ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

太融寺 Ⅳ

2011-02-23 05:00:00 | 大阪にて
九山八海庭と名づけられた枯山水風の庭、南門の右方向に広がっています。狭い境内の中、いろんなお堂を詰め込んだような造りの割には、この庭は広く感じられます。

この砂紋はほうき目とも呼ばれ、この紋様を保つために毎朝掃除をしなければならないようですが、歩くところは石が敷かれていて、誰もこの砂を踏んで歩くことも無さそうなこの庭は、毎朝掃かれているのでしょうか。

                  

中央にある石塔、こういうのを宝篋印(ほうきょういん)塔と呼ぶのですね。中に宝篋印陀羅尼経を納めると言います。この塔と共に多く見られるのが五輪塔、五輪塔の方が形に意義があるようです。

             

庭の奥(東)への石畳を歩いていくと、碑がたくさん並んでいます。その一つが私を惹きつけました。

          

なんと国会期成同盟の発祥の地、自由民権運動の飛躍の場がこの太融寺であり、永久に記念されるべきだと言うのです。自由と民権が永遠の真理ってカッコイイですね。さすがに憲法知事による撰文です。私が社会に出て働き出した頃、この黒田という人が大阪府知事に当選、2期8年に亘り活躍しましたが、当時の社会党の裏切りによって政権を奪われました。その裏切り者の社会党の没落振りは周知の事実、日本社会党の名前さえありません。

             

現在は新自由主義という自由を履き違えた論理が横行し、庶民を苦しめています。自由と民権というこの二つが揃ってこその永遠の真理なのですね。

この横綱の碑の揮毫の井岡某は元の社会党の代議士、ボクシングの井岡ではありません。別段政治的に何の意味も無い碑に揮毫して名を残そうとするこの社会党の代議士は、自由と民権云々の碑の傍らで何を思っているのでしょう。

             

こちらは東門、店や民家に挟まれて、一見お寺の門には見えません。

             

東門を出て扇町通りの方へ向かい、お寺を一周します。町屋からの宝塔の眺め、如何にも大阪の中心街らしい。

             

扇町通りへ出て信号を渡り、向かいの歩道からの太融寺です。ビルの右横に木戸のような小さな北門がありますが、一般の人がここからお寺へ入ることはありません。

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