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◆ああ、哀れな私よ。

2015年09月05日 07時54分42秒 | 聖書
メシェクに寄留し、ケダルの天幕で暮らすとは。(詩篇一二〇・五)
 
あなたは不信仰な世のただ中に住まなければならない。そこで「哀れな私よ」と叫ぶのは当を得ていない。イエスは、あなたがこの世から取り去られるようにとは祈られなかった。主が祈られないものを願い求める必要はない。むしろ主の御力を受けて困難に直面し、主のご栄光を現すほうがはるかにまさる。
敵は、あなたの行動の中に矛盾を見いだそうとして絶えず見張る。それゆえ聖潔であれ。あなたは衆人環視の中にあり、他の人以上のことがあなたに期待されていることを記憶せよ。非難を受ける原因を作らないように努めよ。善良があなたの唯一の欠点であれ。ダニエルについて言われたように、あなたについても「私たちは、彼の神の律法について口実を見つけるのでなければ、このダニエルを訴えるどんな口実も見つけられない」と言わせよ。言行一致であるとともに、有用であることを求めよ。
あるいはあなたは次のように考えるかもしれない。「もし私がもっと良い境遇にあるなら、主にお仕えすることができるだろう。しかし、今の状態では何のよい事もできない」と。しかし、あなたの周囲に住む人が悪ければ悪いほど、あなたは彼らのために努力しなければならない。もし彼らがひねくれているとすれば、いっそう彼らを矯正しなければならない。彼らが強情であるとすれば、その高慢な心を真理に向かわせる必要はさらに大きい。医師が病人の多い所に行かないでどこへ行くというのか。激戦のただ中に入らないで、兵士が功績をあげることができるだろうか。
あなたを取り囲む罪との戦いに疲れた時、すべての聖徒が同様の試練に耐えたことを思え。彼らは羽ぶとんにくるまれて天国に運ばれたのではない。だから、あなたも彼らよりたやすく天国に行けると思うな。彼らは激戦のただ中で命をかけて戦った。同様にあなたも、イエス・キリストのよい兵士として苦しみに耐えなければ、栄冠を得ることはできない。このゆえに「堅く信仰に立ちなさい。男らしく強くありなさい」。
 
 

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