたので、中ふ頭駅まではタダで来れるのです。これもECO、でも実は車で来ると昼食時に飲めないというのがホンネでしょうね。

                  

私がフィッシングショーに初めて来た頃は、いろんなパンフレットやシールや試供品などを配ってくれていたのですが、今は殆んどが有料です。今や新しい商品など欲しくもないし、お金を払ってまでパンフを詠みたいとは思いません。タダの物なら頂くのですがね。

でもこの釣研のパンフレットは300円出して買いました。パンフを買うとウキ付きのキーホルダーが貰えるから、セコイけどキーホルダーを買っても300円は下りませんから、きっと得なのです。

             

このパンフは無料だったので貰いましたよ。スズキの生態や釣法など詳しく書かれています。

このケミホタルのメーカーは、折りたたみ式の小屋や無害の練炭なども陳列していて、結構欲しいなと思うものがありました。

                  

このハンドブックは釣研のパンフに付いていたのですが、最初に貰った頃はA6サイズだったように覚えているのですが、今回はB4サイズです。ハンドブックという割には大きい、でも釣研のこの手のものってなかなか面白いのですよ。今回は全遊動仕掛けについて詳しく書かれていて、自社の宣伝を除けば十分勉強になります。

乗せてるキーホルダーも何処かのブースで貰ったもの、何のメーカーだったのかも覚えていませんが、きれいなお姉ちゃんがくれたのは覚えています。

             

昼少し前にニューミュンヘンで昼食をとって、勿論ビールも飲んで、午後は3号館の即売会場へと足を運びました。

三男が釣具屋でアルバイトをしているので、買うものも無いかと思っていたのですが、このダイワの撒き餌杓と釣研の撒き餌ブレンダーを夫々1050円と1000円で買いました。

撒き餌杓など3000円台はざら、5000円以上するものも出回っていて、アホかと思ってしまいますが、まぁ1000円程度なら私でも出費できます。

釣研の撒き餌ブレンダーは、近くの釣具屋で見ると4000円近くしていました。

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熊野神社 Ⅱ

2011-02-08 05:00:00 | 大阪にて
梅の花が咲いているのかと見に来ただけなのに、話は長々と続きます。これってネタが無いってことの裏返しですね。

骨折から復帰した当時、確かこの辺りを歩いていると、九州に配転になったS藤君から電話がかかってきたことを思い出します。もう4年も前のことですが、彼は未だに九州へ行ったきり、お子さんも小さいのに単身赴任の生活を長々と続けさせられています。

             

この梅の枝振り面白い、枝が皆天へと伸びています。火が燃えているような感じです。同じ境内の梅でも昨日の梅は枝垂れてました。

             

この梅の根元にこの碑、尼崎市が寄贈しています。公の最たる市が民の一部である神社に対して(困っているわけでもないのに)、たかが梅の木一本といえどもお金をつぎ込むなどということがあっていいものか。

             

史跡と彫られた碑、『難波の梅保』の下は葉っぱをどけてみると『存』でしたが、その下が土に埋まっていて判りません。史跡とは国あるいは地方公共団体が歴史上・学術上必要と認められたものを保護するために設けたもの、そういうところには『○×指定重要文化財』とかの件があって、説明されています。どうもこの史跡という字は勝手に彫ったものと思えるのですが、勝手に彫ったらアカンのかと言われても応えようがありません。

                  

まぁ尼崎市がこの神社を史跡と決めたのなら、税金を使って保護するのは吝かではありません。でも歴史・学術上どのように必要なのか、いくらなんでも「仁徳天皇が行幸したから」などと言うなら、歴史上の確認は取れませんから史跡としての要件を満たしているとはいえません。

             

赤い鳥居が建ち並ぶお稲荷さん、でもこの鳥居の正面に祠はありませんでした。

             

社殿の裏の方へも境内は続いていて、「通り抜け禁止」との貼紙があるのですが、行ってしまえば通り抜けてしまうではありませんか。

こうやって何らかの顕彰碑も設けてあるのですから、人に見てもらいたいのだと思うのです。

             

北の端に大山咋命を祀った祠があります。スサノオの孫とのことですが、私は全く知りません。

ここを越えると通り抜けてしまいます。仕方が無いので引き返しましたが、無体なことを言う神社です。

                  

神木がこんなところにありました。正面から見ると社の裏にあるのは判ってたのですが・・・こんな所に車を停めんといて欲しいなぁ。人にも「通り抜け禁止」の規制がかかっているのですから。

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熊野神社

2011-02-07 05:00:00 | 大阪にて
先週末から暖かくなりましたね。もうこのまま寒さが戻ってこなければいいのにと思っています。

先月末に出屋敷で梅が咲いていたのを紹介しました。今仕事は東難波町という街を廻ってますが、確か骨折して退院した後、梅の木が沢山あった神社がこの近くにあるのを思い出したので行ってみることにしました。

道はちゃんと覚えていましたが、神社の名前は忘れてしまっていましたね。

             

