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ぴかの独り言 GooBLOG vol.1

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悲願の退院から、ひと月足らずで再入院のP・・・ガックシ!

2024-06-18 14:26:01 | 病気

こんにちは。

また前回ブログから10日ほども過ぎてしまった。

今回は、出来事大杉でのブログ遅延でした。

では・・・


6月7日の診察では、手の甲に発疹ができたことくらいの異常で、数値的には何ということもなく解放。

その後、前回の入院前にやり残した諸々をやっつける。

まずは、店の在庫処分

こういうのを残すと、次代の子供たちが困ると思って、あと5年ほどはやるつもりだった呉服屋をエイヤッ!と閉めて、在庫を処分したりました。

如何ほどにもなりませんでしたが、一つ仕事を終えた感覚はあります。



昭和29年から親が始めた豊坂屋ですが、ついにキレイになりました。

ありがたく商売させていただきました。

店も着物たちも、ありがとうございました。

林さんにも、ありがとうございました)


当日は同時に、次男の部屋のクーラー取り換え。

これは以前、退院の折に「カビには気を付けなければいけない」と、退院後の生活の指示みたいなところで言われましたので、早速にクーラーの掃除を頼んだら(この時は琴美ちゃん、ありがとうございました)、3階の次男のクーラーは古すぎて、掃除すると壊れるかもしれないということで買い替えることにした。

ついては、3階はバケット車でないと工事ができないということで、こんな。



お金はかかりましたが、背に腹は代えられぬ。

でも、すっかりピカピカのクーラーが入りました。

ちょうど次男は東北旅行にお母ちゃんと行っていまして、メールでそのお知らせもした。



大変楽しそうな画像が送られてきました。

同じころ、長女のところからも画像が来た。



孫5号の宮参りをしたらしい。

そういうところは、長男もやりましたが、呉服屋という血筋があったのかもしれない。

3人子持ちのお母さんとなりました長女ですが、貫禄が付いてよろしい。

あとは、家族みんなで、幸せへの道をズンドコと行っていただきたいと思います。

体だけは気を付けてね。


あたしはというと、まだまだリハビリ途中の体ながら70%ほどは回復したと思われ、ゴソゴソ動いておりました。



お目にかけるのが恥ずかしいですが、店の事務所にあったタイムドメインを2階に持ってきて、簡易シアターとして大音量下での料理も可としたりました。


そんな中、14日にまた定期の診察となり出かけましたら、なんと!・・・血液の数値に引っ掛かり即入院のご沙汰が下ってしまった。

この頃、下痢が続いていて嫌な予感はしていたのですが、やはりというかなんというか非情な通達を受けてしまうのでありました。

で、虫の知らせもあってか?来るときにトランクに簡易の入院の用意を付けて持ってきていたので、その日はそのまま即入院。

で、足らぬものもあるので翌日に持ってきてもらって準備を整えた。
(車も置いておけないから、義兄に乗って帰ってもらった…兄さん姉さんありがとう)

そんなして、不本位ながら前回退院一か月を待たずして再入院と相成ってしまいましたP。

大変ショックですが、こればかりはどうにもならぬ。

その後の検査等で、治療に当面ひと月くらいかかるらしいですが、その間また次男には一人暮らしを頑張ってもらい、姉たちの協力もまた得ながら治療に専念します。



あ~あ~・・・そうして振り返っても、娑婆は本当に光にあふれておりました。



前回の宮参りの画像に引き続き。長女が写真館でとったのであろう孫たちの晴れ姿。

こんなの見ちゃったら、おじいちゃん、もうちょっと生きたくなります。

がんばるべ。

いろいろお世話になりますが、どちら様にもよろしくお願いします。

ありがとうございます。

 


ちょっとご無沙汰でした。

2024-06-06 15:17:29 | 病気

こんにちは。

前回ブログから、10日以上経ってしまいました。

FBには載せているから何もなかったわけではないですが、とは言え、書くほどのこともないかと思って今日まで来てしまった。

いかん、いかん、、、このままでは、ばぶちゃん日記の二の舞だ!
(ばぶちゃん日記=http://blog.livedoor.jp/oum2010)

頑張ろう。


さて、おかげ様で体は順調で、毎日のように田んぼへあいさつに行きます。



先日、畦に咲く小さな花を見て、美しいと感動したり、地面を乗っ取るかのように群生するクローバーを見て、元気でよろしいと声をかけておりました。

それを見て、四葉はないかしらん?と探している途中で、ふと感じたこと。

「せっかく生きておるのに、摘んだら死んでしまうがな」

それは不思議な感覚でした。

昔、茶道にはまっている頃、そこの先生が、

「花は贄(にえ)なんじゃないかとボクは思う」

と、床の間の花を見つめながらおっしゃった。

それと同じ感覚なのか、今はそれが理解できる。

そう、きれいな花を捧げるのではなく、その花の命を捧げるのだな。

そんなことを思った田んぼでした。



(少ししっかりしてきました苗たちです)


昨日は、前日に姉たちがまたぞろ可愛い病人の弟のあたしの為に、お掃除おばさんとしてやって来て、汚いところを見つけてはお掃除してくれました。

その折、「藤井達吉美術館に岸田劉生がくるよ」と長姉が教えてくれたので、では早速行きましょうと勇んで碧南美術館へ行ったのですが、タダ券(1000円)を忘れたことに気が付いて、近いせいもありますがいったん戻ってきた。

で今日、捲土重来と行ってきました。

中は撮影禁止ですので、こちらだけ。


玄関を入るとすぐのところにおりまして、この人が藤井達吉さんらしい。

碧南が生んだ芸術家らしいですが、あたしは知らなんだ。

で、そのゆかりの春陽会という美術団体があるそうで、今回はそのメンバーたちの絵が飾られております。

中でも有名なのが岸田劉生の麗子像

そう、どこが可愛いのかわからん、幼女の絵。(違いますか?)

それももちろん見ましたが、他にも結構好きな絵があって良かったです。

こうして、あたしのゲイジツのひと時は終わりました。

その後まだお昼前なので、思い立って、名古屋の平和公園まで走ります。

母方の家系の先祖が眠る墓地に参禅。

お墓はありますが、唯一の家系を引き継ぐ母が亡くなって跡取りがいなくなったからと、随分前に合同墓に入れてもらった。



生きたおおばあちゃんをあたしは知りませんが(小さな写真が一枚だけ残っています)、墓前で手を合わせて心経を唱えていたら、「よく来てくれた」と語られたような気がしました。

家の仏のいる部屋で毎朝のお務めは欠かさずに、このおおばあちゃん(りょうさんと言います)にも挨拶しておりますが、あたしが来れるうちは、また来るからと約束してきました。

その後、近くにある、母の妹の墓もお参り。

ここで墓石に水をかけて、心経を唱えていたら、

「テルちゃん、まだ早い。まだ来なくていいからね」

と声を聴いた。

どうやら、おじさん(妹の旦那)とおばさん(妹)が、それぞれにあたしを見て話している。

う~む・・・不思議な感覚をまた覚えてしまった。

それでもそれはとても穏やかな気配で、あたしは二人に感謝したです。

おじさんもおばさんも、どうぞ仲良く穏やかでいてね。

(ちなみにおじさんは、ヘビースモーカーで大酒飲み。そんな彼は、87で亡くなった。おばさんが74で亡くなるまでアルツハイマーを7年くらい患い、このおじさんは家でほとんど意識のないおばさんの看病を続けていた。あたしが行ったとき、「痰を取るのがうまくなったよ」と話していたおじさんが、急に思い出された今回でした。)


そうそう・・・もう一つだけ、昨日のことを書いておこう。

昨日は、ゲイジツ的に過ごすのを断念した後、約束で二人の女性と会いました。

一人がこちら、




相変わらず元気な美子ちゃん・・・と思いきや、この頃お手々の手術をして、大丈夫と言いながらもその包帯が痛々しい。

でも、笑顔はさすがでした。

最近の美子ちゃん、人生の岐路の時期なのか?変化が連続しているらしい。

そんな話をちらほらとしながら、あたしの退院お礼と、ささやかですがお礼の品を渡しました。

美子ちゃん、幸せになれよ~!


その後もう一人、こちら。



後光が射すほどのエエ人、寿美ちゃん
(帽子をかぶっているから、あたしの頭のせいじゃないぞ)

この方にも、病気中お世話になりまして、お礼のお品を渡しました。

寿美ちゃん、その節はありがとうございました。


とまぁ、そんなこんなの最近でありました。

さて、明日はまた検査がありますので、朝6時に病院へ向けて出発です。

できれば、何事もないことを願っています。

どちら様か知りませんが、よろしくお願いします。

ありがとうございます。






 


いよいよ娑婆での生活、再開。

2024-05-26 12:43:38 | 病気

こんにちは。

退院後の当日は、姉たちのおかげできれいな部屋で無事に過ごしました。

2か月振りのお風呂、そして、久しぶりによく眠りました。

・・・やはり、家は良い。

病院のベッドとは違い、あたしはもともと畳に布団が好きなので、その大好きな布団からはみ出して大の字になっても、腕が畳に乗っかって疲れない。
それがよろしい。

そして何より、ご飯を作って一緒に食べて、次男がうまいと言ってくれるのだから(吉野家の牛皿でしたが)、これを幸せと言わずなんという?


かつてあたしは、病院には光がないから、光のある娑婆に戻りたいと書いたことがありますが、それがこういう事なのだ。

病院というところに光がないわけではない。

ただ、その光は、例えば病気が治りますようにと念じる人々の救いとなるものだったり、介護の皆さんの温かい言葉だったりという、ものすごく限定された光。

もっと言えば、太陽の光を反射してできる月光のようなもの。

それとは逆に、娑婆は、己の行動が無限にあり、その光も、己が発するものもあれば受け取るものもあるという、自発的な光のやり取り。

それは、病院内では叶わない、自由で喜びに満ちたもので、それをあたしはと称したのでした。


次男との食事は、まさにその光でした。

それを、改めて幸せの形として感じて、ありがたかったのでした。


その後、退院から一週間の24日の診察まで、足取りはまだまだヨロヨロとしつつも、日々の生活そのものがリハビリとなり、本当に少しずつでしたが、動きを思い出して体が慣れていくのも感じておりました。

車のバッテリーが上がっていたので、いつもの車屋さんに来てもらってバッテリー交換ののち早速試乗。

外を300メートルも歩くと疲れるので、近くのスーパーにも行けないのは困るのですが、車があれば足代わりになる。

久しぶりに運転して、それは問題ないことを確認。

そして、早速に近くのスーパーへ買い出しに行ってみた。

スーパーの台車の買い物かごが、杖代わりになってエエ具合です。

これで久しぶりに、食事の買い出しもできました。


車の運転の練習代わりに、念願の氏神さまにも出かけてみた。



祓い言葉でお礼かたがた、再び、お参りに来られましたことが、また嬉しいPでした。

ありがとうございます。


ついでなので、田んぼも見に行く。
(この時点で、自由に動けること、好きなところへ行けることが嬉しくてしょうがない)



田植え前の田んぼ。

メンバーが精魂かけて、力を合わせて守ってくれた田んぼです。

後日、次の週には田植えと聞きまして、その日には是非みんなに会いに来ようと思いました。

みんな、ありがとうね。


さて、家に帰ってゴソゴソしていると、誰か来た。

ジャン!



あたしの為に、FBにはコメントしないと願掛けまでしてくれていた丸ちゃんが来てくれた。

そして、退院を祝ってくれたのとともに、プレゼントまでいただいた。



「また、遊びに行こうね」とも書いてあって、感激仕切りのPでした。

丸ちゃん、ありがとうございました。

うん、体ができたら、ぜひ遊びに行きましょうね。

よろしくお願いします。


何とか薄皮をむくように、体を少しずつ動くようにと生活しておりまして、やがて退院一週間後の診察の日。

から「運転しようか?」と気遣いをいただきましたが、何とかひとりで行ける目途がありましたので、豊明の病院まで片道1時間30分を覚悟して、ゆっこりでもいいように9:50予約の診察でしたが、6時に家を出た。

が、あにはからんや、道もスイスイあたしの運転もスイスイと参りまして、7時過ぎには到着。

あらま、時間が余ってしまうなぁ・・・と思っていましたが、受付の機械がありまして、そこの前にはすでに人が並んで7時半の受付開始を待っていた。

それでも、早すぎだろう・・・と思って、あたしも並んで待っていたら、10分後くらいには受付開始。

で、ゾロゾロと動く人について行ってみると、審査前の採血が7:50から開始と書かれている採血室に着いた。

そこでは、早くから並んで受付をしていた人たちが、また同じように並んでいた。

はは~ん・・・そういうことだったのね。

つまり、この人たちは外来で、採血などするのに時間を知っていたので、並んででもスムーズに診察の待ち時間も少なくなるように動いていたというわけです。

それを合点しましたので、あたしもそれに倣って動いて正解なのでした。(朝早く出たのも、結果オーライでしたね。)


そして、いざ診察

一週間ぶりの担当医の診察。

簡単に、入院時のお礼とこれまでの生活ぶりを話して、お医者の見立てを聞く。

各別悪いことはなさそうだという言葉に安堵していると、それでも・・・とお医者が続ける。

今の調子は、薬を飲んでいるからであって、この病気は、落ち着いている状態がせめて1年は続くことを確認しないといけないのです・・・と釘を刺された。

それは確かにそうである・・・と、あたしも再認識をする。

診察後、お尻にコロナ対策として注射して、今回の診察はおしまい。

次はまた一週間後に来ることとして、会計を済ませて帰宅。

昼にはうちに帰りました。

往復の運転も大丈夫でしたね。少し自信が付きました。


そうそう、実は家に帰ってから突然味覚障害になりまして、何を食べても甘い。

それが気になったものだから先生に訊いてみましたが、今度の病気の副作用であろうから、そのまま治るのを待てという事でした。

が、それがいつなのかもわからないから、気長に待つしかないですね。

自炊だから、味がわからないのがつらいんですが、コウヤに味見を頼んで、あとは勘でやるしかないですね。

まぁ、いまのところ鍋の元とか中華の素とか冷凍食品とかで味の決まったものを出しているから、食えないことはないと思っていますが、作るこちらもなんだかやってやりたいところもあるので、たまに冒険したりしますが、せいぜいが野菜炒めくらいで留まっています。

早く治るといいなぁ・・・

(その節は、みずちゃん。いろいろ教えてくれてありがとう)


体の回復はボチボチで、食べてはいますが、体重が全然増えない。

家の体重計では、体重56Kg、体脂肪5%、内臓脂肪1%と出ます。

我ながらすごい数字だと思いますが、先生は気にしなくてよろしいとのことです。

こちらも、ゆっくり体を作っていこうと思っています。


さて、そんなこんなで昨日土曜日は、田んぼ同好会22回目の田植えでしたので、そそくさと皆に会いに行った。



すでに大半の苗が植わっていましたところへ来た。

そして、およそ一年ぶりのメンバーとの邂逅。

市野さん、きみ君、よししと君と挨拶、ならびに、田んぼをやってくれたお礼。

向こうからは、それぞれに退院できてよかったね、元気になってよかったねと祝いの言葉。

ありがたいのでした。



隊長だけ、この日は健康診断とかで遅れてきますと言いながら、まだみたいで会えませんでしたが、一番合いやすい男なのでそのうち会います。

その時に,隊長にもお礼申します。


さぁ、そんなこんなの今日まででした。

娑婆はやはり、光に満ちておりました。

それを実感して、あたしは生きる力が湧いてくるのを感じています。

人もあめつちも、全てが輝いております。

それが嬉しくありがたいのです。

ありがとうございます!!!































 


ついに、退院でっす!

2024-05-22 10:45:17 | 病気

おはよ。

おかげ様で、5月18日に無事退院いたしました。

入院初日が昨年の10月10日でしたので、7カ月余をあたしは病院で過ごしたわけです。

いやぁ、長かったなぁ・・・

そして、前にも書きましたが、知らなかったから耐えられましたが、入院期間終盤の移植後の治療は、本当にきつかった。

己ながらよく耐えたと思いますが、実は全くの一人だったら、あたしは狂っていたかもしれないとも思っています。

それは、病院の医療関係者はもちろんのこと、友人知人からの励まし、家族の支えあっての今日だと心から感謝するものでありました。

皆さま、ありがとうございました。

そして、10日前後に退院の話を聞いてからは、あっという間に18日退院が決定して、ついにあたしは娑婆に戻ってきたのでした。


当日は、いつも通り二人が車で迎えに来てくれました。

かねてよりの話で、10:30を目安に来てねと頼んでありまして、それまでの間に、全てとはいきませんでしたが、担当医はじめ格別世話になった看護師の皆様にお礼を申しました。

中には、わざわざ病室まで来て、おめでとうと言ってくださる看護師さんもいて、あたしは感激するのでありました。
(その中には、涙してくださる方もおられました)

いよいよ病棟を去る時、その時の担当の看護師さんがあたしと仲良しの看護師さんで、彼女もまた涙してくれるのでありました。

そして、ナースステーションに深く頭を下げて、病棟を後にしました。

余談

姉が来て、来るときのズボンを履いてみると(大部屋のスペースがなく、必要なもの以外すべて姉に持ち帰ってもらっていたので、姉が来るまで着替えがなかった)、お尻も通り越してするするとズボンが落ちていく。

あたしは間違いなく病人だったのだと、実感しましたね。


さて、ついに家に戻ります。

姉に礼を言って、次男はお仕事なので、誰もいない我が家に入る。

見慣れた玄関が、なにやら別物に見えた。そして、それは妙にあたしを安心させてくれた。

誰もいないですが、「おかえり」とどこからか聞こえたような気もしました。


まだおぼつかぬ足取りで階段の手すりを頼りに、よろよろと2階の居間へ向かった。

そして、まずは何をおいても、あたしはここへ来たかった。



おかげ様で、ようやく帰ってまいりました・・・と、先祖に向かって報告。

合わせて、何かしらの大きなお力をいただいたような気もしているものだから、久しぶりに祓い言葉と心経を唱えたのであります。
(この時、以前と声が違うことを知る。13キロ痩せると声まで変わるんだと思いました。
それと、お仏飯が新しいのに気が付いて、次男が取り替えてくれていたのだとちょっと感激しました。コウヤ君、ありがとう


その後、荷解きしたりして、お昼。

次姉がそこまで一緒にいてくれて、布団干したり掃除したりしてくれました。

その姉が、「買ってきてあげるから、お昼を食べなさい」と言ってくれたが、あたしはあたしで目論見があったので、仕事の終わった姉を返してから、インスタントラーメンをそそくさと作り始めた。

・・・

はい、どうしてもラーメンが食べたかったのだ。

棚にあったラ王しょうゆ味(次男が買ったやつ)に卵があったのでそれだけ入れての簡単なインスタントラーメン。

・・・うまかった!

そしてここでも、確かに娑婆に戻ってきたのだと実感するあたしでした。


その後、さすがに疲れてひと眠り。

やがて次男も帰って来て、あたし好みの濃いめの味噌汁だけは作って、夜は来る途中で買ってきた吉牛で夕飯。
(およそ何か作ってやることはできないと思ってのこと)

それもそれで、美味しくいただいました。


いやぁ・・・さすがに出来事大杉で、長くなります。

今日のところは、帰宅初日の様子まで。

思い出しても、怒涛の初日でしたが、心にはずっと「ありがとうございます」の言葉がリフレインのように底流していましたよ。

改めまして、P、無事帰宅、生還いたしました。

皆さま、本当に、ありがとうございました。














いろいろ書いておこうと思いましたが・・・

2024-05-15 16:57:55 | 病気

こんにちは。

退院までいよいよ3日となりました本日、こちらのブログに書き残しておこうと思ったことがありましたが、いざパソに向かうとそれが多すぎてなのか、書いても己自身でしかわからんだろうということに気が付いて、すこし元気になってからの俳句を残しておこう。

モノを書く、読むということ(それだけにとどまらす、あらゆること)が、病気になった人はわかると思いますが、極めて億劫になっておよそその上に俳句をひねるなどとは無理でしたが、心身が回復するとともに、そのやる気が戻ってきた。

これは、そんな気分になってきた5月5日の子供の日からの作句です。


穏やかに 吾子育ち来し こどもの日

行く春や 病床で見る 腕細し

老病に 意味はありしや? 春の暮れ

ありがたし 生受く春に 友の声

望外の 吉報嬉し 遅き春

瑞兆の コウモリ見たり 蒼き朝

退院の 感謝の礼に 夏も泣く


俳句の良し悪しは別にして、ここまで来れた体と心に感謝するのでした。

今朝も担当の医師が回診に来た折、

「少し早いですが、大変お世話になりました」

と、ベッドの上で、これもこの頃ようやくできるようになった正座をして礼を申した時、思わずポロっと涙が出たのは自分でも驚きましたが、あたしの中の純粋な気持ちの発露だったと思っています。


あと3日、皆様に感謝しながら、過ごしたいと思います。

よろしくお願いしまっす!