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◆借り手・貸し手

2015年07月29日 07時07分31秒 | 聖書

寄るべのない者に施しをするのは、
主に貸すことだ。
主がその善行に報いてくださる。   (箴言一九17)

韓国のすばらしい牧師で、清らかで力強い生活と働きをしている方が、こう言われたのを忘れることができません。「報いを望まないなんて、人間としてうそっぱちです。私は、やがて神さまからたくさんほめていただきたい、輝かしい冠をもらいたいのです。」そういえば使徒パウロも、「私は神から冠をいただく日をめざして一心不乱に走っています」と言いました(ピリピ三14参照)。私たちには、地上の人の報いを求めて生きるか、天の栄光ある神の報いを求めて生きるかの、二つに一つの生き方があるのではないでしょうか。そして私たちの多くは、あまりにも地上の褒賞ばかりを求めすぎるのではありませんか。
イエスは、街角に立ってラッパを吹き、自分の善行をひけらかすようなパリサイ的やり方をきらわれました。かえって、右手がしたことを左手に知らせるなと言い、また、お返しができないような飢えた者や渇いた者に、一かけらのパンや一杯の冷たい水をあげること、それこそ「わたしにしてくれたのだ」と言われました。そして、そのような人が受ける天での栄光に満ちた報いを語られたのです。
リビング・バイブルは、この箇所を「貧しい人を助けるのは神に貸すのだ。神は、すばらしい利息を払ってくださる」(英訳)という意味に訳しました。
寄るべのない人・貧しい人・病める人・困っている人が最後的に苦しんでいるのは、見捨てられた孤独と、愛されず必要とされていない苦しさです。あなたがそんな人の隣人になり、その人をも神は必要で生かしていてくださるのだと、あなたの無言の愛で分からせてあげることこそ、主に、貸しをつくるのです。そして、あなたが受ける天での報いは大きいのです。「あめにたから つめるものは げにもさちなるかな」と、讃美歌は歌います(讃美歌五一三番)。

 


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