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ルカの福音書3章9節(イザヤ書3章)

2016年08月14日 07時36分56秒 | 聖書

★  斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。

■O:今日のコラム
斧もすでに木の根元に置かれている…ここでヨハネは、最後のさばきが間近であるとを言っています。みなさんは、このヨハネのメッセージを聞いてどう受け止めるでしょうか?もし日々の生活のことで思いがいっぱいになっているなら、「さばきは近いよ」と言われても、あまり危機感を感じないかもしれません。朝起きてご飯を食べ、仕事(学校)に行き、帰ってそして寝る。
また主婦ならば、朝起きてご飯を用意し、子どもの世話をし、家事をし、家族の食事を作り、子どもを寝かし、あっという間に一日が終わる。このような日常の中で、どうやって危機感を覚えることが出来るでしょうか?また、多くの人は、私はイエス様を知っているから天国に行けるしこのままで大丈夫。私はさほど悪くないから、
神のさばきなんてない、とひそかに思っているかもしれません。それならばヨハネが、「それは必ず来る。だれもそのままでは、その怒りからまぬがれることはできない」と伝えているメッセージに一体どれだけの人が心裂いて悔い改め、主に立ち返るのでしょうか。

アテフ先生のセミナーの講義を多くの人が聞かれたと思います。その中で参加された何人かの人から、目が開かれた、今までの歩みを悔い改めた、奮い立った、などの証しを聞きました。
それは、知っていると思ったけど実は知らなかった福音の奥義、みことばの正しい理解と真理を悟ったからではないでしょうか。私自身も、目が開かれる講義でした。映画で例えるなら、ラスト15分、衝撃の真実。と表せるかもしれません。(もう15分も残っていないかもしれませんが…)

終わりの時代に、主がアテフ先生を日本に送って下さり、聖書のみことば、特に救いに関する概念を解き明かして下さったことを心から感謝します。ぜひ、この恵みと好意を無駄にせず、DVDを購入して、しっかりと学んでいきたいと思います。

とにかく、今日のタイトルにあるように、人がどうこうではなく、環境がどうこうでもなく、「自分が」奮い立つことを切に求めます。そのために、日々、腰に真理の帯をしっかりしめましょう。

私たちを真理に導き入れ、やがて起ころうとしていることを示してくださる、真理の御霊である聖霊様を、毎日の生活の中に、働きの中に、子育ての中に絶えず歓迎しようではありませんか。

「あなたの真理のうちに私を導き、私を変えてください。あなたこそ、私の救いの神、私は、あなたを一日中待ち望んでいるのです。」(詩篇25:5)


■A:考えてみよう
今日の聖書箇所に「斧もすでに木の根元に置かれています。」とありました。そうです、さばきの主は、戸口で立っておられます。

私達が知っておかなければならない事は、もう間近であろうゴール地点に立って待っておられるのは「さばきの主」であるということです。主は、あわれみの主、恵みの主であると同時にさばきの主です。すべての人がそこに立たなければなりません。

「さばき」と聞くとおそろしく思うかもしれませんが、主を慕い求める者たち、真理を悟り、奮い立って主の道を歩んだ者たちにとっては、それは祝福であり救いの完成です。

「おそれおののいて自分の救いの達成に努めなさい」(ピリピ2:12)と言われた救いがついに完成される時なのです。

みことばを深く知り、真理を悟るために、日々の生活の中で聖霊様を歓迎し、そして、みことばの朗読を続けていきましょう。また、信仰の兄弟姉妹たちと互いに励まし合い、互いに建て上げ合うことを大切にしましょう。

「神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。
…ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。」(第一テサロニケ5:9~11)


■P:祈り
私の内なる主の宮が建て直されるために、真理なる聖霊様、私の霊を奮い立たせて下さい。日々、心裂いて悔い改め、イエス様の血潮を宣言します。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


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