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「神である主は、

2014年09月16日 16時43分39秒 | 聖書

アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せて下さった」(創世記3:21)

罪を犯したアダムとエバは、主の御顔を避け木の間に隠れた。
神を恐れ、神を避けた。
神に受け入れてもらえないと思うからだ。
神から身を隠すとは、神を拒否する事だ。
関係を持ちたくないという事だ。
人は罪を犯すと恐れが生じ、神と人から隠れようとする。
誰しも経験があるだろう。しかし、神は違う。
どこにいるのかと、御声をかけられ、どこまでも、私達を求めて下さる。
私達には、なかなかわからないが、神の愛は変わらない。
罪を犯す前も、罪を犯している時も、罪を犯した後も、神の愛は全く変わらない。
変わらずに愛して下さっている。
そして、罪の解決も備えて下さった。
皮の衣を着せて下さったのだ。
動物の血が流された皮の衣だ。
それで恥と恐れをおおって下さった。
主イエスの十字架であり、流された罪の無い血潮が、私達の罪をおおう。
罪を犯した恥、恐れ、痛みがあるだろうか。
罪意識が臨んでいるか。
心に血の注ぎを受けたので、全き信仰をもって、恐れなく、真心から神に近づく事ができる。
赦しを受け取ろう。主の血潮はそのために流されている。
血潮におおわれ恐れと痛みが消える。
心に平安と喜びが来る。
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罪を犯すと、とがめが来る。
恐れと不安で神に愛されているなどと、とても思えない。
自分が神を拒んでいる。自分がどう感じるかでなく御言葉に立とう。
厳然と神はそこにおられ愛し続けて下さっている。


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