こちらは太融寺の南門、本堂の正面にあたります。本堂の正面の門から出入りする人が少なく、西門からの出入りが多いのは、西門は扇町通りから昨日の">弘法大師生誕1200年記念、太融寺と大書きされた碑があって判り易いのと、南門の前はラブホテル街になっているからだろうと思います。
ということで、私はラブホテルの前に立って写真を撮っていることになります。
このお寺の本尊は千手観世音菩薩で平安時代の作ですが、大阪市の指定文化財にしかなっていません。平安時代のものが幾多の戦禍にも耐えて残っているのであれば、国がなんとか保護をしてやらねばと思ったりもするのです。
太融寺の俯瞰図、所狭しと像や堂が建っていますが、大きなビルの建ち並ぶ大阪のど真ん中ですから、致し方ないのかも知れません。元来はもっと敷地が広大だったものだと思います。
淀殿の墓の近くに話を戻します。お地蔵さんや石塔が並んでいるだけで別段取り立てるほどのこともない写真ですが・・・
石塔に立てかけてある板の塔婆に書かれた文字、梵字は読めませんが、その下はなんと我が社のとあるビル内の霊に関することが記されています。“・・・局地内に鎮まる各霊増進佛果”まで読めますが、どういうことなのか難解です。
淀殿の墓の南隣に水子地蔵尊があります。この写真の左端に水子供養のとあって、永々と詩が詠まれているのですが、あまり興味がないので載せないでおきます。
西門から入って左を見ると真っ先に飛び込んでくる像がこの観音像、ぼけ封じ三十三観音第7番札所とありますから、ぼけ封じの観音さんが33ヶ所あるのでしょう。調べてみると滋賀県以西の西日本各地にありました。なんと、皆が真言宗のお寺です。別格と番外があって全部で35のぼけ封じの観音さんがおられるわけですね。
ということで、私はラブホテルの前に立って写真を撮っていることになります。
このお寺の本尊は千手観世音菩薩で平安時代の作ですが、大阪市の指定文化財にしかなっていません。平安時代のものが幾多の戦禍にも耐えて残っているのであれば、国がなんとか保護をしてやらねばと思ったりもするのです。
太融寺の俯瞰図、所狭しと像や堂が建っていますが、大きなビルの建ち並ぶ大阪のど真ん中ですから、致し方ないのかも知れません。元来はもっと敷地が広大だったものだと思います。
淀殿の墓の近くに話を戻します。お地蔵さんや石塔が並んでいるだけで別段取り立てるほどのこともない写真ですが・・・
石塔に立てかけてある板の塔婆に書かれた文字、梵字は読めませんが、その下はなんと我が社のとあるビル内の霊に関することが記されています。“・・・局地内に鎮まる各霊増進佛果”まで読めますが、どういうことなのか難解です。
淀殿の墓の南隣に水子地蔵尊があります。この写真の左端に水子供養のとあって、永々と詩が詠まれているのですが、あまり興味がないので載せないでおきます。
西門から入って左を見ると真っ先に飛び込んでくる像がこの観音像、ぼけ封じ三十三観音第7番札所とありますから、ぼけ封じの観音さんが33ヶ所あるのでしょう。調べてみると滋賀県以西の西日本各地にありました。なんと、皆が真言宗のお寺です。別格と番外があって全部で35のぼけ封じの観音さんがおられるわけですね。