聖ドミニコ司祭
1170年-1221年
ドミニコは、スペイン北部、カスティリアの裕福な貴族の家に生まれた。25歳で司祭に叙階され、オスマの司教座大聖堂付参事会の一員となり、司教の顧問役として聖アウグスチヌスの戒律に基づいた共同生活をした。
そのころ、フランス南部ではアルビ派の異端が広まっていた。この派は、善悪の2神の存在を説き、極端な物質軽視、肉体の蔑視を教えていた。そのため、オスマの司教はドミニコを選んで、異端者の回心にあたらせた。ドミニコは貧しいキリストに倣い、施しを受けながら説教をして各地を回った。彼の説教は、人びとを感動させ信仰を取り戻させた。そして必ずロザリオの祈りを勧め、その結果この祈りは教会全体に広まった。1206年に、フランスに女子教育を目的とするラ・ブルイエ修道院を設立した。その後、同志の司祭が彼のところに集まってきたので、1215年に、教皇に対して、説教、司牧、教育による宣教を目的とする修道会の設立を申請し、翌年に「説教兄弟会」としてドミニコ会が公認された。修道会は発展し、多くの偉大な神学者を輩出し、現代に至っている。