座間コミニティー

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

◆自任か、モットーか、追求か

2011年08月22日 07時28分23秒 | 聖書
正義と誠実を追い求める者は、
いのちと正義と誉れとを得る。    (箴言二一21)

まじめに誠実にやっていけばそれでいいという考えが、今も日本人の人生観の底流となっているようです。この箴言のことばは、日本人のそんな人生観にはんこを押してくれるもののように響きます。ところがどっこい、そうではないと思うのです。
正義と誠実について、同じように見えながら、全く違う三つの態度があります。
第一は、自分は正義だ誠実だと自任する態度です。そのように自任する人で、ほんとうに正しく、ほんとうに誠実な人がいるでしょうか。それに対して、私も聖書もイエス・キリストも、大きなクエスチョンマークを持っています。
エルサレムの神殿の前に、パリサイ人と取税人が祈りに来ました。正しいまじめな者だと自任するパリサイ人は、こう祈りました。「神よ。私が、隣にいる取税人のような罪人でないことを感謝します。私は、祈りや施しや断食に励んでいます。」ところが隣の取税人は、うつむいて胸をたたき、「神よ。この罪深い私をあわれんでください。ゆるしてください」と祈りました(ルカ一八9―14参照)。
第二に、自分は正義と誠実をモットーとして生きていこうと、言い聞かせている態度です。まじめ人間の特徴として、同情はできます。しかしこれは、きたないどぶ川に、「いのちの清水」と立て札を立てるようなものです。立て札やラベルだけで、人間がどうなるものでもありません。
第三に、正義と誠実を追い求める態度です。自分にはそれがない、自分はそれが欲しいと、飢え渇いて、神に向かって心を開いて求めます。自分が正しい、自分が誠実だなどと言いません。しかし神の前に全く開かれた心に、神が、ゆるしによる義・愛によるいのち・人の誉れでない天の誉れを与えてくださるのです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。