ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

熊野神社 Ⅱ

2011-02-08 05:00:00 | 大阪にて
梅の花が咲いているのかと見に来ただけなのに、話は長々と続きます。これってネタが無いってことの裏返しですね。

骨折から復帰した当時、確かこの辺りを歩いていると、九州に配転になったS藤君から電話がかかってきたことを思い出します。もう4年も前のことですが、彼は未だに九州へ行ったきり、お子さんも小さいのに単身赴任の生活を長々と続けさせられています。

             

この梅の枝振り面白い、枝が皆天へと伸びています。火が燃えているような感じです。同じ境内の梅でも昨日の梅は枝垂れてました。

             

この梅の根元にこの碑、尼崎市が寄贈しています。公の最たる市が民の一部である神社に対して(困っているわけでもないのに)、たかが梅の木一本といえどもお金をつぎ込むなどということがあっていいものか。

             

史跡と彫られた碑、『難波の梅保』の下は葉っぱをどけてみると『存』でしたが、その下が土に埋まっていて判りません。史跡とは国あるいは地方公共団体が歴史上・学術上必要と認められたものを保護するために設けたもの、そういうところには『○×指定重要文化財』とかの件があって、説明されています。どうもこの史跡という字は勝手に彫ったものと思えるのですが、勝手に彫ったらアカンのかと言われても応えようがありません。

                  

まぁ尼崎市がこの神社を史跡と決めたのなら、税金を使って保護するのは吝かではありません。でも歴史・学術上どのように必要なのか、いくらなんでも「仁徳天皇が行幸したから」などと言うなら、歴史上の確認は取れませんから史跡としての要件を満たしているとはいえません。

             

赤い鳥居が建ち並ぶお稲荷さん、でもこの鳥居の正面に祠はありませんでした。

             

社殿の裏の方へも境内は続いていて、「通り抜け禁止」との貼紙があるのですが、行ってしまえば通り抜けてしまうではありませんか。

こうやって何らかの顕彰碑も設けてあるのですから、人に見てもらいたいのだと思うのです。

             

北の端に大山咋命を祀った祠があります。スサノオの孫とのことですが、私は全く知りません。

ここを越えると通り抜けてしまいます。仕方が無いので引き返しましたが、無体なことを言う神社です。

                  

神木がこんなところにありました。正面から見ると社の裏にあるのは判ってたのですが・・・こんな所に車を停めんといて欲しいなぁ。人にも「通り抜け禁止」の規制がかかっているのですから。

              gooリサーチモニターに登録!