6月29日の「国立大学法人学長・大学共同利用機関法人機構長会議」の続きです。
鈴木寛副大臣は来年度の大学関連の概算要求はたいへん厳しいとおっしゃっていましたが、具体的な数値としてどれくらい厳しいかという説明が、文科省の方々から説明されました。
高等教育局長の徳永保さんは
「中期財政フレームによると歳出は71兆円で今後3年間は固定、地方交付税は17兆円で固定。社会保障費は27兆円から毎年1.3兆円自増という前提から、それ以外の経費26兆円から毎年1.3兆円減らさなければならない。さらに義務的経費を除くと政策的経費は概ね13兆円だから、そこから1.3兆円出すことになると新しいことをしなくとも毎年8%減らさなければならないことになる。すなわち、国立大学への運営費交付金を含め、現行水準で維持していくことさえ、極めて多大な努力を要する状況にあることを理解してもらいたい。」
という旨のことをおっしゃいました。1.3兆円は13兆円の10%になると思われますが、確か8%減とおっしゃったと思います。
文科省関係の予算は総額約5兆円で、そのうち政策的経費が約3兆円。3兆円の8%は2400億円で、うち高等教育関連の政策的経費は約1.5兆円とされていますから、大学関連予算の削減は1200億円ということになります。
これは単純に計算した結果で、直ちに国立大の運営費交付金が8%削減されるということではなく、また担当課長も、そうならないように努力するとおっしゃっていましたが、その恐れはありうるとのことでした。
今までは運営費交付金は毎年約1%の削減だったので、もし8%削減ということになれば、これは大変なことになります。直ちに立ち行かなくなる国立大学も出現すると思います。
ここで、私は鈴木寛副大臣のおっしゃっていた
「新しい政権は良くも悪くも世論に敏感な政権であるが、大学、国立大学は一般国民から縁遠いものとなっている。」
「大学が国民からなじみが薄く、そこに税金を投入する意義が十分に理解されないという悪循環に陥っている。」
「コンクリートから人へという政策転換の中で、教育予算の増額には成功したが、大学への予算増額への支持は沸き起こらない。」
というお言葉がたいへん気になります。
「地域住民や国民からの支持が沸き起こらない限り」大学への予算が削られてもやむをえないということは、つまり「選挙の票に結びつかない限り」大学への予算が削られてもやむをえないという解釈もできるからです。
法人化後、私が学長をしていた三重大を含め、各国立大は特に地域との対話や連携に努力し、法人化前に比べると格段に大きな地域貢献を達成して、まさに、地域のイノベーションや成長の源泉として、必要不可欠の存在になったと私は思っています。
しかし、それが為政者の皆さんや国民一人ひとりにまだまだ伝わっていないということなのでしょう。パブコメを集めても、小・中学校の政策については何千という単位で国民から意見が集まるのに、国立大学法人化の検証に関するパブコメで200件台の意見しか集まらないようでは、当事者である大学の教職員も含めて大学に無関心であると思われてもしかたがありません。
ただし、高校授業料無償化のように、国民一人ひとりに直接的に影響を与える政策の場合には選挙の票にも結びつきやすいわけですが、大学の教育・研究あるいは地域貢献というのは、受益者の数も限定され、すぐには結果がでないサービスであることから、選挙を左右するほどの支持が住民から沸き起こることは、そもそも考えにくいと思います。
世論の支持が集まりやすい政策に税金が投入され、シーソーゲームのように、大切であるにも関わらず世論の支持が集まりにくい大学の予算が削減される。そして、何年かたって気がついたら、地域と国のイノベーション力が低下して、韓国や中国を初め世界にどうあがいても追いつけない状況に追い込まれている。私は日本がこのような国になることをたいへん危惧しています。
7月末に文科省の概算要求の骨子が固まるようですが、その結果が出る前に国立大学の皆さんは行動を起こす必要はないんでしょうかね?2007年に前政権下で国立大学の運営費交付金が科研費の取得額に応じて配分されるという試算が出された時には、三重大を初めとして地方大学から火の手が上がり、全国知事会の反対決議にまでもっていけたのですが・・・。
鈴木寛副大臣は来年度の大学関連の概算要求はたいへん厳しいとおっしゃっていましたが、具体的な数値としてどれくらい厳しいかという説明が、文科省の方々から説明されました。
高等教育局長の徳永保さんは
「中期財政フレームによると歳出は71兆円で今後3年間は固定、地方交付税は17兆円で固定。社会保障費は27兆円から毎年1.3兆円自増という前提から、それ以外の経費26兆円から毎年1.3兆円減らさなければならない。さらに義務的経費を除くと政策的経費は概ね13兆円だから、そこから1.3兆円出すことになると新しいことをしなくとも毎年8%減らさなければならないことになる。すなわち、国立大学への運営費交付金を含め、現行水準で維持していくことさえ、極めて多大な努力を要する状況にあることを理解してもらいたい。」
という旨のことをおっしゃいました。1.3兆円は13兆円の10%になると思われますが、確か8%減とおっしゃったと思います。
文科省関係の予算は総額約5兆円で、そのうち政策的経費が約3兆円。3兆円の8%は2400億円で、うち高等教育関連の政策的経費は約1.5兆円とされていますから、大学関連予算の削減は1200億円ということになります。
