ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

太融寺

2011-02-10 05:00:00 | 大阪にて
50歳の年の4月に北区の曽根崎ビルに配属され、その年の11月に名古屋へと配転になるまで7ヶ月と少しの間、この界隈をウロウロしていました。ウロウロとは仕事が終わってからのことですよ。仕事は主に此花区方面へと車で行かせて貰っていましたが、今は車などとんでもありません。

                  

近くにはこの太融寺がありましたが、当時はお寺など見向きもしませんでした。お寺の名前が町の名前になっているほどですから、さぞかし有名なお寺なのだと思いますが、“たいゆうじ”と打っても“太融寺”とは変換されません。因みに“たいゆうじちょう”と打てばちゃんと変換されます。

             

一度訪ねてみたいと思ってるうちに時間はどんどんと経ってゆくものです。わざわざ時間を割かないと一日の流れに沿っておれば、なかなか行くことがない。

行ってみれば新しい発見もあるもの、『なにわ七幸めぐり』など全く知らなかったです。この中の四条畷神社だけが大阪市内にはありません。後は皆市内にあるのですが、大念仏寺には行ったことがありません。

これで又いつか『なにわ七幸めぐり』と題して、記事が書けそうです。


             

こちらが西門、訪れる人は大概がこの門から入ることになるでしょう。

門の右にはこのお寺にゆかりの深い源融公の碑がありました。深い所縁とは、821年に嵯峨天皇の勅願で弘法大師がこの地に創建、天皇の皇子である左大臣源融公が七堂伽藍を建立したそうです。

             

この太融寺に淀君の墓があるというのは知っていました。淀君は今年の大河ドラマ『江』、浅井三姉妹の一番上のお姉さんですね。最近の大河ドラマ、竜馬も江もあまり興味がありません。

境内には『淀殿の墓』として矢印で示されていました。

             

でも墓があるのは境内の北西角、片隅に追いやられています。

元々は城東の鴫野の地にあったのを明治政府の富国強兵策により(城東に練兵場を作った)この寺に移設させられました。

                  

片隅に置かれてなければなかなか立派な塔です。元は九輪の塔だったそうで、戦災により六輪に減っています。道理で上に載ってる石はどこかヘンですよね。

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