昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

弥生環濠集落

2006-12-20 | 歴史・文化遺産
古事記も日本書紀もない、文字すらもない時代に弥生人は集落を作り、共同で生活をしていた。
 しかし、この時代に人が、この地に住み着き、社会を作っていた事は「語り継ぎ、言い継ぎ」して残っていたとしたら楽しいではないか。それが、古事記・日本書紀に出てくる神代の時代であれば、どうしましょうか。

 いったい、記紀の歴史の中で、神武から始まる時代が何故こんなに昔に遡らなければならなかったのか。
 中国の歴史書に出てくることから、倭の国を考え、卑弥呼を考え始めたが、古事記の編者の太安万呂(おおのやすまろ)や稗田阿礼(ひえだのあれ)は知っていたのだろうか。
 記紀によれば神武天皇は紀元前660年に即位している。

 そして、中国の記録から推定すると、第21代雄略天皇が即位したのが西暦5世紀頃である。一方、卑弥呼は3世紀中頃、邪馬台国を治めている。
 ここの池上曽根遺跡は、どの位置をしめるのでしょうか。


第二阪和国道の建設に当って本格的な調査が入った。国道26号線に面して公園の入口がある。斜めの屋根を見せているのが池上曽根弥生情報館である。


航空写真が展示されていた。大阪湾の向こうに、霞むのが六甲山である。更に左手が明石大橋の方向である。
 ここの集落からは、今では海岸線まで1km位であるが、この当時は海はもっと近くまできていたと思う。
 横で南北に走るのが国道26号線。円形のグランドのように見える広場に高殿が見える。


国道26号線が、見事に環濠遺跡を貫いている。国道沿いの左方に弥生文化博物館がある。


高殿の位置を見つけてください。二重の濠に囲まれて、右のほうに展開する家は一般の住宅である。


高殿から内側の濠を越えて、二番目の濠の間にある一般の人の住宅。手前に環濠が走っている。


外の濠である。これらの濠からは生活用品とか、食べ残しのものとか多くの物が発掘されたという。


左:クスノキを刳り抜いて作った井戸の枠である。大人が4人でも周囲に回りきれない。この木から年代が特定された。
右:環濠から出土した鳥形木製品である。祖先の霊を導く聖なる鳥である。高殿の大屋根の上に置かれている。ヒスイの勾玉は、高殿の柱穴から出土した物である。