ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

胞衣塚

2011-02-02 05:00:00 | 大阪にて
亀の橋跡を探し、虚しい時間を過ごした後、比賣許曽神社を予定も無いのに見学し、その後で胞衣塚を探しました。東小橋3丁目にあるのは分かっていましたが、どの辺りにあるのか、どんな塚なのか知りません。

胞衣とは胎盤のことらしい。胞衣壺というのがあって、生まれた子供の健やかな成長や立身出世を祈り、庭や土間に埋納するという習俗があり、その埋納の際の壺をいうのだそうです。

でもそんなもの見たことないし、そういう風習も初めて知りました。

             

玉津3丁目の交差点まで戻って、それらしき案内板があるのを発見、信号を渡って見るものの、碑を見ると日露戦争記念のものですし、とにかく土盛がないので塚とも思えません。でも案内板には胞衣(えな)塚と書かれていました。

やっとのことで見つけた胞衣塚ですが、振り返ってみれば『つるのはし跡』から一番近いところにあったのです。

             

この近辺に旧平野川が流れていたのなら、柳の木が植わっていたのは不思議ではないのですが、この塚に植えられた柳が子供の夜泣き封じに効能があると伝承されたと記してありました。この柳にお参りさせたのか、柳の木を煎じて飲ませたのか、はたまた柳の枝で頭を撫ぜたのか、どのようにしたら子供の夜泣きが収まるのかが書かれていません。

1枚目の写真の社の袂に大小橋命と刻まれた小さい碑が建っています。案内板によると比賣許曽神社に縁の深い大小橋命の胞衣を収めたところであると記してあるのですが、ホンとかな?

今は冬なので柳の枝も無いので判断し難いのですが、御幣の巻かれているの神木は柳の木なのでしょうか。

                  

おそらく日露戦争に刈り出されたのであろう9名の名が刻まれていますが、何処の村の人なのか定かでありません。旧猪飼野の人なら広さからいって少なすぎると思うのですが、日露戦争当時なら太平洋戦争時のような国民総動員というようなことは無かったのかも知れません。


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