道沿いの梅の木は全く咲く気配がありません。前に来たのは何月やったんやろと思ったりもしますが、覚えているわけがありません。でもこうやってブログを綴っていると、いつだったか記録に残ってるんですね。記事は2007年の2月6日付、もう少し前に訪れているはずですから、同じような日に行ったのでしょう。

                  

そうか、熊野神社だったのか、同じ名前の神社をいくつか訪れています。熊野信仰って根深いんですね。

             

先月紹介した難波八幡神社では仁徳天皇のことが記されていましたが、そこから目と鼻の先のこの神社にも仁徳天皇が応神天皇と共にこの地に行幸し、梅を見て歌を詠んだとか説明がありました。

                  

でもこの神社に植わっている梅はそんなに古い木ではありませんよ。

4年前の今頃はちらほらと花が咲いていました。でも今年は全く咲いていません。やはり寒かったからなのか、でも私は物凄く寒いとは思っていません。

              

やっとのことで、一つ咲いているのを発見。でももう蕾も膨らんできています。このところの暖かさで今日辺りは咲いているかも知れません。

                  

よくよく探すと、足元に一枝花を咲かせている木がありました。こんな風に写すと梅の花ってクラゲみたいですね。

             

白梅の花もひとつ見つけました。先週の金曜日、咲いていたのはこれだけでした。

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90円時代

2011-02-04 05:00:00 | 大阪にて
ここはJR尼崎駅の西側、新しく線路の下を潜る道路を造っている現場です。道路造りのための区画があるのですが、区画いっぱいに道路を造るのではなくて、西側の土地は余ってているので駐車場や新たな工場が建っているようです。

             

新しく出来ている駐車場ですが、1日最大料金は400円です。ここは尼崎の駅にも近く立地条件としては、あの300円から700円まで値上げした、駅から普通に歩いて15分もかかる駐車場とは大違い、便利も良いのです。そのせいか、朝私が通る7時過ぎにはいつも満車になっています。

                  

ただ車は20台ぐらいしか停めるスペースがありません。

その駐車場に設置されている自動販売機、500mlの飲料が全て90円です。今までONE DOWNとかTWO DOWNとかって書いてある自販機を見かけましたが、メーカーの名を見ても聞いたことがない500mlの飲料は100円でした。ここは某有名メーカーの物でも90円です。


             

私が駅と会社の往復に歩いている道間にある工場でも90円の自販機を設置していますが、それは工場が従業員のための福利厚生のために料金設定を下げているものだと思っていました。私の職場では150円のものは130円で売っています。会社は社員に売って、それだけ利益を得ているのですね。小さな工場でもこうやって社員の福利厚生に努力しているのに、それから比べると我が社は何と情けないことではありませんか。


             

さて工事現場、垣間見れるところは僅かですが、覗いてみるともうコンクリートの道が出来ています。いつの間に?という感は否めません。つい一月ほど前まで土を掘っていたのです。

             

ということは、もうこちら側から土を掘り出す作業は終了していて、大掛かりな工事はないのかも知れません。線路の北側の進捗状況が判りませんが、私が退職するまでにこの道路は開通してしまうのではないかと思ったりしています。

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黒潮ポンカン

2011-02-03 05:00:00 | 田舎
毎年1月中旬から2月中旬にかけて旬になる重畳山のポンカンです。ミカンとは違ったスッキリした甘味があり、私はミカンよりこのポンカンの方が好きです。

             

姫の家の近くにあるポンカン農家に注文して送ってもらいました。このパッケージはどの農家でも同じものを使っていますが、味というか甘味は農家によって多少の違いがあります。

ポンカン畑の位置が違うことによって、日差しの強弱、養分の摂取など条件は違うだろうと思うけど、所詮重畳山の南斜面で作っているのです。どれだけ手間隙かけて育てるかが、味の違いになるのだろうと思います。

             

今回送ってもらったのはLLサイズ10kg、4×5個が3段で60個入りでした。一つ100円弱の計算になります。

1月中旬に同じところから3Lサイズが送られてきたのですが、3Lサイズをポツンと真ん中に置いて撮ってみたものです。やはり大きいですね。幾つ入っていたのか勘定していません。

42号線を走るとよく道路脇に無人で野菜や花などを売ってるのを見かけます。大概が100円ですが、停まって買う人が全てお金を入れているのか、正直者がバカを見る国ですからその辺りは疑問です。そのような店(?)にポンカンを置いてあるところが、伊串の波止場の入口にあります。私はそこで買ったことはないのですが、姫の駅前にも同じようなものが設置されています。姫の駅前のポンカンはおそらく私が注文した農家のものと同じだと思います。

100円で7~8個入っているのかな・・・物凄く安い!姫の駅前ですから、観光客相手ではないだろうし、きっと土地の人に還元しているのだと思うのですが、私が釣りに行ったときに見つけたら躊躇なく買ってしまいます。置いてあるものを全部買ってしまうようなことはしませんけどね。
                  