これは単純に計算した結果で、直ちに国立大の運営費交付金が8%削減されるということではなく、また担当課長も、そうならないように努力するとおっしゃっていましたが、その恐れはありうるとのことでした。
今までは運営費交付金は毎年約1%の削減だったので、もし8%削減ということになれば、これは大変なことになります。直ちに立ち行かなくなる国立大学も出現すると思います。
ここで、私は鈴木寛副大臣のおっしゃっていた
「新しい政権は良くも悪くも世論に敏感な政権であるが、大学、国立大学は一般国民から縁遠いものとなっている。」
「大学が国民からなじみが薄く、そこに税金を投入する意義が十分に理解されないという悪循環に陥っている。」
「コンクリートから人へという政策転換の中で、教育予算の増額には成功したが、大学への予算増額への支持は沸き起こらない。」
というお言葉がたいへん気になります。
「地域住民や国民からの支持が沸き起こらない限り」大学への予算が削られてもやむをえないということは、つまり「選挙の票に結びつかない限り」大学への予算が削られてもやむをえないという解釈もできるからです。
法人化後、私が学長をしていた三重大を含め、各国立大は特に地域との対話や連携に努力し、法人化前に比べると格段に大きな地域貢献を達成して、まさに、地域のイノベーションや成長の源泉として、必要不可欠の存在になったと私は思っています。
しかし、それが為政者の皆さんや国民一人ひとりにまだまだ伝わっていないということなのでしょう。パブコメを集めても、小・中学校の政策については何千という単位で国民から意見が集まるのに、国立大学法人化の検証に関するパブコメで200件台の意見しか集まらないようでは、当事者である大学の教職員も含めて大学に無関心であると思われてもしかたがありません。
ただし、高校授業料無償化のように、国民一人ひとりに直接的に影響を与える政策の場合には選挙の票にも結びつきやすいわけですが、大学の教育・研究あるいは地域貢献というのは、受益者の数も限定され、すぐには結果がでないサービスであることから、選挙を左右するほどの支持が住民から沸き起こることは、そもそも考えにくいと思います。
世論の支持が集まりやすい政策に税金が投入され、シーソーゲームのように、大切であるにも関わらず世論の支持が集まりにくい大学の予算が削減される。そして、何年かたって気がついたら、地域と国のイノベーション力が低下して、韓国や中国を初め世界にどうあがいても追いつけない状況に追い込まれている。私は日本がこのような国になることをたいへん危惧しています。
7月末に文科省の概算要求の骨子が固まるようですが、その結果が出る前に国立大学の皆さんは行動を起こす必要はないんでしょうかね?2007年に前政権下で国立大学の運営費交付金が科研費の取得額に応じて配分されるという試算が出された時には、三重大を初めとして地方大学から火の手が上がり、全国知事会の反対決議にまでもっていけたのですが・・・。
三重大は地域への方向性が強く、大きな努力もされてきたことは存じ上げていますが、国立大学側の認識とは裏腹に、地域はあまりそのようには感じていないと思います。少なくとも、地域社会のひとたちは、地域生活や地域文化ということにおいては、「国立」大学の関与や貢献をほとんど感じていない。国の機関とは思っても、地域社会の機関とは思っていません。これは実は、国立大学が貢献を「していない」のではなく、豊田先生を含めた国立大学の先生方が考える地域貢献と、地域社会自身が考え感じる地域貢献が、おそらくまったく「違うもの」だからだと思います。うまく言えませんが、国立大学が考える地域貢献は、高い次元の文化や医療です。「理念」という言葉が出てくるレベルです。「国」や「国際」といった方向性への発展を念頭に置いた活動です。生活臭はしない。でも、地域社会が「地域貢献」という言葉を聞いたときの期待する「地域」とは、もっと地味で泥臭くて、生活臭さのあるイメージです。それは、国立大学には無理かもしれません。ですから、国立大学と地域社会とは、「学問的」なことでのつながりはできても、本当の意味での「地域文化」という意味でのつながり(心のつながり)はないのではないかと思います。そもそも、国立大学とはそのような位置(位置づけや任務)にはないのではないでしょうか。ある意味では「お貴い存在」です。そもそも、国立大学の先生方が、その大学が存立する地域社会や地域文化に対して愛着や関心があるかといったら、そういった先生(豊田先生のような先生)は、残念ながら非常に稀でしょう。ほとんどの先生方の関心は、ご自身や研究室の業績です。特に理系では(医学部では)、地域貢献など業績にならないのが現実です。そんなことをやっていると、白い目で見られるのが現実です。だから、地域住民からの支持が湧き上がる」はずはないと思います。これは、国立大学が間違っているという意味ではありません。国立大学とは、そのような立場なのかもしれません。現在は法人ですが、ちょっと前までは、職員は「国家公務員」でしたから。基本的には、現在もそれは変わっていません。ただ、今、国立大学は豊田先生が直面されている問題を共有して、自分の立ち位置と方向性を見直す時にきていると思います。
これなら地域の支持が生命線になるのは明らかですね。地域の経済が活発化すればそのまま大学に反映されるのですし。
一方日本の地方国立ではあくまでも「政府の考える地域貢献」でしかないので、なかなか支持を得られないのではないでしょうか。
空港と同じで日本には大学も多すぎです。あればそれなりの貢献をするのは当然でしょうが、はたして無制限に税金を投入してまで必要か納税者の総意が必要でしょう。継続可能なモデルであるのか検証が必要です。