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◆小さな贈り物

2016年07月19日 06時41分35秒 | 聖書

人の贈り物はその人のために道を開き、
高貴な人の前にも彼を導く。    (箴言一八16)
 
この贈り物(ヘブル語でマッターン)は、他の箇所に出てくる贈り物と違ってわいろではありません。よい意味の贈り物です。確かに、心のこもった小さな贈り物が、不思議な働きをすることは事実です。
一九七九年の十月に、私は、新潟市民クルセードの集まりに講師として招かれました。二晩目のことでした。一人の中学生の女の子が私に会いに来ました。「先生、お話ありがとう。私、これあげるわ」とさし出したものは、四センチ角ぐらいの手づくりの紙の箱で、かわいらしく色が塗ってあったのです。「私、あすの晩、お母さんもこのクルセードに連れてくるわ」とその女の子は話しました。その夜、何だろうかと興味をもって、その箱を開けてみると、キャンデーが三粒入っていました。
次の晩、私のほうからその女子中学生を捜し出してお礼を言いました。お母さんを連れていたその子は、「先生、お母さんも神さまを信じて幸せになってもらいたいわ」と言います。私は座りこんで、そのお母さんに話をしました。今はそのお母さんも神を信じて、喜んで教会に通い、聖書を読み、いっしょにお祈りをしているそうです。
私は長い間、その小さな贈り物を机の上に飾っておきました。その小さな贈り物ほど、私は心をひかれたものはありません。
私は、それにつけても思うのです。くだけきった魂、信じるという口のことば、ありがとうという感謝のことば、――こんな小さな贈り物を持って私たちが神の前に出る時、神の愛の真ん中へ通される道が開かれるのではないでしょうか。そこでは、神を「お父さま」と呼ぶことができます。
神の求めたもうものは、小さな、悔いたくだけた心、信じる心、感謝する心なのです。
 
 

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