『つるのはし跡』と共にネットにあったのが鶴に対して亀の『かめのはし跡』です。こちらは玉津2丁目20にあることになっていました。玉津2丁目の端まで歩いて行って、くまなく探したのですが見つけることが出来ませんでした。住宅地図などありませんからマピオンの地図だけを頼りに、玉津2丁目を探して20番地を探し出すのに一苦労、20番地内を3回も巡って、晴れていた空も徐々に曇りだすし、無駄な時間を費やしました。
次に『胞衣塚』という名所があるとネットに出ていたのを探します。東小橋3丁目9にあるとのこと、東小橋3丁目まで戻って9番地を探します。探しているうちに神社らしきものが見えたので寄ってみました。
こちらはどうやら表参道、私は反対の裏から入ってしまいました。ご利益など信じませんが、こんなことではご利益の『ご』もいただけないのでしょうね。
拝殿の前にあるのが狛犬ですが、ここの狛犬変わってますよ。普通は対になって向き合ってるのですが、ここの狛犬は両方とも前を見据えています。写真に撮っているのは向かって右側の阿形のものですが、吽形のほうも口を閉ざしているだけでこちらを見ています。どちらも他の神社のものより高いところで社を護っています。
由緒ある神社だそうで垂仁天皇の代、愛来目山(天王寺区小橋)に下照比賣命を祀って起源とし、顕宗天皇の代に社殿を築き、推古天皇が行幸し、清和天皇の時代に位階を賜ったとあり、荘厳な佇まいだったらしい。幾多の戦火を経て、信長の本願寺攻めの折、難を逃れてこの地に移転したという。でもここから天王寺区小橋までってせいぜい500mぐらいしか離れていないのですよ、それで難を逃れられたのですかね。
東(表参道)の鳥居を潜って出ると、左に北の鳥居があり、きっと昔は広い神社だったのかも知れません。
大国主命が祀ってあります。オオクニヌシといえばスサノオの子供だったっけ。とにかく現代人の私にとっては学校で習ってないだけに神話はややこしい。そんなものは習わなくても良いのだけれど、神話の世界はなかなか理解することが出来ません。
こちらは私が入ってきたところ、横にお稲荷さんが祀ってあります。鳥居はありませんが、遠くからでも神社の匂いがしたのです。
延喜式に載っているというので式内社、比賣許曽は(ひめこそ)と読むそうです。
今日でこのブログを始めて2000日達成!!年末年始、土日祝は休んでいるのでどれ位の記事を綴ったのかは不明ですが、もう少しは頑張れそうですが、頑張らずに続けます。
次に『胞衣塚』という名所があるとネットに出ていたのを探します。東小橋3丁目9にあるとのこと、東小橋3丁目まで戻って9番地を探します。探しているうちに神社らしきものが見えたので寄ってみました。
こちらはどうやら表参道、私は反対の裏から入ってしまいました。ご利益など信じませんが、こんなことではご利益の『ご』もいただけないのでしょうね。
拝殿の前にあるのが狛犬ですが、ここの狛犬変わってますよ。普通は対になって向き合ってるのですが、ここの狛犬は両方とも前を見据えています。写真に撮っているのは向かって右側の阿形のものですが、吽形のほうも口を閉ざしているだけでこちらを見ています。どちらも他の神社のものより高いところで社を護っています。
由緒ある神社だそうで垂仁天皇の代、愛来目山(天王寺区小橋)に下照比賣命を祀って起源とし、顕宗天皇の代に社殿を築き、推古天皇が行幸し、清和天皇の時代に位階を賜ったとあり、荘厳な佇まいだったらしい。幾多の戦火を経て、信長の本願寺攻めの折、難を逃れてこの地に移転したという。でもここから天王寺区小橋までってせいぜい500mぐらいしか離れていないのですよ、それで難を逃れられたのですかね。
東(表参道)の鳥居を潜って出ると、左に北の鳥居があり、きっと昔は広い神社だったのかも知れません。
大国主命が祀ってあります。オオクニヌシといえばスサノオの子供だったっけ。とにかく現代人の私にとっては学校で習ってないだけに神話はややこしい。そんなものは習わなくても良いのだけれど、神話の世界はなかなか理解することが出来ません。
こちらは私が入ってきたところ、横にお稲荷さんが祀ってあります。鳥居はありませんが、遠くからでも神社の匂いがしたのです。
延喜式に載っているというので式内社、比賣許曽は(ひめこそ)と読むそうです。
今日でこのブログを始めて2000日達成!!年末年始、土日祝は休んでいるのでどれ位の記事を綴ったのかは不明ですが、もう少しは頑張れそうですが、頑張らずに続けます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます