ある医療系大学長のつぼやき

鈴鹿医療科学大学学長、元国立大学財務・経営センター理事長、元三重大学学長の「つぶやき」と「ぼやき」のblog

地方大学の疲弊がわが国の国際競争力を低下させる(その4)

2011年12月27日 | 科学

 今までは、日本全体の学術論文、特に医学分野の学術論文の数および質が停滞し、国際競争力が低下していることをデータにより説明してきましたが、今回からは、いよいよ、大学群別に医学の論文数について分析をしたいと思います。

 下は文科省科学技術政策研究所の阪 彩香さんのデータをグラフにしたものですが、わが国の機関別に、臨床医学の論文数の推移を調べたデータです。

 左図は”通常の”論文数です。”通常の”と言っても、トムソン・ロイター社が選んだ良質の学術誌しか収載されませんので、ある程度のセレクションがかかっています。

 右図はTop10%の注目度(質)の高い論文数です。いずれも国立大学が圧倒的に多数の論文数を産出しています。やはり、国立大学の貢献は大きなものがありますね。

 しかし、どうでしょう。左の通常の論文数では、国立大学は停滞しています。しかし、私立大学は増えていますね。

 一方注目度(質)の高い論文数については、国立大学はけっこう急速に論文数を減らしています。私立大学は停滞しているという状況ですね。

 前回のブログでもお話しましたが、論文数が減っても注目度(質)の高い論文数が減らなければまだ救いがあるのですが、現実は注目度(質)の高い論文の方が減っています。

 また、国立大学の論文数が減っているのに、私立大学がそれほど影響を受けていないのは、どうしてなのでしょう?何か、両者の間で論文数に影響を与える要因に違いがあることを想像させます。

 国立大学で起こって、私立大学で起こっていないことは何でしょうか?

 まず思い浮かぶのが、”法人化”の影響や、予算削減の影響ですね。国立大学は2004年に法人化されました。そして、国立大学は運営費交付金が毎年削減され、国家公務員総人件費改革によって人件費を削減され、また、一部の附属病院に対しては交付金が大幅に削減されました。その結果、病院の収益増が求められ、教員は研究時間を削って、診療活動に多くを割かなければならなくなりました。

 なお、私学助成金も削減されるようになりましたが、国立大学の運営費交付金の削減と同じ1%の削減であったとしても、国立大学の場合は大学予算全体に占める割合が大きいので、より大きなダメージを受けることになります。

 また、2004年は、新医師臨床研修制度が始まった年でもあり、若手医師の流動化が起こり、勝ち組と負け組の差が大きくなり、負け組となった地域の病院の医師不足が表面化するとともに、一部の大学病院の若手医師が少なくなり、研究活動にも影響を与えたことが考えられます。



 次のグラフは基礎生命科学です。基礎生命科学の分野は、前回のブログで出てきた基礎的医学(分子生物学および遺伝学、免疫学、微生物学、生物学および生化学、神経科学および行動科学)に、農学、植物・動物学、薬学・毒物学を加えたものです。

 

 国立大学が圧倒的な論文数を産生していますね。しかし、国立大学で通常の論文数がやや減少気味、私立はやや上昇。注目度(質)の高い論文数は国立大学で最近減少し、私立大学では停滞しています。

 次は、臨床医学論文数について、国立大学を上位大学と地方国立大学に分けて分析してみました。旧7帝大、次に続く7大学、および私立大学ではやや増加していますが、他の国立大学(地方国立大学)では低下しています。

 基礎的医学分野の論文数については、旧7帝大や次に続く7大学や私立大学でも停滞していますが、地方国立大学では明らかに減少しています。

 このように、国立大学の医学論文数の停滞、あるいは減少の要因として、地方国立大学での論文数減少が大きく影響し、それが延いては我が国全体の医学論文数の停滞~減少に寄与していることがわかります。

 また、これはわが国の国立大学の格差が拡大したことを意味します。研究活動に影響する様々な負荷(法人化、予算削減、新医師臨床研修制度、その他)がかかった場合に、余力の小さい大学ほど、大きな影響を受けるということでしょう。たとえば、外部資金を多く獲得できる余力のある大学では、特任教員等を増やすことによって、研究力の低下をある程度補うことができますが、余力のない大学では困難です。

 ただし、注意深くグラフのカーブをご覧いただくと、地方国立大学の医学論文数が減少し始めたのは2000年ころからであることがわかります。この頃、いったい何があったのでしょうか?

 この頃には国立大学の大学院重点化ということがありましたね。旧帝大やそれに続く数大学で大学院が重点化され、予算がつき、教員数が増やされ、学生定員も増やされました。教員の本籍が学部ではなく大学院とされ、また、一般の人には理解しにくい名前の講座がたくさんできましたね。

 当時、地方国立大学では、もちろん大学院重点化の申請をしましたが受け入れられず、涙を飲みました。そして、哀れにも旧帝大の大学院の表面的なまね事をしただけでした。表面的なまね事とは、旧帝大に倣って教員の本籍を学部から大学院に変え、講座の名前を一般の人には理解しにくい名前にしたことです。

 また、この頃には、公務員の定員削減が実施されていましたので、教員数も徐々に減りつつありました。下位大学は教員が減り続け、上位大学は大学院重点化で回復しました。つまり、政策によって格差拡大が進んだということですね。

 下の図は、臨床医学と基礎的医学論文数について、法人化前と法人化後(2009)の変化率をプロットしたものです。

 横軸に臨床医学論文数の変化率、縦軸に基礎的医学論文数の変化率をとっています。両者は統計学的に有意の正の相関を示しました。つまり、法人化前と後で、臨床医学論文数が大きく減った大学ほど、基礎的医学論文数も大きく減ったことを意味します。これは、臨床医学論文数の減少と基礎的医学論文数の減少に、何か共通の要因が働いたことを推測させますね。

 たとえば、臨床医学の若手医師が基礎医学の研究を一部担っていたことや、臨床医学の研究者が基礎的な医学の学術誌に論文を投稿することもあったので、臨床医学研究の衰退が、基礎的医学論文の減少にもつながった可能性もあります。また、法人化、予算削減、定員削減などは大学全体に影響するので、もちろん両者に影響する要因ですね。

 ただし、ここでは図に示しませんが、たとえば臨床医学論文数の変化度と化学論文数の変化度も正の相関をするので、医学分野の特殊事情だけではなく、法人化、大学予算削減、定員削減などの大学全体に影響する要因が寄与していると考えています。

 この図では、地方国立大学のプロットは左下(つまり両者とも低下)に多くあり、私立大学のプロットは右上(両者とも上昇)に多くあり、旧帝大と次に続く大学のプロットは中央(両者とも停滞)に固まっていることがわかります。

 さて、ここで、忘れないうちにトムソン・ロイター社の学術論文のデータベースを読む際の注意点を書いておきますね。

 トムソン・ロイター社では、毎年論文を収載する学術誌を選定しています。論文の要約だけを掲載した雑誌を削除することもありますが、基本的には毎年論文を収載する学術誌の数を増やしています。そして、学術誌を選定した年から、その学術誌に掲載されている論文数をカウントし始め、その雑誌の以前の掲載論文についてはカウントしません。

 たとえば、私が昔勉強したことのある大阪大学微生物病研究所はBiken Journalという学術誌をかなり前から発行しているのですが、トムソン・ロイター社のデータベースに収載されたのは比較的最近のことなのです。そうすると、Biken Journalに掲載された論文については、実際に産生していた論文数はかなり昔から変わらないのですが、見かけ上論文数が最近増えたように見えるわけです。つまり、論文数が見かけ上増えても研究のアクティビティーは停滞していることもありうるわけです。

 また、私の分析は整数カウント法なので、つまり、共著論文をそれぞれの機関で1とカウントするので、大学群別の論文数については、その群内大学の間での共著論文があれば、それを重複カウントすることになります。そして、共著論文の比率が最近増える傾向にあるので、見かけ上論文数が最近増えたように見えることになります。

 つまり、何が言いたいかというと、論文数が増えていても、多少しゃっぴいて見なければならないということです。論文数が停滞しているということは、実は研究活動が多少低下している可能性が高いのではないかと思っています。

 論文数が減った場合は、特殊な場合を除いて、実際に論文数が減り、研究のアクティビティーが低下していると断定してよいと思います。

 少し、難しかったですかね?今日はこのへんにして、次回は、さらにつっこみますよ。お楽しみに。

次回につづく


 

 


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