当たり前のことなのですが、自分と相手は、別の存在です。
相手には相手の考えがあり、相手なりの決断をします。
その決断を変えさせ、行動を変えさせることは、誰にもできません。
何を当たり前のことを言っているのか、と感じるかも知れませんが、家族や会社の同僚など、近しい関係になればなるほど、アドバイスしたことをやってくれて当たり前。
細かいことを言わなくても、自分が思っていることを感じ取ってくれて当たり前と思ってしまうから不思議です。
気をつけたいのは、相手の成長を願って発したアドバイス。。。
そのアドバイスを受け取り実行するかどうかは、相手に選択権があります。
しかし、愛情が深い相手であればあるほど、貴重なアドバイスをしたのだから実行してくれるだろう!という期待を抱きます。
期待を裏切り、実行してくれなかったとき、実行しない相手が悪い!と怒りの感情が芽生えるのだから、人間の真理というのは本当に質が悪いですよね。
問題の所有者が誰で、選択肢の決定権が誰にあるのかを意識した上で、『待つ』ことができるといいですね。
一足飛びに『待つ』ことができずとも、『待つ』ことを意識しない限り、絶対に『待つ』ことができる人間にはならないということを意識してみましょ、お互いに!
本日も最後まで読んで下さり、有難うございます。
相手には相手の考えがあり、相手なりの決断をします。
その決断を変えさせ、行動を変えさせることは、誰にもできません。
何を当たり前のことを言っているのか、と感じるかも知れませんが、家族や会社の同僚など、近しい関係になればなるほど、アドバイスしたことをやってくれて当たり前。
細かいことを言わなくても、自分が思っていることを感じ取ってくれて当たり前と思ってしまうから不思議です。
気をつけたいのは、相手の成長を願って発したアドバイス。。。
そのアドバイスを受け取り実行するかどうかは、相手に選択権があります。
しかし、愛情が深い相手であればあるほど、貴重なアドバイスをしたのだから実行してくれるだろう!という期待を抱きます。
期待を裏切り、実行してくれなかったとき、実行しない相手が悪い!と怒りの感情が芽生えるのだから、人間の真理というのは本当に質が悪いですよね。
問題の所有者が誰で、選択肢の決定権が誰にあるのかを意識した上で、『待つ』ことができるといいですね。
一足飛びに『待つ』ことができずとも、『待つ』ことを意識しない限り、絶対に『待つ』ことができる人間にはならないということを意識してみましょ、お互いに!
本日も最後まで読んで下さり、有難うございます。