今年は送られてきたポンカンと一緒にこんなチラシが入っていました。昨夏の異常な暑さ、先週の土曜だったか、紀伊山地の農家に猪や鹿や猿による被害が多発しているとの報道がありました。そのことで今年の作柄は良くないと・・・確かに水分・甘味が例年より少ないようです。でもやはり美味しいです。

文の最後“どうぞご自愛下さい”はそれより前の文には全く繋がってませんね。

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胞衣塚

2011-02-02 05:00:00 | 大阪にて
亀の橋跡を探し、虚しい時間を過ごした後、比賣許曽神社を予定も無いのに見学し、その後で胞衣塚を探しました。東小橋3丁目にあるのは分かっていましたが、どの辺りにあるのか、どんな塚なのか知りません。

胞衣とは胎盤のことらしい。胞衣壺というのがあって、生まれた子供の健やかな成長や立身出世を祈り、庭や土間に埋納するという習俗があり、その埋納の際の壺をいうのだそうです。

でもそんなもの見たことないし、そういう風習も初めて知りました。

             

玉津3丁目の交差点まで戻って、それらしき案内板があるのを発見、信号を渡って見るものの、碑を見ると日露戦争記念のものですし、とにかく土盛がないので塚とも思えません。でも案内板には胞衣(えな)塚と書かれていました。

やっとのことで見つけた胞衣塚ですが、振り返ってみれば『つるのはし跡』から一番近いところにあったのです。

             

この近辺に旧平野川が流れていたのなら、柳の木が植わっていたのは不思議ではないのですが、この塚に植えられた柳が子供の夜泣き封じに効能があると伝承されたと記してありました。この柳にお参りさせたのか、柳の木を煎じて飲ませたのか、はたまた柳の枝で頭を撫ぜたのか、どのようにしたら子供の夜泣きが収まるのかが書かれていません。

1枚目の写真の社の袂に大小橋命と刻まれた小さい碑が建っています。案内板によると比賣許曽神社に縁の深い大小橋命の胞衣を収めたところであると記してあるのですが、ホンとかな?

今は冬なので柳の枝も無いので判断し難いのですが、御幣の巻かれているの神木は柳の木なのでしょうか。

                  

おそらく日露戦争に刈り出されたのであろう9名の名が刻まれていますが、何処の村の人なのか定かでありません。旧猪飼野の人なら広さからいって少なすぎると思うのですが、日露戦争当時なら太平洋戦争時のような国民総動員というようなことは無かったのかも知れません。


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比賣許曽神社

2011-02-01 05:00:00 | 大阪にて
『つるのはし跡』と共にネットにあったのが鶴に対して亀の『かめのはし跡』です。こちらは玉津2丁目20にあることになっていました。玉津2丁目の端まで歩いて行って、くまなく探したのですが見つけることが出来ませんでした。住宅地図などありませんからマピオンの地図だけを頼りに、玉津2丁目を探して20番地を探し出すのに一苦労、20番地内を3回も巡って、晴れていた空も徐々に曇りだすし、無駄な時間を費やしました。

次に『胞衣塚』という名所があるとネットに出ていたのを探します。東小橋3丁目9にあるとのこと、東小橋3丁目まで戻って9番地を探します。探しているうちに神社らしきものが見えたので寄ってみました。

             

こちらはどうやら表参道、私は反対の裏から入ってしまいました。ご利益など信じませんが、こんなことではご利益の『ご』もいただけないのでしょうね。

                  

拝殿の前にあるのが狛犬ですが、ここの狛犬変わってますよ。普通は対になって向き合ってるのですが、ここの狛犬は両方とも前を見据えています。写真に撮っているのは向かって右側の阿形のものですが、吽形のほうも口を閉ざしているだけでこちらを見ています。どちらも他の神社のものより高いところで社を護っています。


             

由緒ある神社だそうで垂仁天皇の代、愛来目山(天王寺区小橋)に下照比賣命を祀って起源とし、顕宗天皇の代に社殿を築き、推古天皇が行幸し、清和天皇の時代に位階を賜ったとあり、荘厳な佇まいだったらしい。幾多の戦火を経て、信長の本願寺攻めの折、難を逃れてこの地に移転したという。でもここから天王寺区小橋までってせいぜい500mぐらいしか離れていないのですよ、それで難を逃れられたのですかね。


             

東(表参道)の鳥居を潜って出ると、左に北の鳥居があり、きっと昔は広い神社だったのかも知れません。

                  

大国主命が祀ってあります。オオクニヌシといえばスサノオの子供だったっけ。とにかく現代人の私にとっては学校で習ってないだけに神話はややこしい。そんなものは習わなくても良いのだけれど、神話の世界はなかなか理解することが出来ません。

             

こちらは私が入ってきたところ、横にお稲荷さんが祀ってあります。鳥居はありませんが、遠くからでも神社の匂いがしたのです。

                  

延喜式に載っているというので式内社、比賣許曽は(ひめこそ)と読むそうです。

今日でこのブログを始めて2000日達成!!年末年始、土日祝は休んでいるのでどれ位の記事を綴ったのかは不明ですが、もう少しは頑張れそうですが、頑張らずに続けます。

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